□第二章──謎の人物②
偵察からリンデベルンに戻ったのはそれから四〇分後だった。
停止したスピットファイアから整備兵が偵察用カメラを取りだし、持っていく。それを眺めつつ、俺は首に巻かれたマフラーを緩めた。
そのまま士官室に向かい、中に入るとシャール少佐がコーヒーを飲んでいた。こちらに一瞥くれるや、
「ご苦労。無事戻ったか、彩夏」と言い、続ける。
「どうだった、フランスの様子は?」
「初めて飛んだので比較は出来ませんが、静かなものでしたよ。フランス空軍の迎撃は全くありませんでした」
「ふーむ……あのコースを飛んで動きなしと言う事は、情報部の言った通りの配置とみて正しいようだな」
情報部云々は気になるところだが、それより報告するべき事がある。俺は押えた口調で言った。
「フランス軍機には会いませんでしたが、ゲルマニアのBf109に追撃、銃撃を受けました」
「なに? それで、損傷は? お前自体は負傷しなかったのか?」
「幸い、回避機動がうまく決まり被弾を免れました。銃撃してきたBf109もこちらがリンデベルンと判るや、近くの広場に着陸を要請してきまして……」
「まさか、撃ってきた相手と地上で直接会ったのか?」
「そのまさかです。敵機の種類はBf109Fで、所属は武装親衛航空隊。相手の官姓名はラインハルト・ハイドリヒSS大佐でした」
「君はどう応じた?」
「官姓名以外伝えていません。しかし相手は、こちらが傭兵軍所属と見破っていました」
「その辺は、君の年格好を見れば見抜かれることだろうからしかたがない。他に何を話した?」
「ゲルマニアは外貨不足からリンデベルンの傭兵隊を雇えないこと。外貨の大半はタングステン購入の代金に充てていることを一方的に伝えてきました」
「なるほどな。その辺の事情はこちらも掴んでいるから構わず話したんだろう。それでハイドリヒとはどうなった」
「フランス戦が始まったら会敵するかも知れないと告げて、別れました。報告は以上です」
俺の声にシャール少佐は煙草を咥え、マッチで火をつけた。
「大物に出くわしたわけだが……君はハイドリヒをどう見る?」
「空戦の腕は確かです。離着陸も鮮やかなものでした。正直言って、戦闘機同士の戦いでは敵に回したくありませんね」
「フランス戦における我々の立場は恐らくフランス、ブリタニア軍の上空援護、制空権の獲得が主になるだろう。当然そうなるとゲルマニア軍もドラゴンを投入してくるから、それとの戦いになる」
「ドラゴン形態主体で制空戦を実施する訳ですね」
「そうだ。よってお前にはデンマーク戦で見せたような活躍を期待する。あとは……」
「ハイドリヒが指揮する武装親衛航空隊──SS空軍と鉢合わせしないことですね。ところでSS空軍はドラゴンを有しているのですか?」
「これについては全く情報がない。各国軍とも様々な形で探りを入れているか判らないのが実態だ」
「そうですか」
肩を落とす俺にシャール少佐は煙草を灰皿に押しつけつつ応じた。
「今回の戦いは、デンマーク戦以上に出たとこ勝負になる公算が高い。我が軍の参謀本部も頭を抱えているところだ」
「それで思い出しましたが、ニールスが書いた作戦想定原案はどうなりました?」
「至急の航空便で送ったが、少なくとも笑いものにはされてない。参謀たちはもちろん、最高指揮官のギザン大将も懸念の色を深めているらしい。一定の結論が出たら、参謀本部のオイラー大尉が知らせに来る段取りだ」
「と言うことは、今は待ちの姿勢ですね」
「そうだ。今のうちに休息を取っておけ。場合によっては、参謀本部に赴いて説明する事もあり得る。その時はニールスも一緒になるだろうから、彼にも伝えておいて欲しい」
「判りました。ニールスのところに知らせに行きます」
「頼む。こちらも何か進展があれば放送で呼び出すから、今は楽にして休息を取っておけ。以上だ」
「はい」
うなずいた俺は士官室を出た。そのまま真っ直ぐニールスがいる会議室に戻ると、部屋の中にはニールスの他、ノアとクレアもいた。
「フランスから戻って来たのね、シャール少佐への報告はどうだったの?」
偵察飛行の事を知っていたらしいノアが口を開き、クレアが続く。
「偵察飛行は無事に済んだの、彩夏? と、その前に飲み物が必要ね。コーヒーでいいかしら?」
「ありがとう。実を言うと喉がカラカラなんだ」
カップとポットを用意していたクレアがコーヒーを注ぎつつ表情を曇らせる。
「何かあったのね?」
「ああ……実は……」
椅子に腰掛け、コーヒーカップを受け取りつつ、俺はシャール少佐にした報告の要約を三人に語って聞かせた。コーヒーカップが空になる頃には説明を終え、肩をすくめる。
「とにかく、ハイドリヒとの遭遇には驚いたよ。大佐の地位にある軍の高官が、自ら操縦桿を握り、フランス上空を偵察していたんだぜ」
「国家保安本部長官、実質SSを動かしている存在だと考えれば、恐ろしくアグレッシブな男だね」
ニールスの声に俺は頷いた。
「しかも紳士だった。少尉に過ぎない俺に対して丁寧な口調で応じて来たんだ」
「なんだか恐いわね。傲岸不遜な態度に出られた方がまだ納得がいくわ」
「私もそう思います。思想弾圧や反乱分子の摘発をやっているSSの大物が丁寧な口調だなんて……却って恐ろしい」
「しかも約束を守って、彩夏を殺さず生かして帰したのでしょ。自分の存在が報告されるのを知って、それでも帰した。不自然よ」
「よほど自分に自信があるんだろうね。ヒムラーに次いで、SSナンバーツーの自信がそうさせているかもしれない」
ニールスの声に俺は頷いた。
「ああ……ゲルマニア軍がリンデベルン傭兵団を雇わない理由も話したし、外貨の大半がタングステン購入に使われている事も話した。自信がない者にはできない振る舞いだと思う。ところでニールスは、ハイドリヒが自ら偵察飛行に赴いた点をどう見る?」
「本格的な対フランス戦の実施が近いのだと思う。自分の指揮下にある武装SS空軍が充分に戦える地形か、警戒網の有無はどうなっているかを自ら確認するって事は、侵攻開始が近い事の現れだよ」
「やはりそうか……あとは、リンデベルン傭兵隊がどちら側に立って参戦するかだけど……」
「その件は、ほぼ一〇〇%連合軍側と見て間違いないよ。ハイドリヒが言った通り、ゲルマニアは外貨不足に苦しんでいて、傭兵団を雇うだけの余剰資金はないんだから」
「それを考えると、よくデンマークは傭兵団を雇えたね。どうやったんだ?」
ノアとニールスがそろって顔を見合わせ、肩をすくめた。
「王室の財産、金銀財宝の類を売却して調達したんだよ。だから、今のデンマーク王室が持つ宝物の類は七割方リンデベルンに渡っている」
「そういうことだったのか」
宝物の七割、将兵たちの命を引き替えにデンマークは一ヶ月の継戦を可能にし、他の連合国に侮られない地盤を造った。大戦の勝敗が連合国に傾いた場合、この投資は無駄にならず、効力を発揮する。それを一四歳の少年が考え出し、国王や参謀本部の同意を得た事実は、やはり驚きだ。
「ともあれ、ニールスの作戦案、想定マンシュタイン計画は参謀本部で検討中だから、今はゆっくり休息を取り、待てとのお達しだ。結果が出たら放送で士官室への出頭を呼びかけられるから、今はばらけて自室で休むことにしないか?」
「わかったわ、彩夏」
「そういうことなら仕方ないわね。ニールス、あなたも自室に戻って休んでいなさい」
「わかったよ。それじゃ彩夏……」
「ああ、呼び出しがあるまでゆっくり休もう」
そこで俺たちは解散となった。
ノアとクレアは女性士官区画に消え、ニールスは特別に与えられた個室に車椅子で移動……俺は、与えられた個室に戻り、ベッドに座りため息をついた。
心の中で彩夏に語りかけるのはいささか疲れるので、俺はひとり言の形で思いを口にした。
「さすがに疲れたな。午前中に作戦案を立てたと思ったら午後に偵察飛行、こっちの情報にないハイドリヒに直接遭遇し、撃墜されると思ったら着陸して直接対話。戻ったらそれを全部少佐に報告、休む暇がない」
(だから、今からゆっくり休んで沙汰を待つんだろ)
「まあな。と言うわけだから、少し眠っていいか?」
(ああ。しっかり休めよ。俺はその間に図書館を整理、資料の発掘に努める)
「それはありがたいな。SSナンバーツーの人物なのに、記憶に何の情報もないってのは明らかに変だ」
(だよな。普通、重要な事はしっかり記憶されるし、ど忘れするにしてもキーワードや何かのきっかけで思い出すものだ。名は知ってるけど、何をした奴か全然記憶にないって、明らかにおかしい)
彩夏の心の声を聞きつつ、俺の頭に睡魔が訪れてきた。瞼を閉じるや、圧倒的な眠気が全身を包み、彩夏の声が消失する。
俺はそれから泥のように眠った。
今、たとえ耳元で銃をぶっ放されても間違いなく眠っただろう。それほど俺は疲れていたのだ。




