□第二章──謎の人物③
「……きろ、彩夏。起きろと言っている、黒田彩夏!」
凄まじい怒声でいきなり目が醒めた。ぼんやりと目を開けると明らかに狼狽した表情のシャール少佐がこちらの胸ぐらを掴み、大声を発している。
「少佐……?」
ぼんやりとした口調で応じるとようやく怒声が止んだ。
「まったく。放送をかけても返事がないから来てみたら完全に熟眠していたな。こんなことでは、非常時に眠ったまま死ぬ事になるぞ!」
俺はようやくベッドから起き上がった。頭がくらくらするのは何度も揺さぶられたせいらしい。
「参謀本部から返事が来たんですか? だったらそう急がせなくても……」
「返事が来たというより、基地にお越しになられたんだ」
「誰がです?」
「軍服を整えろ。話はそれからだ」
五分後、俺は第三会議室の扉の前にいた。隣にはシャール少佐がついていて、彼がノックをした。
「司令官、黒田彩夏を連れてきました」
「入りたまえ」
返事と同時に少佐が扉を開け、俺が後に続く。その光景に俺は思わず息を飲んだ。
左隅に参謀本部のオイラー大尉がいた。隣は将官の軍服に身を包んだ見知らぬ男、その隣にいたのが──。
軍最高司令官アンリ・ギザン大将その人だった。
「まさか……!」
ギザン大将の隣に立つ将官服の男が口を開いた。
「そのまさか、だ。私は参謀総長を務めるカール・ジャコメッティ中将。隣に立つ御方が、リンデベルン軍最高司令官アンリ・ギザン大将その人だ」
俺は思わずぽかんと口を開けた。こちらから偉い人の前に呼びつけられると思っていたら、偉い人たちが向こうからやってきたのだ。
俺は思わず会議室内を見渡した。右側の席に既に三人、ニールス姉弟とクレアが立っていた。俺はシャール少佐に促されるままクレアの隣に立ち、少佐がその横に立った。
「ただ今連行した彼が、ニールス博士と共に作戦原案を立案した黒田彩夏少尉です、ギザン大将」
「ご苦労だった。全員、座って楽にしてくれたまえ」
大将自ら応じると俺たちは一斉に着席した。大将たちもきっちりタイミングを合わせ、着席する。
チョビ髭を蓄え、いかにも温和な表情を浮かべたアンリ・ギザン将軍は、俺の記憶が正しければ今年で六六歳のはずだ。元いた世界では少将の地位で軍のトップにあり、スイス軍全体をまとめた。こっちの世界では階級が二つ上がり、参謀総長を伴いこの基地まで赴いている。
「端的に話そう」
将軍は自ら口火を切った。
「君とニールス博士がこの作戦原案──便宜上、マンシュタイン計画を作成したと聞いたが、事実かね?」
「起草はニールスがやり、私は簡易な視点からアドバイスをした。その程度です」
「この原案には、戦略の失敗を作戦の成功で覆す一大ギャンブルとあるが、これも君の発言が元になっている……というのは本当か?」
「おおむね事実ですが、ニールスの存在なくしては出て来なかった言葉です、大将閣下」
「そうか……この一文を巡り、参謀本部では大激論が巻き起こってな。戦略の失敗を作戦でカヴァーするのは不可能であり、作戦の失敗を戦術でカヴァーするのも不可能と言う原則論に固執する参謀たちが過半数を占めてね」
「最もなことだと思います。原則的には完全にその通りですから」
「それをヒトラー……いや、マンシュタイン参謀総長が覆そうとしている。君たちはそう考えているのだね」
「その通りです。ド……ゲルマニア参謀本部内で作戦の天才と高く評価されているマンシュタイン大将なら、この作戦を成功させることが出来るとニールスと私は考えています」
「そこまでマンシュタイン将軍の能力を評価するのは、なぜかね?」
一瞬、俺は答えに詰まった。
元いた世界においては、マンシュタイン率いるドイツ軍はそれを何度も成功させて来た。
ロシアでヒトラーが犯した戦略的失敗を、作戦の巧みさによって何度も補い、成功した。仮にマンシュタインがいなければ、ドイツの敗戦は優に一年は早まっていたことだろう。
だが、この世界の人々はそれを知らない。だから俺はこう答えざるを得ない。
「ポーランド侵攻作戦の作戦立案はマンシュタイン参謀総長でした。彼の作戦があればこそ、ポーランドは比較的短期間で降伏を余儀なくされたのです。実績はそれで充分でしょう」
「その点が弱い。そう主張する参謀たちも多かった。しかし、だ……」
「ポーランドは中欧の軍事大国で、ヒトラー隷下にある新生ゲルマニア軍にとっても初めて経験する大きな戦争でした。短期間でポーランドを打破できたのは、やはりマンシュタイン参謀長の功績でしょう」
「そうだ。だから、私と参謀総長はここに来た」
「何のために?」
「より深い確信を得るためだ」
数秒の沈黙の後、俺は乾いた声で言った。
「それは得られましたか、大将閣下」
ギザン大将は返事をしなかった。ただ、こちらに向け、慈父のような眼差しを向けただけだった。
代わりに参謀総長が表情を曇らせて答えた。
「我々二人と話し合った結果、この作戦原案をフランス軍参謀本部に提出することが決まった。それが今、対フランス戦において我々ができる最大限の貢献になるだろう」
俺とニールスは顔を見合わせた。
「ニールス、それは……」
「うん。フランス軍がこれを読み、対策を講じれば……」
「マンシュタインの作戦は封じられる。ゲルマニア軍のアルデンヌ森林突破を抑える事が出来れば、フランスの短期敗北は避けられる」
「そういうことになるだろうな」
参謀総長は同意し、小さく肩をすくめて見せた。
「我々リンデベルンは大国ではない。傭兵戦力はたいしたものを持っているが、正規軍の戦力、動員には限界があるのが実態だ。一方、フランスは軍事大国だ。戦車の装備数だけでもゲルマニア軍をしのぐ数があり、ドラゴンの数も五〇頭を超える数がある。冒険的な作戦に対し、騙されず正しく対応できれば、ゲルマニア軍の侵攻を止める事ができるはずなのだ」
俺は思わずため息をついた。
「何かあるかね、彩夏少尉?」
ギザン大将の言葉に、彩夏はある種の落胆と遣る瀬無い思いを持って告げた。
「結局、小国は小国なりの戦略を取るしかない、という事ですね?」
「そうだ。結局、フランスの運命はフランス軍自身が掴むしかない。我々が出来る事は、助言と傭兵戦力の貸し出しだけだ」
「ブリタニア軍の支援は……」
「期待薄だ。理由は、ニールス博士には判っているな」
「はい。私が立てた戦略や様々な助言は、小国デンマークにのみ適用可能なもので、ブリタニアの役に立つものではないと、けんもほろろな扱いを受けました」
「だからこそ、君たち姉弟はデンマーク亡命政権から離脱し、我がリンデベルン傭兵隊に籍を置く事になった。結局、小国の苦しみは、小国同士にしか判らないのかもしれんな」
そう告げると、ギザン大将は微かに頷き、押えた口調で言った。
「我々は、ニールス博士が作成した戦略原案──マンシュタイン想定作戦計画をフランス軍参謀本部に提出、彼らの判断を待つ。そして博士、並びに博士への助言に協力した黒田彩夏少尉に対し深く感謝することでこれに報いたい。以上だ」
次の瞬間、シャール少佐が凛と張った声を発した。
「総員、起立。司令官に対し、敬礼!」
敬礼と、ゆっくりとした答礼が反復され、その場は幕を閉じた。
一〇分後、俺たちとシャール少佐は、離陸するDC3輸送機の姿を見送っていた。
機内にはギザン大将と参謀総長が搭乗し、操縦桿を握るのは参謀本部のオイラー大尉だ。
続いて滑走路の一角から一頭のドラゴンが悠然と飛び立ち、上空のDC3と融合した。
「まさか、オイラー大尉がドラゴンナイトとはね」
唖然と呟く俺にシャール少佐は肩をすくめた。
「参謀本部に機動力を持たせる暫定的な処理だとさ。遠方にいる人材を参謀本部に呼び出すより、参謀本部自体が高速で飛び回る方が効率がいい、とするギザン大将の判断だ」
「フットワークの軽い方なんですね」
「それに人望もある。万が一、ゲルマニア軍がリンデベルンに侵攻しても、徹底したゲリラ戦、遊撃戦で戦うと決めたのも大将だ。参謀本部の反対はほとんどなかったと聞く」
「それほどの人望があるのなら、フランス軍参謀本部もこちらの助言に耳を傾けるかもしれない……結局、参謀本部の面々が納得したのはそういう絡繰りですか?」
「人は、相手次第で態度を変えるからな。傲慢な奴ほどおいおいそうだ。今はそこに期待するしかない」
「そうですね」
応じつつ、俺は自分の助言に耳を傾けるリンデベルンの懐の広さに感謝した。
一介の少尉、ドラゴンナイトとはいえ傭兵風情の言葉を真に受けるのはそれなりの懐が必要だ。この地に来て一ヶ月と経ってない俺にとって、リンデベルンの居心地は決して悪いものではなかった。




