第5話『整合する事情たち』-11
荒廃したビルの屋上から、三人は錐揉みしながら墜落していた。
落下を続ける白仙使いの蹴りが、すぐそばに迫っていたアンゴルモアを直撃する。しかし、側頭部を打ち抜いた回し蹴りをもろともせずに、銀髪の女は綾の利き足を自分の頭から引きはがし、その下でセカンドスキルを構えていたリョウへ投擲した。
生身の人間が、槍のように飛んでいく。
かろうじて反応した綾が空中で軌道を変えて、リョウより先に地面へ落ちた。
「痛――ッッッ!」
回転着地で受け身を取りながら、綾は勢いそのままに立ち上がる。だが、白仙使いの超反応は終わらない。遅れて墜落してきたもう一人の自分を両手で受け止めると、彼女は足場の悪い瓦礫の上で、その衝撃を完璧に殺し切る。
そこから一瞬の間を置いて、二人が元いた地点へアンゴルモアが降ってきた。
瓦礫の山の中央部に、火口のような大穴が開く。普通の人間なら死ぬところだが、そこは不死身の完全存在、かすり傷一つ負わずに起き上がってくるのだった。
「ごめん! 足引っ張った!」
「気にしない!」
リョウが言い、綾は首を振る。二人は街の表通りへ駆けだした。
「させると思うか?」
銀髪の女は廃墟の壁を蹴りつけると、空中で身を反転させながら、先を行く赤髪へ突進した。跳弾じみたその動きの激しさに、耐久年数をとうに越えた建造物は、衝撃を吸収できずに崩壊していく。
獲物までの二十メートルを数歩の壁走りで詰めたアンゴルモアは、先に追いついたリョウの肩口に手套を打ち込み、さらに綾の側面に回り込んで、拳を叩き込む。白仙使いは即座に衝撃の方向をずらしてパンチをやり過ごしたが、彼女はそこから反撃するどころか、硬直してしまった。
今のアンゴルモアの“動き”が、捨て置けないものだったからだ。
「て、天翔運足!? ウソでしょ?」
白仙、『天翔運足』。たった今、この銀髪の女がやってのけた曲芸が、綾にはそう見えたのだ。
あの技は、市街地で綾が一度見せただけである。あれだけで、白仙の技が盗まれたのだ。
驚きに言葉をなくす白仙使いを、アンゴルモアはわずかな否定で窘めた。
「貴様の動きを真似たわけではない。この不死の肉体を慣らすのに、時間はたっぷりあったからな。参考までに、私がこの世界にいた時間を教えよう。約、一万年だ」
「いッ、一万って……ッッ!?」
一万年前。日本史では旧石器から縄文時代に区分されるような超古代である。
しかし、綾が本当に驚くのはここからだった。
「何を驚く事がある? 異なる並行世界同士の時間の流れが一致しているなどと、誰が決めた? だがな。世界の構造自体は、貴様等が想像しているよりもずっと単純な造りをしているぞ。……そうだな、貴様等の文化で例えるなら、エレベーターと近い概念になるのか」
よく分からない例えに、綾も、その場にかがみ込んでいるリョウも困惑した。
世界が、エレベーターと同じ構造をしている?
「ただのエレベーターではない。それぞれの籠が生物世界を内包し、下から上へ、つまり過去から未来へ向かう時間の流れをもっている」
「なるほどね。だから、エレベーターで例えたわけか」
分かった風に相槌を打ちながら、しかし綾は焦っていた。
先ほどとは違い、アンゴルモアは攻撃を中断する気配がまるでないのだ。彼女は綾の白仙を最低限に警戒しつつ、確実に間合いを詰めてくる。
「ゆえに並行世界とは、スピードをはじめ環境の異なる各エレベーターが、同心円状に立ち並ぶ関係を指す。これはあくまでも仮説だが、それぞれのエレベーターが並び立つ『全世界』の外観図は、おそらく塔のような円柱形になっているはずだ」
言いながら、彼女の中で二人の調理法は決まったらしい。アンゴルモアは廃墟の外壁を素手で引っぺがし、戦斧のように振り回し始めた。
路地裏でそんな事をされた日には、逃げ場はない。巻き添えを食らった廃墟の外壁が次々に倒壊していく中、動けないリョウを担いだまま、白仙使いは紙一重でそれを避けていく。
その間にも、破壊神の講義は続けられた。
「〈蛇〉と私が巡ったのは全部で百八の世界。そこにいた全ての〈自分〉を殺して回ったが、その途中で気付いた事がある。並行世界の位置関係を、百八個の点で構成する円としてみた場合、自分の世界から離れた並行世界へ行けば行くほど、各世界の『内容』が変化していたのだ」
「へ、変化……?」
「……奇妙なものだったぞ。自分の世界から円の対極に位置する並行世界で、私が〈私〉を殺した時、ソイツはもう人間の姿をしていなかった」
アンゴルモアの振り抜いた壁面を蹴りつけて、白仙使いは朽ちかけた建屋の屋根に着地する。綾は眼下でこちらを睨み上げている怪物の話を整理すると、彼女の言葉で言い直した。
「並行世界同士の『距離』が、そこにいる同一人物の変化に繋がってたんだね」
白仙使いには、ようやく合点がいった。
だから同一人物であるはずの綾とリョウの間には、わずかな差異があったのだ。
性格、体格、生活環境、そして白仙の存在。
怪物の説明が真実ならば、これらはすべて、並行世界の性質上起こりうるものだったのだ。
綾の耳元を壁の一部が掠める。アンゴルモアはすっかり砕けて小さくなった壁の破片から手を離し、また新しい壁を引き抜いた。ただし今度の壁の大きさは、さっきの倍はある。
担いでいたリョウを壁際にもたれさせ、綾は自分が相手の注意を引く作戦に出た。彼女はその場から路地へ飛び降りると、建屋から来た道を逆走する。間の悪いことに、こんな時にかぎって砂風はなりを潜めていた。
綾は壁を振りかぶったアンゴルモアの頭上を、皮一枚のところで飛び越える。脇目もふらず、彼女が瓦礫の山へ坂を駆け上がっていくと、銀髪の怪物は案の定、その後ろを追ってきた。
「足手まといを切り捨てたか。一人になって正解だったな」
「ねぇ、どうしてよ? なんであんたは今、そんなに焦ってるの?」
綾には焦っているとしか思えなかった。一万年も孤独を耐え抜いた精神がありながら、彼女には今のアンゴルモアの行動が、刹那的に思えてならないのである。
怪物の目的は、この不毛の大地から抜け出す事に違いない。
リョウはアンゴルモアが別の並行世界へ行くのを止めようとしていたが、道理に沿って考えれば、それは間違った行為だと綾は思っている。
大体、この銀髪の女には、辿り着いた先の別世界で暴れる理由がないのだ。そんなものは目的ではない。
極端な事をいえば、綾は全てが丸く収まるのなら、アンゴルモアを手伝ってもいい、とさえ考えていた。ゆえに彼女ははじめから、この銀髪の女に明確な敵意は持っておらず、またそれを見せたつもりもなかった。
しかし、なぜか当のアンゴルモアがこの戦いに積極的なのだ。
白仙使いには、それがどうしても解せなかった。
「一万年よ? 今日の今日まで我慢してきたのに、どうしてここで焦る必要があるのよ? あたし達と協力すれば、何とかなるかもしれないじゃない。一緒にこの世界から出て行く方法を――」
「この一万年、自発的に我慢した事は一度もない。我慢せざるをえなかっただけだ。発狂して自殺しても、体は元に戻る。そして膨大な時間と無為の世界が、ふいに理性を引き戻す。自我の破壊と再構築、その繰り返しが今の私を作り上げた。……一万年、かけてな」
暴れまわる姿とはひどく対照的な、砂風のように空しい声だった。
「それでも、今は理性を保ってる」
「外面的にそう見えているだけだ。思考基盤となる精神構造は、すでに人間のそれとは乖離している。私がこの戦いを急いているのは、別の理由だ」
「いい加減にしてよ! はぐらかされるのも化かし合うのもうんざりなの! はっきり言えば?」
ここで根負けしていては、世界も自分もこの女も、何も救えない。
アンゴルモアは半身になると、前方の片手だけを胸の辺りまでふらり、と持ち上げた。
「教えてやるとも。私をここに置き去りにした〈蛇〉が、最後に残した『予言』だ。“遠い未来、この世界に来訪者が現れた時、その日の日没と共にこの世界が滅びる”、そう言っていた」
「……それ、まさかこの世界が“消える”ってこと?」
「そう判断していいだろうな。ゆえに、何をおいてもこの世界に現れる『来訪者』は“転移”でなくてはならなかった。それだけが、希望だった。予言された滅びがこの並行世界全域に適用されるのか、それともこの惑星だけに適用されるのかは分からない。もし後者であった場合、貴様等は死ぬだけだ。……だがこの躰、おそらく宇宙空間でも死にはせん!」
破壊と再生を無限に繰り返し、永遠の宇宙を彷徨う日々。それは不毛の大地で一万年の時を過ごした彼女にとって、これ以上ない悪夢だろう。
不死身のサイクルとは無関係の綾でさえ、想像しただけで頭がおかしくなりそうだった。
ところが、アンゴルモアの論理には続きがあった。
「……貴様等を殺せば、『予言』そのものがリセットされる可能性はある。来訪者は来なかった。そう世界に『誤認』させればいいだけだ。……完全な日没まではあと五分。人間二人殺すには、充分な時間だと思わないか?」
銀髪の女は、かつてない邪悪な笑みを浮かべていた。
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