第5話『整合する事情たち』-12
「さっき、理性を保ってるって言ったけどさ、取り消す。狂ってるよ。あんたは」
机上の空論に固執するアンゴルモアの姿は、綾には狂人以外の何者にも見えなかった。
「予言をリセット? あたしとリョウを殺しても、『予言』が外れる根拠なんてどこにもない。逃げてるだけだよ、それじゃ――」
「一万年だッ!! 解るか小娘ッッ? まともなヒトの一生を百度繰り返しても、なお百年以上の釣りが出る悠久の刻。それを私は、この死に絶えた世界で過ごしてきた。その苦しみが貴様に理解できるかッッッッ!?」
振り払った拳圧だけで、人間大のコンクリート塊がゆうに十メートルは飛ぶ。もの凄い勢いで飛来するそれを、白仙使いは蹴り返したが、同時に走り出していたアンゴルモアは、すでに瓦礫の山の半ばまで来ている。
世界の終りまで、残り、五分――。
倒壊した廃ビルの真上で、超常的な破壊劇が始まった。
地面に向けてアンゴルモアが張った拳の弾幕が、足元の瓦礫を次々に空中へ吹き飛ばす。その、投げ出された瓦礫の破片を足場にして、赤髪と銀髪は空中戦を開始した。
『天翔運足』を使って、地面と逆さまになった綾は、頭上のアンゴルモアに『竜尾』の蹴りを放つ。銀髪の女はこれを悠々と受けてみせ、その片足を掴んだまま、空中浮遊している瓦礫に向けて彼女を振り回した。
とっさに頭を庇った綾の二の腕に、鈍い痛みが矢次ざまに刻まれた。しかし攻撃はなお終わらない。アンゴルモアは綾の足を離さず、そのまま瓦礫で竜巻が発生するほど回転をかけて、ハンマー投げの要領で白仙使いを上空に発射した。
巨大な竜巻の目に入った綾は、強烈な遠心力で意識がブラックアウトしそうになるのをなんとか堪え、次撃に備えた。 真下から、『蹴り』がくるからだ。
「……?」
はたして、アンゴルモアの『蹴り』は綾の真下からやってきた。
防御態勢に入っていた自分の懐へ女の脚を引き込むと、綾はカウンターの肘打ちを胸部へ炸裂させる。白仙『砕星』。足場のない状態から放つ肘打ちで、胸骨を叩き割られたアンゴルモアは、猛スピードで地面に戻っていく。
激突音と着地音。
その二つが聞こえる頃には、空中の瓦礫は全て吹き飛んでいた。
残りの瓦礫に埋まったまま、アンゴルモアは動かない。さすがに今のは効いたようだった。
「……やっぱり、何かがおかしい」
不死身の怪物を相手に快挙を成し遂げた綾は、今のやりとりに新たな違和感を持っていた。
この世界に関する事もアンゴルモアの理由も、ほぼ全て理解した。それなのに、これ以上何が引っかかっているのか、それが分からない。
今の接近戦で感じた違和感、……というよりも、綾にとってそれは既視感に近いものだ。予定調和とでもいうのか、これまで幾度も繰り返してきたような、台本を知っている演劇観賞に似た気分だった。
相手が自分を殺しにかかってきているのに、肝心の危機感が綾の中にない。なぜ大輔や岬に感じた『恐怖心』を、出会った中では間違いなく最強のアンゴルモアには感じないのか。
瓦礫の山から離れた綾は、気絶したリョウを助けに戻る。
案の定、建屋の屋上で気を失っていたリョウを担ぐと、白仙使いは廃墟の街の大通りに出た。気の遠くなるような急勾配の坂が、小高い丘の上まで続いている。その先には砂の山並み。
坂の下の遙か向こうには、砂洋が広漠と存在していた。
地形だけみれば、この世界はまるで――。
「!? そういうことか……ッ!」
その光景が、朝霧綾を解答へ導いていた。
「う、ん……? ああゴメン。アタシ、また……」
「大丈夫?」
リョウが薄目を開けたので、綾は彼女を担ぐのをやめ、肩を貸す。
ブルゾンとコートの後を嗅ぎ付けて、猟犬と化したアンゴルモアが現れたのはその時だ。
制限時間は残り五分の宣言から、三分が経過している。残り二分、その間にアンゴルモアは必ず二人を殺さなければならない。できなければ、彼女を待つのは正真正銘の地獄だ。
見慣れた坂を駆け上がってくる銀髪の女を、二人の朝霧綾は見ていた。
「終わりだよ、アンゴルモア。あんたが暴れる理由は、もう完全になくなった」
アンゴルモアはもはや聞く耳を持たない。
彼女はただ叫びながら、獲物に迫るだけだった。
その時、綾が呟くのを、真横にいたリョウは確かに訊いていた。
“横に飛んで壁を蹴る”、と。
言葉通り、アンゴルモアは横飛びに跳ねて廃墟の壁を蹴った。次の瞬間、彼女は斜めに飛んで襲来する。……そして飛んでくるのだ。あの、超神速の狂拳が。
綾は相棒に貸していた肩を離すと、腰を限界まで低くして、白仙を構えている。
「……変なの」
相棒の『構え』を見て、リョウはそう言わずにはいられなかった。
その『構え』は違うだろう、と。
五指を広げ、正面に照準を合わせ、綾は半身になる。
だが、いつもは後ろでだらりと下がっているはずの逆手が、今は違った。逆手は腰に添えられている。見えない何かを引き取るようなフォーム。まさに射撃手の、“抜き打ち”の体勢なのである。
決着の刹那、朝霧綾のハンドスピードは、人間の知覚限界を突破していた。
拳と拳が激突する。だが本番はそこからだった。地面を噛んだ白仙使いの足元が、十センチばかりも陥没すると、前人未踏の力が起爆する。
――白仙、『伏竜』。
かち合った拳面で生まれた衝撃が、後出しした綾から、先に手を出した銀髪の女へ逆流した。
「な……、何故、だ――――ッッッッッッッ!?」
二人を中心に巻き起こった衝撃の渦が、散乱する瓦礫をまとめて吹き飛ばす。朝霧綾に、力では圧倒的に勝るはずのアンゴルモアをも呑み込んで。
これが妖拳法白仙の真骨頂、対空抜拳術。己の脳を操作して、各神経系に行き渡る生体電流を調節する。その結果超人化した筋出力と、人間規格外の気功容量にものをいわせて、雲さえ砕く衝撃を、その拳で叩き込むのだ。
当然の結果に、白仙使いはただ嘆息していた。
「……今のは、『伏竜』っていう技なんだけどさ……って、言っても、あんたには分からないか」
綾は説明の余地を放棄した。アンゴルモアが自分で気付かなくては意味がない。
この後、一体何が起こるのか。それを理解してしまった朝霧綾の『予測』には、銀髪の女が独力で辿り着かなければ、意味がないのだ。
坂の上方に吹き飛んだ女は、三つ編みに編んだ銀髪を解れさせて立ち上がった。
「考えてアンゴルモア。あんたが自分で考えなきゃ、あたしはなにもを教えてやれない」
「いやだ……。一人は、い、嫌……だ」
アンゴルモアを名乗った〈人間の娘〉は、無限の恐怖に駆られて疾走した。
宇宙を彷徨う孤独など、一秒たりとも耐えられない。一万年も続いた驚異の忍耐は、他人という来訪者によって、いとも容易く決壊してしまった。
だからこそ、彼女はあれほど饒舌に、綾との会話を楽しんでいたのだ。
そこまで理解していながら、アンゴルモアは自ら孤独になろうとしているという矛盾から、目を逸らしていた。逃避する事だけに固執した。
孤独に恐怖する、孤独から逃げる、逃げる為に殺して孤独になる、その孤独に恐――――。
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ―――――――――――ッッッッッッッッッッ!!!!!」
一万年分、絶叫した。
聞いているだけで咽が壊れそうな悲鳴が、空気を強震させながら爆散していく。
「綾、どうにかしてアイツを助けてやれない? アタシ達には助けてやれないの?」
すがり付いてくる同じ顔に、綾は目を伏せたまま首を振った。
「無理だよ。あたしにもあんたにも、できる事なんてもうない」
二人の前には、狂った〈人間の娘〉がいる。涙でくしゃくしゃになった顔の向こうに、もう、わずかにしか見えなくなった太陽を背負って。
「死ねええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ!!」
「……それができるのは、『あいつ』だけだから」
綾の心臓目掛けて突き絞った、必殺の貫手。
それが届く前に、
「え?」
――――、アンゴルモアは、光の彼方に消え去った。
砂塵が坂の下へ流れていく。寂寞の砂洋が広がる廃墟の果てに、赤い、赤い太陽が沈み切っていた。予言の時がきたのだ。
女を飲み込んだ光の残滓は、訪れた夜闇に吸われて消えた。
荒野同然の廃墟の街には、二人の『朝霧綾』だけが残っている。
「なに、いまの……? 何が起こったの?」
まだ事態を把握できていないリョウは、半ば混乱状態である。一方、光の残滓を見届けた白仙使いは、瞳に焼き付けた銀髪の女の顔を思い出し、やりきれないような思いに駆られていた。
並行世界の果て、デッドワールドに新たな『来訪者』がやってきたのは、その時だった。
「…………逃げて…、逃げて……、逃げて……」
肩を貸し合う彼女達の後ろから聞こえたのは、ソプラノだった。足音から察するに体重は軽そうで、今しがたの声色と合わせて考えると、おそらく小柄な人物に違いない。
「――、最後に、僕はここに来たよ。朝霧さん」
朝霧綾が二人同時に振り向くと、すべてから逃げ出したはずの少年が、寂しそうに笑っていた。
「日高!? なんでアンタが……。もしかして、綾はこうなるのを知ってて?」
「確証はなかったけどね。でも、どうやら予想に誤差はなかったみたい」
力なく苦笑いする綾を見て、リョウも多少事情が飲み込めたようだった。
「日高の“転移”でアンゴルモアを別世界へ飛ばしたのか。でもその世界で、もし奴が……」
「あいつが別世界で暴れる事はもうないよ、リョウ。絶対に、ない」
「ずいぶん自信ありげに言うね、朝霧さん。さっきのはいきなりだったから、“転移”させた僕にも、あいつがどこに行ったか判らないんだよ?」
光の彼方に消えたアンゴルモア。その『行き先』は、朝霧綾だけが知っている。
デッドワールドには、“滅び”が訪れようとしていた。
北極星を中心に広がる星界図が暗転を始め、空が徐々に死んでいく。三人がいる坂道の、遙か下にある砂洋の向こうからも、“滅び”の闇が押し寄せてきていた。
人間の娘が、一万年かけてこの世界に刻み込んだ痛みの記憶を、闇が塗り潰していく。
この闇の浸食こそが、〈蛇〉が最後に残した予言の正体だったのだ。
「ほら、あんた達もぼーっとしてないで。帰るよ」
墨汁に浸されていく半紙の光景に見取れていた二人は、綾に背中を叩かれて我に返った。
彼女達は互いに眼を合わせて頷き合うと、軽く手を繋いでいた。誰かが不意に力を入れただけで、あっけなく切れてしまいそうな心もとない繋がりを、三人は確かに共有する。
坂道のスタート地点に、薄明かりが灯った。
「……やっぱり、ヒーローだったね。あんたは」
「ああ。一度に二つも世界を救うヒーローだ。……アンタは」
「い、いや、僕は……」
赤髪の少女達に流し見られた日高は、恥ずかしそうに俯いた。
風は、もうない。破壊された廃墟の街並みは、闇に浸かる寸前だった。
「……ねえ日高」「…あのさ日高?」
二人は同時に切り出し、どっちの話を聞けばいいのか迷っている日高に向けて、
「「ありがとう。信じてた」」
赤髪を揺らして、笑った。
第五話 終
ここまで読んで下さった読者様、ありがとうございました。
感想・レビューなど頂ければ幸いです。
ブックマーク、高評価もぜひお願いいたします。
それでは、この後もお楽しみ下さい。




