表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
48/49

エピローグ『ロストレンジ』-2

「それじゃあみんなー、また明日。遅刻しないでねー絶対」


 二年一組に復帰した神崎のテンションは、入院前とまるで変わらない。一斉に席を立った生徒達には、相変わらず彼女に対する尊敬の念は欠片もなかったが、誰もが担任とともに帰ってきた日常に、不思議な安心感を覚えていた。


 秋学期も一ヶ月が過ぎ、山間(やまあい)の蛇穴市では一足早く寒波の気配が漂っていた。

 九条学院では十月下旬に石油ストーブが搬入されるが、毎年それに見合う冷え込みがやってくる。生徒達がカーディガンやブレザー姿で登下校する姿は、短い秋の風物詩になっていた。


 五限目半ばに訪れた睡魔に気を許してしまい、綾は腕と胸をクッション代わりにして、長い夢を見ていた。


 大昔、人里離れた山奥に住んでいた間抜けな大男と、その男が助けた美しい娘の話である。それは、幾多(いくた)の誤解と偶然が今の自分を作り上げたという、奇跡のような物語だった。


「……あーあ。もうみんな帰っちゃったか」


 薄目を開けた綾は、小さなあくびを噛み殺す。


 珍しく、睡眠中に大輔のセクハラはなかったらしい。このところ、彼の態度が以前とは変わってきているような気がするが、あれは『どっちの自分』が原因なのだろうかと、綾はとりとめもない事を考える。


 金曜の放課後だが、今日はこの後の予定も特にない。

 綾はいまひとつ眠り足りなかったが、それまで頭を支えていた二の腕が、じんわりと痺れたので、仕方なく起きることにする。しかし、彼女が椅子に座ったまま大きく伸びをしたところ、ブレザーが引っ張られて、少し胸が苦しかった。


「いや、これ以上はちょっと困る……」


 最近、また大きくなっている気がしてならないのだ。


 ドアも窓も閉め切られている。ひどい話だ、と、綾は小さく逆恨みした。適当を地で行く神崎はさておき、香織や岬にまで置き去りにされるとは思っていなかったのだ。


 誰もいなくなった教室で、綾はあの日と邂逅(かいこう)していた。


 ……なぜ、朝霧綾がアンゴルモアの正体に気付いたのか。

 それがどうしても知りたいというので、一度B面の世界に戻った綾は、日高とリョウに一から説明をする羽目になったのだ。黙して去る、というハードボイルドな最後は、彼女には許されなかった。


 ところで、拳法の型稽古というものは、感覚的には音無しのラジオ体操と似ているところがある。

 どの動作をしたら、次に来る動作はどれか、という手順が整然と決まっているのだ。そして武道における高度な型稽古ほど、その手順や分岐の組み立てが重要視される。

 これを念頭に置いて、白仙と、その歴史を照らし合わせると、次のような仮説が生まれるのだ。


 白仙の開祖、朝霧絶命斎には片腕がなかった。

 つまり、彼に武術を伝授した〈白蛇〉は、片腕でも戦えるよう、『専用にカスタマイズした白仙』を開発したはずなのだ。そして史実では、絶命斎は江戸から蛇穴の地へ戻った際に一人息子をもうけ、これを育てた、とある。


 現在朝霧家に伝わっている『白仙』は、絶命斎が〈白蛇〉に習ったものではなく、『白仙』の二代目として生まれた『健常者の息子』が完成させたものなのだ。

 ちなみに二代目が生まれた時には、まだ〈白蛇〉は存命だったと文献には記述があり、両手を使う白仙の伝授は絶命斎ではなく、〈白蛇〉が直接が行ったものだとされている。

 

 アンゴルモアが白仙に似た技を繰り出した時、綾は『伏竜(ふくりゅう)』という別の技で弾き返した。あれは、二代目以降の継承者に伝授された、()()()()()()()()()()()

 

…………あとはもう、お察しの通りというわけだ。


「――――、綾ぉー、帰らないのー?」


 聞き覚えのある声につられて綾が振り向くと、香織が教室へ戻ってきていた。その後ろから、今日は部活もないのに陸上部のジャージを羽織った岬が、こちらを覗き込んでいる。


「爆睡してたもんな、アンタ。寝る子は育つとかなんだとか言うけどさ、それ以上胸でかくしてどうするつもりなんだよ? つうか、ちょっとは遠慮しろってその胸。マジで」


 藪睨(やぶにら)みする岬が、最近大輔にフラれたらしいという極秘情報を綾は得ていた。

 そのせいか、近頃彼女は綾に対して、少々物言いがキツいのだ。察しの良い香織も、こういう時にかぎって綾に助け船を出すような気遣いをしないのだから、人間関係というものは複雑怪奇である。


「あ、うん。帰る。帰るよ」


 鞄を手に取って、綾も小走りに教室を出る。

 B面の世界では激闘の記憶しか残っていないこの廊下も、A面の世界ではありふれた日常の一部だった。不意にそんな感慨に(ふけ)りそうになるのを、綾は適当な話題でごまかすのが、ここ最近の習慣になっている。


「冬服買いに行きたいなー。綾、今度どっか見にいこうよ。コートとかさー」

「ごめん、コートなら間に合ってるんだ。むしろ服なら部屋着の方が……」

「ふぅん、それってアレか? 日高からもらったプレゼントとか?」

「違う違う、そんなんじゃないって。別の友達からもらったやつ」


 顔の前で手を振るリアクションをすると、両脇を歩くクラスメイト達の痛い視線が注がれた。こういう話題になると、綾はやたらにいじられてしまうのが困りものだった。


「まーた、新しい男か……」

「うーわー、日高君かわいそー」

「あんたらね……」


 ただ、この頃は綾も、日高をネタにからかわれるのに慣れてしまっている。それも事実だった。

 それとなく階段を降りていると、綾の顔色を伺っていた香織がぽつり、と尋ねてくる。


「……綾はさー、寂しくないの?」

「へ? 何が?」

「おいおい、ごまかすなよ朝霧~。日高の事に決まってるだろ?」

「……ああ、それね」


 転校生日高颯太は、転入からわずか二週間ほどで九条学院を去っていった。理由は父親の仕事の転勤。……それが、表向きの話である。

 彼は今、A面の世界にも、B面の世界にもいない。


 あの日、最後にリョウをB面へ送り届けた後、綾と日高は始まりの児童公園で別れをすませた。

 A面の世界ではそろそろ、『日高颯太』という高校生の失踪事件が、表沙汰になる頃かもしれない。しかし、真実を知る者はけして現れないだろう。

 綾でさえ、今の彼とは連絡を取り合う事もできないのだ。


 身の安全を確保する為に“並行世界の自分を殺す”という異例の殺人を行った日高は、越えてしまった一線を取り戻す為に、時空の彼方へ消えた。

……今回の事件が起こった最原点、アンゴルモアを救いに行くと言い残して。


 日高颯太のセカンドスキル“転移”の能力は、特定人物の世界間移動だけではなかった。四百年前に飛ばされたと思われるアンゴルモアの例を見る限り、時間移動能力も兼ねているはずなのだ。

 ただし、日高によると、その移動位置は『スタート』も『ゴール』も、この蛇穴市の中だけに限定されるという特性があるらしい。


 日高は〈蛇〉に出会う前の段階で、〈人間の娘〉を救うと言っていた。

 

 ちなみに、綾は彼の意見に断固反対した。その考えは、今も変わっていない。

 仮に、日高が自分の能力で過去へ逆行し、〈人間の娘〉を助け出したとしても、〈蛇〉が別の〈人間の娘〉をアンゴルモアにしてしまう可能性があるからだ。

 そうなると、彼は百八つの世界にいる全ての〈人間の娘〉を救わなければならなくなる。


 もう一つは、日高が編集した過去の情報が、現代に生きる綾の世界へどうフィードバックされるのかという問題だ。仮に過去のアンゴルモアを救う事が、現代の白仙消滅にダイレクトに繋がってしまうと、そこに至るまでに白仙と関わってきた者の人生が狂ってしまう。


 そして最大の問題は、日高自身の罪が、どんな善行を積んだところで消えはしないという事だ。


 同じ顔の他人を殺した贖罪(しょくざい)を、彼はどう付けるつもりなのだろうか。

 綾はそこまで突っ込んだ質問が出来なかった事を、今になって後悔していた。


「あたし達は付き合ってたわけじゃないけどさ。日高にも、色々あると思うんだ」

「……そっか。ゴメンねー、変な事()いちゃった」


 香織も理由が分からないなりに、微妙な空気を読んだらしい。


 いまや、この世界で事件の真相を知っているのは、朝霧綾だけだった。

 非常勤講師、山崎哲夫は失踪した事になっている。決戦の翌日、職員室にあった彼の机には何も残されていなかった。そればかりか、彼が借りていたというアパートも存在しなかった。

 彼に関する噂は九条学院の中ではタブーになり、いつしか口にする者もいなくなっている。


 すべては、終わったのだ。


「……いや。まだ終わってない」


 唐突に、綾はそれに気付いた。



「どした? 朝霧」

「なーに、綾?」

「ごめん岬、香織。やっぱり先に帰ってて。忘れ物してきた」


 二人の返事も聞かず、綾は駆け出していた。


◆     ◆     ◆


ここまで読んで下さった読者様、ありがとうございました。


感想・レビューなど頂ければ幸いです。

ブックマーク、高評価もぜひお願いいたします。


お待たせしました。

次話、最終回です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ