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エピローグ『ロストレンジ』-(最終話)

「……今、なんて……?」


 綾は一瞬、相棒が何を言ったのか分からなかった。


 大通りの方からは、いくつものサイレンが聞こえている。パトカーや消防車が次々に学院へ向かっているという事は、どうやら、大輔と町田がうまくやってくれたらしい。


 B面の世界に戻ってきた二人は、始まりの児童公園にいた。

 日はすっかり暮れており、彼女達を照らすのは心もとない街灯だけだ。LEDの淡い輝きが、二人の赤髪を優しく通り抜けていく。この髪のせいで色々と苦労もしたが、綾はもう一人の自分がこれで見納めになるのかと思うと、彼女の姿をこの目に焼き付けておきたかった。


 日高には、席を外してもらっている。リョウが「これで最後になるから」と言うので、気を利かせた彼は、二人から離れたベンチで話が終わるのを待っていた。

 そういうわけで、綾とリョウは女同士の内緒話をしていた、のだが……。


「だーかーら、好きなんでしょ? 叶のこと」

「なっっななななんで、そーゆーハナシになるのよッッッ!?」


 一瞬で顔が熱くなるのを、綾は必死にごまかした。


「そりゃあね。ここまでの話聞いてれば、誰でも気付くって。………で、どうすんの? アンタとアタシ、()()()()()()()()()()()()()()?」


 リョウは本気のようだった。

 日高の“転移”でデッドワールドから脱出し、B面の世界までやってきたのが五分前。ここでリョウと別れ、日高が綾をA面の世界へ送り届けた後は、もう並行世界を行き来する手段はない。B面の世界も、彼女にとってこれが見納めになるはずだった。


「ここで帰ったら、アンタは二度と『こっちの叶』には会えなくなる。そうなってからじゃ、もう遅いんだ。アタシの事はいいから、B面に残りなよ」

「あ、あたしは……」


 考えた事も、なかった。

 

 日高殺しの犯人を、最後まで追い続けていた大輔。

 別世界から来た綾を、信用してくれた大輔。

 命を助けられた事もある。半ば無理矢理事件に巻き込まれた形だったにもかかわらず、それでも彼は綾を裏切ることなく、最後まで付き合ってくれたのだ。


……確かに、朝霧綾は、B面の叶大輔が好きなのかもしれなかった。

 だが、それはきっと()()

 自分の本当の気持ちではないと、彼女は思った。


「……やっぱり、いい。あたしはA面に戻るよ」

「ちょっと、本当にいいの? マジで会えなくなるんだよ?」

「うん。それでいい」


 なぜ日高颯太が今回の事件に『朝霧綾』を巻き込んだのか、綾には分かった気がした。

 町田のように自分を守らせる為でも、まして、日高殺しの目撃者を殺したかったわけでもないだろう。きっと、彼が話していたリョウの恋愛遍歴すらも、デタラメに違いない。


 日高颯太はただ、『朝霧リョウ』の事が――。


「っと、忘れてた。これ返すよ。A面の世界に落ちてたんだってさ」


 コートのポケットに入っていた銀のピアスを、綾は相棒に差し出した。


「ああっ、それ! 紛くしたと思ってた……。ありがと。これ気に入ってたんだ」


 流したままの髪を()き上げて、リョウは慣れた手つきでピアスを左耳へ留め直す。その仕草が、存外大人びていて、綾は少しまごついてしまった。


 ベンチがある辺りで、小さな影が手を振っている。待ちくたびれた日高が、そろそろ綾をA面の世界へ戻したがっているようだった。彼に負担をかけて、“転移”のセカンドスキルに影響が出てはまずいので、いい加減、綾も自分の世界へ帰る決心をする。 


 綾は、ここまでずっと袖を通してきたコートを脱ごうとして、……やめた。


「あのさ、リョウ。……このコート、そのブルゾンと交換しない?」

「……いいよ。アタシもこれ気に入ってるし、交換だね。それに――」


 それ以上は、言わなかった。あえて握手もしなかった。

 ただ、お互いに笑うだけ。


 だから綾も、リョウも、相手の笑顔だけを思い出にした。


◆     ◆     ◆


 九条学院の放課後は、運動系の部活で溢れ返っていた。

 陸上部も練習をしているが、リレーメンバー入りが確定した岬は、明日の試合に備えて今日の練習は休むよう指示されていたようだ。威勢の良いサッカー部や野球部の掛け声が、整備されたグラウンドに行き交っていた。


 綾は校舎の中には戻らず、中庭を迂回して武道場の方へ向かっていた。


 剣道部は先月の試合後に、代理顧問を務めていた山崎の失踪というスキャンダルによって、活動停止状態になっている。学院に復帰した正顧問の神崎も、すぐに部活を始められるような体力はなく、大人の事情で活動再開はまだ先になるらしい。当然、部員達は毎日遊びたい放題だった。

……ただ一人の、例外を除いて。

 


「大輔? まだ練習中?」



「ああ? ……なんだ、綾か」


 武道場の外に設置された冷水器で喉を潤していたのは、袴姿の大輔だった。

 綾より高い上背もあって、胴着がよく似合う。ハンドタオルで顔を拭く大輔は、ここ最近、どこか綾に対してよそよそしい態度をとっていた。


「ただの小休止だ。すぐに戻る」


 大輔はやはり素っ気ない。

 綾は少しだけ気まずい気持ちになりながら、道場の中を覗き込んだ。


「……あのさ」

「なんだよ」

「――、今度、どっか遊びにいかない?」

「……は?」


 珍獣を発見したような顔をされた。

 当然といえば当然だった。今まで、大輔が綾を誘う事はあっても、その逆はあり得なかったからだ。

 思い切り走ってきたせいで、綾の背中には薄汗が(にじ)んでいる。壁に立て掛けてあった大輔の竹刀を手に取って、恥ずかしくなるのをごまかして笑うと、彼女は一度だけ、静かに深呼吸をした。


「なんか、さ。急に馬鹿らしくなっちゃって」

「意味わかんねえ。何の話だ?」

「あ、あたしはさ……。あんたの事、嫌いじゃないんだ」


 言いながら一振りすると、竹刀はその剣先へ綾の気を渡らせた。

 大輔はまだ、しかめっ面である。


「色々考えた。どうしてあんたの気持ちに答えてあげられないのか。告られても、告られても、なんで好きとも嫌とも言えないんだろうって」

「……」

「友達だったんだ、大輔は。香織と同じくらい大事な、友達だったんだよ。だからその関係を壊すのが怖くて、あたしはずっと、返事を曖昧(あいまい)にしてたんだ……。と、思う。たぶん」


 友達としての距離を無くしてしまうのが、怖かった。

 香織や岬と同じように、綾は大輔にも等分の距離感を保っていて欲しかった。


 リョウの言う通り、確かに綾は『B面の大輔』が好きだった。しかしそれは、今まで彼女のそばにいた、『A面の大輔』と過ごしてきた時間を踏まえた上での『好き』だったのだ。


 名前は同じ『叶大輔』でも、彼らは全く違う人間である。


「でも、それってすごくひどい事だよね。自分に都合の良いルールしか使ってない。そういうのは、ずるい。……だからそれに気付いた時、あたし、あんたに謝らなきゃって思ったんだ」

「別に謝らなくてもいいだろ。俺は、全然……」


 気にしていたから、最近妙な態度を取っていたくせに、大輔はそんな事を言う。


「あたしはケジメの問題なんだと思う。今まで大輔を(ないがし)ろにしてきたから、その分は返さなきゃ、って。だからさ……。付き合うんじゃなくて、デート」

「……律儀な奴だな」

「順番に、一つずつでもいいじゃん。好きになったり、嫌いになったりは、その後でもできるでしょ? あたしはそういうのがいい。……ちゃんとあんたの事、見て、知って、決めたい」


 綾はあの夜のように、大輔に右手を差し出していた。


「どうせまたセクハラするぞ、俺は」

「そう? あたしはもうやらないと思ってる」


 今までの大輔は、態度をはっきりしない綾にちょっかいを出して、構って欲しかっただけなのだ。だから、日高とリョウが仲良くしているのを見てからは、きっぱりと諦めて、セクハラをしなくなった。


 あるいは、彼だけが、『B面のリョウ』と『A面の綾』に見分けが付いていたのかもしれない。

 そう思うと、綾はなんだか嬉しかった。


 ここにはもう一人の自分も、B面と呼んだ世界の住人達もいない。


 日高の“転移”がなくなった今、彼らとの接点は完全に失われてしまった。

 永遠に縮まらない距離を背負って、綾だけがA面の世界で生きていく。


 その事実に、彼女は寂しさを感じなかった。

 記憶という繋がりがある限り、彼らが綾の中から消えてしまう事はない。

 いつかまた再会する、そんな未来もあるだろう。そうなる可能性を綾は信じていたかった。


 逃げて、逃げて、逃げ続けて。帰る世界すら無くしてしまった日高でさえ、そこから一歩を踏み出したのだ。

 何かを目指して踏み出した一歩なら、例え失敗しても、それは前進に違いない。


 穏やかな温もりの中、ぎこちなく踏み出す始めの一歩。

 その先には何があるのか。

 

 綾はそれを知るために、自分の手を握り返した彼を見た。

 そして、



「ありがとう、大輔。あたしも――、今度はちゃんと、あんたを好きになりたい」



 心の距離を少しだけ、ゼロに近づけた。 




 ここまで読んで下さった読者様、最後まで本当にありがとうございました。

 

 子供の頃は、時間は無限にあるように感じていました。しかし大人になると、人様の時間を戴くという行為は、私には非常に重く受け止められます。

 これだけの文量を読むのに費やした時間に見合う何かを、読者様の中に残すことができたなら、私にとってそれ以上のことはありません。


 本作は、およそ十五年前に私が書き下した、原題『ロストレンジ』のリライト作品となっております。本来は私のPCの中で消えていくだけだったデータでしたが、こうして皆様に読んで頂く機会を得たことは、非常に嬉しく思います。


 今後の活動については、本作と同じくライトノベル作品『モノガミ』の掲載を予定しております。つきましてはブックマーク、高評価もぜひお願いいたします。



 最後に、繰り返しとなりますが、ここまでお付き合い頂きました読者の皆様、本当にありがとうございました。

 今後とも、よろしくお願いいたします。



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