□第二章──謎の人物①
「なんだこの展開は……!」
ロールスロイスマーリンエンジンの爆音響く中、思わず俺は怒鳴っていた。
スピットファイアマークⅤのコクピットだった。
バックミラーに敵機──黒く塗装されたBf109の姿がはっきり見える。速度計の針は六二〇キロを示している。スピットファイアマークⅤにとって全速に近い速さだ。
この展開は予想外だった。
落下増槽タンクを着け、航続距離を増したⅤ型でフランス周辺を偵察する。
計画案提出後、シャール少佐から受けた簡単な任務だった。国籍マークはリンデベルンのそれ──赤い■の中に白十字が描かれたものを使う。万が一、フランス軍機に発見された場合、全速で領空を離脱するのが基本プランだ。
それが今では、ゲルマニア軍のBf109に追われている。
Bf109Eなら引き離せるのに速度は互角……いや、向こうの方が優速だ。
俺は高速上昇をかけつつ半横転を決めた。天地がひっくり返り、頭が地面に向く。
そのまま操縦桿を目一杯引き、針路を一八〇度方向転換する機動だ。
この機動を取る狙いは高度と速度だ。
高度は大幅に下がるがその分速度を上げることができる。そうやってスプリットSで離脱しようとしたまさにその時、敵機がこちらと同じ挙動を以て食らい付いてきた。
次の瞬間、敵機の機首に発砲炎が閃く。
撃ってきた。
俺は高速横転をかけつつ敵機の射弾を回避する。
コクピット周辺を野太い曳光弾──二〇ミリクラスが音を立てて通過していく。エンジン軸に二〇ミリを積んだ新型戦闘機。間違いない。この敵機はBf109Eじゃない。噂に聞くF型だ。
だとしたらツマーチーフ曰く、上昇力はこちらより上だ。上昇すれば待ってましたとばかり有利な位置に付き、こちらに一撃与えるだろう。
「彩夏、どうしのぐ?」
俺は思わず声を発し助言を求めた。
年齢は一六歳と若いが、彩夏は一四歳から戦闘機操縦の訓練を受けている。二一世紀から精神転移した俺より実力は遙かに上だ。頭の中で彩夏の声が響く。
(高速旋回でやり過ごせ。高速時の旋回性能はスピットファイアが上だ!)
「わかった!」
俺は右のラダーペダルを軽く踏みつつ操縦桿を僅かに傾けた。同時にスロットルを全開にする。
スピットファイアマークⅤは五八四キロという水平飛行時の限界点に近い速さで回った。
対する敵機──Bf109F型は追従できずこちらをオーヴァーシュートした。咄嗟の高速旋回に追従できずこちらを追い抜いたのだ。
(今だ! スロットル全開で高度を取りつつ奴を追い詰めろ!)
頭の中で彩夏の声が爆発した瞬間、無線が意味ある音声を発した。
「そこのスピットファイア、聞こえるか? こちらは武装親衛航空隊のBf109Fだ。ここから五キロ先の北に着陸できそうな平原がある。そこに着陸しろ。こちらも降りる」
相手はリンデベルンの標準無線周波数で話しかけて来た。こちらの迷いを見透かしたように男の声が続く。
「君の所属はリンデベルンだな? 国籍マークを見る限りフランス、ブリタニアに与していない。我が国とは交戦状態にないはずだ」
「判った。着陸する。撃つなよ」
「そちらもな。では、地上で会おう」
無線で応じている間、旋回したBf109Fが視野に入ってきた。
機体全体が黒色に塗られ、垂直尾翼にルーン文字でSSの文字が描かれている。ニールスの言った情報通り、武装SS空軍の機体だ。
続いて平面──刈り込んだ芝生の周辺に小さな樹木の群れが見えてきた。
俺はスロットルを絞り、フラップを下ろし、主脚を降ろした。一周回り、障害となるものがないのを見て着陸する。
スピットファイアは芝生や平地を滑走路代わりに離着陸が可能、それだけ安定した着陸性能を持つ。対するBf109は、「八」字型の主脚を装備し、主脚間の間隔も狭いため離着陸性能がよくない。
それを考えるとBf109Fパイロットの腕はかなりのものだった。すんなりと着陸する。
相手の着陸を見定めた後、俺はマーリンエンジンをアイドリングのままにし、キャノピーを開いた。護身用の拳銃を携帯しなかった事を一瞬後悔するが、腹を決める。今の俺はリンデベルン空軍の将校としてここに立っている。そして、ゲルマニアとリンデベルンは交戦状態にない。
落ち着け。
心の中で言い聞かせつつ、地上に降りた。Bf109の方を見ると相手も既に降り、こちらに近づいていた。
かなり背が高い。文字通りの長身だ。
それが第一印象だった。彩夏の身長は一七五センチと、この当時の日本人にしては高い方になる。欧米でもこの数値なら平均的だろう。
相手の背の高さは二回りちがった。一八〇センチを優に超え、一九〇センチはある。
それでいて痩身の部類だ。飛行帽を脱いだ男の年齢は恐らく三〇代半ば。金髪碧眼、絵に描いたようなアーリア人種の美形だ。
男が一歩近づくにつれ気圧されているのが判った。
怯むな。
俺は内心に言い聞かせると、敬礼した。
相手が答礼する。軍隊同士の基本的な挨拶を終えた男は薄ら笑いを浮かべ、押えた口調で言った。
「随分と若い士官だな。リンデベルン傭兵隊の一翼と見たが、名は何と言う?」
「黒田彩夏少尉です」
「サイカ…サイカ……東洋系の面立ちといい、まさか、日本人か? 日本人に直接会ったのは初めてだ」
「あなたの官姓名は?」
「これは失礼。私はラインハルト・ハイドリヒ。今は、武装親衛航空隊所属で階級はSS大佐だ」
その瞬間、己の心臓がビクンと跳ね上がるのを自覚する。
ハイドリヒ。そう。名は知っているが、なにをしたのか判らないアンノウンな人物。心の中で彩夏に半壊図書館での調査を頼んだ男。
その当人が目の前に居る。
身長一九〇センチを超え、金髪碧眼の無機質な眼がこちらを見つめている。
「大佐御自らが操縦桿を握るのですか?」
「そうでなければ部下に示しがつかんだろう? 指揮官先頭は指揮の鉄則だ」
「そうですね。確かに統率においては必要でしょう。しかし、フランス上空でその指揮官が何をされていたのですか?」
「質問の後半をそっくり返そう。君はここでなにをしていた?」
「偵察です。ゲルマニアとフランスの決戦が近い以上、両軍、特にフランス軍に目立った動きがないかを偵察に来ていたのです」
ハイドリヒは小さくため息をついた。
「任務内容をあっさり告げるとは、いかにも傭兵らしいな。君が正規軍所属ならもう少しはぐらかすものだが……まあいい。情報収集は作戦、戦略の基本だ。リンデベルン軍も基本に沿って軍を動かしているということだな」
「小国とは言え一国の軍隊ですから」
「うむ。君が乗っているのはスピットファイアのⅤ型か。ブリタニア本国でも最新鋭のそれをリンデベルンが装備しているというのは、どういう絡繰りなのかね?」
「機体の出所、補充について私は何ら情報を持ちません」
「これも……本当らしいな。気に入ったよ。私は正直者を何より好ましく思っている」
ハイドリヒは微かな笑みを返し、続けた。
「我が国に外貨がもっとあれば、君をこの場で雇いたいくらいだ」
「外貨?」
「リンデベルンから傭兵部隊を雇うには、一定の外貨、もしくはゴールドが必要だ。それが結構な大金でね。現在の我が国は、外貨の大半をタングステンの購入に充てている」
その辺の知識は元いた世界でも同じだった。確かポルトガルからの購入だったはずだ。
「よろしいんですか? お立場のある方が一介の少尉にそのような……」
「公然の秘密という奴だよ、これは。ではな、サイカ少尉。縁があればまた遭うこともあろう」
「その時は、フランス、もしくはブリタニア派遣軍かもしれませんね。楽しみにしております」
敬礼と答礼が反復され、ハイドリヒを乗せたBf109Fは鮮やかに離陸していく。
こちらもスピットファイアの元に戻り、エンジンの回転を上げた。三分と経たず俺は高度六〇〇メートルに達し、周囲を見渡した。ハイドリヒの機影は見あたらない。どうやらブリタニア方面に機首を巡らせたらしい。
スピットファイアの高度を上げつつ、俺は心の中で彩夏に語りかけた。
『あれがハイドリヒ……妙なところで、妙な奴に出会ったな』
(ああ……少なくともニールスの情報にあった、武装親衛航空隊の指揮官がハイドリヒだと言う点は確認できた)
『他に情報は? 図書館の発掘はどうなっている?』
(探しているが、何しろ分量が分量だ。本の山を彷徨って探しているが、まだ見つからない)
『俺にとっては、相手の名前は知っているのに、なにをしたかの記憶がない相手は初めてなんだ。何が原因かな?』
(薬の副作用か、精神転移時のトラブルか。考えられる要因は幾らでもあるだろう)
『そうだな。すまないが、図書館の発掘を頼む。今の俺にとっては、お前からの情報だけが頼りなんだ』
(判っている。その分、身体の方はそっちに預けたからな、理人)
彩夏の心の声に俺は頷き、スロットルを開いた。
高度を更に上げ、予定されている偵察コースに機体を戻す。




