□第三章──侵攻日の予測①
フランス、パリの南東にはヴァンセンヌ城塞がある。
一四世紀から一七世紀までフランス国王が用いていたが、今──一九四〇年には西部戦線連合軍総司令官モーリス・ガムラン陸軍上級大将がここに参謀本部を置き、指揮を執っている。
質素なたたずまいの要塞は、見所と呼べるところがあまりない。伝令役として通されたリンデベルン空軍エルナ・オイラー大尉にとってみても、その印象は変わらなかった。目の前には総司令官が使う幅広な大机が置かれ、書類が散乱していた。
「君に与えられた時間は一〇分だ。私も何かと忙しい身の上でね」
ガムラン総司令官は開口一番、ウンザリした口調で切り出した。
「はい、総司令官閣下。閣下は戦略原案に眼を通されたのですね?」
ガムランは手にした冊子を軽く手ではたき、机の上に放り出した。
「一応、眼を通させてもらった。それにしても戦略原案──マンシュタイン想定作戦計画とは、大層な名前をつけたものだね」
ガムランは微かに鼻を鳴らすと、自らチョビ髭をなでつけた。
「リンデベルン軍最高司令官アンリ・ギザン大将は切れ者と聞くが、これは本当に彼が眼を通し、承認を与えたものなのかね?」
オイラーは内心でため息をつきつつ、ゆっくりと応じた。
「はい。その戦略原案は確かにギザン大将の承認を得たものです。大将のサインを見ても明らかでありましょう」
ガムランはわざとらしげに肩をすくめた。
「私はね、我がフランス軍にとって奇貨となる原案と聞き、君をここに通したのだが、君は、いささか己に対する過大評価……誇大妄想が過ぎるようだな。アルデンヌの森林地帯をゲルマニアの装甲軍団が駆け抜け、一挙にセダンを目指すなど……絶対にありえんことだよ。アルデンヌは険しい森で、とてもではないが装甲部隊が通過できる広い道はない」
「デンマーク軍情報部、我がリンデベルン情報部ともアルデンヌ森林を装甲部隊で通過する事は可能と分析しています。また、ブリタニアの軍事評論家ベイジル・ヘンリー・リデル=ハート氏も、アルデンヌ森林突破の可能性を指摘しており……」
「リデル=ハートね。最終軍歴が大尉に過ぎない市井の男の言葉を根拠として持ち出すのかね、君たちは?」
「しかし、彼は軍事評論家として優れた実績を……」
「第二次大戦における彼のスタンスは、ゲルマニアに対する妥協と外交交渉を主体にしたものだ。これは忌むべき敗北主義とも言えるもの、我がフランス軍には彼の進言に耳を貸す者は誰もおらんよ」
「しかし……」
「一〇〇歩譲ってゲルマニア装甲部隊がアルデンヌの森を抜けたとする。だが、その前には広大なムーズ川が広がっている。これら二つの天然の要害を戦車が超えるのは不可能だ。君たちリンデベルン軍が我が軍に寄与できるものと言えば、ドラゴン傭兵団くらいなものだ。そして、なにより問題なのは一頭あたりの派遣金額が高額なことだ。今、我々が払っている金額で最低でも二〇頭、我が国に貸与するなら話は変わってくるが、たったの三頭では話にならんよ」
「ドラゴンに関しては、フランス単独で五〇頭を越える数を編制済みと聞き及んでおりますが……」
「第一次世界大戦で我々が得た戦訓は、防御側の圧倒的優位と、戦いは最終的に数の優劣に還元されるという二点だ。この点はロシア革命を主導したレーニンもこう言っている。数は、それ自身が質なのだ。よって我々はリンデベルンに対し、誇大妄想じみたマンシュタイン計画ではなく、ドラゴンの多数派兵を要請するものとする」
ガムラン上級大将は侮蔑に満ちた眼でオイラー大尉を見つめた。結着はついたのだ。
「ガムラン将軍、派兵数については後日、リンデベルン本国で検討課題としますが、派遣された部隊の運用についてはいかがお考えですか? 指揮統制の面から言って……」
「その件ならば、貴官等が我がフランスの危機と感じたとき、自由に動けばいい。少数傭兵に対する統率など、正規軍から見ればおよそ管轄外だ」
「判りました。それでは時間も経ちましたので……」
「ああ。帰りたまえ。我々にとって必要なのは、妄想に満ちたマンシュタイン作戦計画ではなく、一頭でも多くのドラゴンだ」
「では、失礼します」
敬礼と答礼が反復され、オイラー大尉は司令官室を後にした。
──一〇分後。
俺は副操縦士席にオイラー大尉を乗せ、DC3でパリ南東を飛んでいた。高度を二〇〇〇メートルまで上昇させ、ドラゴン召喚の科白を唱える。
「ラニウス、カムヒア」
ものの三〇秒も経たずラニウス──俺が所持するドラゴンが前方七〇メートル先に姿を現した。俺はそのままスロットルを開くと、ラニウスの背中に馬乗りになる形で侵入する。
ヌッペリとしたスライム状の間隔が肌を覆い、消える。DC3とドラゴンが融合を完了した瞬間だ。機内はジェット旅客機並みの静寂に包まれ、盗聴に対しても安全になった。これはドラゴンが最初期から持つ仕様の一つだ。
「さて、これで安全に話せるようになったわね」
オイラー大尉の声に俺は頷きつつ、応じた。
「それで、首尾の方はいかがでした」
「予想通り、けんもほろろ。ギザン将軍の名声もガムラン将軍には通らなかった」
「では、第二段階の方は?」
「そちらの方は予想以上にうまく行ったわ。聞いてみる?」
そう言って彼女は中指にはめた指輪をそっと撫でた。間髪を入れず音声が再生され、指輪から大尉の声が響く。
『ガムラン将軍、派兵数については後日、リンデベルン本国で検討課題としますが、派遣された部隊の運用についてはいかがお考えですか? 指揮統制の面から言って……』
『その件ならば、貴官等が我がフランスの危機と感じたとき、自由に動けばいい。少数傭兵に対する統率など、正規軍から見ればおよそ管轄外だ』
音声が途切れる。指輪はつい先日、ノアたちと共に立ち寄った武器商店『ジュエル』の老婆が薦めてくれたものと同じだ。オイラー大尉はせいせいした声を発した。
「これで、筆記命令なしで私たちはフランス戦を自由に戦う事が出来るわ」
「万が一、フランス軍に行動を咎められても、これを聞かせたら自由になるということですね」
「そういうこと。では、早速音声データのコピーをしちゃいましょう」
大尉に促されるまま、俺は左手にはめた自分の指輪を大尉のそれに重ねた。指輪が青色に発光し、微かな金属音を放つや、光が消える。
「これでよし。あとはコピー済みのそれを傭兵団のドラゴン部隊の間でコピーすればいいわ」
「ありがとうございます」
「私もあなたが来てくれて助かったわ。傭兵団まで出向く手間が省けたから。さあ、あとは参謀本部に行って……」
「そこで俺が機体を乗り換え、傭兵団に戻れば済むわけですね」
「そういうこと。兎に角今は、フランス軍の動きの鈍さをギザン将軍に伝える事が先決よ」
「偉い人の言うことにはかないませんよね」
「まったくよね」
諦観しきった口調で返すオイラー大尉は、参謀本部における経験もそこそこあるのだろう。だからこんな手を考え出し、朝一番に俺に電話で伝え、準備を整えた。
指揮官の人望だけで組織は動かない。
なぜなら、組織はそれ自身が自転するものだからだ。ましてやフランス軍は第一次世界大戦の悪しき戦訓から『機動ではなく防御に徹する事が勝利の王道』という認識を経て成長した。
戦車は集団で運用するものではなく、歩兵部隊の火力支援として分散して使うものという認識で一九四〇年代を迎えている。
リンデベルンのギザン将軍が彩夏たちの作戦案を受け入れたのは、そうした呪縛から解き放たれ、より柔軟に思考を巡らす伝統が参謀本部に根付いていたからだろう。
小さなため息をついた俺は操縦輪を握り直した。そのまま予定通り参謀本部に向けた針路を取る。
「では、またいずれの再会を。オイラー大尉殿」
敬礼をした俺は、スピットファイアマークⅤに乗り込み、エンジンを始動した。大尉が見守る中素早く離陸し、主脚を格納した。高度三〇〇メートルに達したところで再び召喚命令──。
「ラニウス・カムヒア」
そう告げてドラゴンラニウスとの融合に入った。
ちなみにラニウスはラテン語で「モズ」の学名だ。他にも「屠殺者」「肉屋」を意味する語彙でもある。
肌にスライムの感覚が走り、消え、融合が完了した。
俺は機首をリンデベルン王国ゼーレン基地に向けた。スロットル全開で飛べば三〇分ほどの距離だ。今は一刻も速く、ガムラン将軍が発した自由行動命令をノア、クレアの指輪にコピーしなければならない。




