第5話『整合する事情たち』-10
私立九条学院は、そのセールスポイントである設備や校舎の大半を損壊していた。
特に酷いのは南に位置する二年棟である。屋上に設置されていた給水塔が倒れ、更にその上から何かの力が加わり、各階の天井を次々にぶち破っていったのだろう。三年棟の北校舎を半分と、その地下二階まで、雪崩式に崩落が続いていた。
各階の壁面はほとんど残っておらず、爆撃跡のように建物は骨組みだけとなっている。
その瓦礫の真ん中あたりに、焦げた女物のスーツが引っかかっていた。最近、職員室で美人と噂だった非常勤講師のものに違いなかったが、その場にあるのは服だけで、肝心の『中身』はどこにも見当たらなかった。
破壊力がありすぎたのだ。
大輔の死を確認しようと、“箱庭”から姿を現した鬼塚奈津実は、追尾性能を隠し持った空気の刃に殺された……わけではない。
大輔の造り出した空気の“剣弾”は、内部が真空になっていた。彼自身、何らかの意図があってそうしたわけではなかったが、セカンドスキルによって剣を形成する過程において、内部構造に何らかの化学的な反応が起こっていたのかもしれない。
その結果、誇張でなく、戦略兵器の破壊活動に匹敵する大爆発が起こった。見えない“剣弾”をまともに喰らった鬼塚は即座に蒸発、当然セカンドスキルを使った大輔をも巻き込み、前記した惨状を作り上げたのだ。
闇の中で、ずるずる、ずるずる、という音がしていた。
まるで、何か重い物を引き摺るような。
「……これがテストなら、……四十、点も、いいとこ、だな」
いまだ崩落を続ける南棟校舎の死骸から、人の声がした。
それは死にかけた、否、死に損なった青年の声だった。
「けど、よ…………。だ、誰が……、笑っても」
その声は少しずつ大きくなり、
「……誰が、否定……しても」
瓦礫がまた崩れ、
「俺だけは、認めて、やる……」
やがて、そこから二人分の影が姿を現した。一人は両脇を抱えられ、引き摺られている。
異形剣士は全身数十カ所の骨折打撲、そして火傷で、ほとんど虫の息だった。白い粉にまみれて分かりにくいが、露出した肌のほとんどは赤黒く内出血し、服には吐血の跡があちこちにある。
それでも、残る力を振り絞って、彼は伝えた。
「胸を張れ、町田。――、お前は間違いなく、この世界を救った『ヒーロー』だ」
心底愉快そうに笑うと、叶大輔はそのまま意識を失った。彼の賛辞を素直に受け入れられなかった町田慎平は、黙って彼を背負い直したが、
「…………うっ、ううっ、ぐっっぐううううううっっっ……」
泣きながら、本当のヒーローを病院へ運んだ。
◆ ◆ ◆
「――、それじゃ、アタシ達はもう行くよ」
岬は素っ気なく、九条学院前の地獄坂で発見した日高に告げた。
「なーんか、あっさり終わっちゃってつまんなかったねー」
彼女の隣で頬を膨らませているのは、香織だった。
実のところ、山崎との決着は彼女達二人がA面の世界に来てから、ほんの二十分ほどの時間で終わってしまっていた。
没した夕日の残光が、鮮やかに夜幕の薄地になっている。蛇穴市に広がる活気は、道行く人間や車のライトだけで推し量る事ができた。
これが、この街の本来あるべき姿なのだ。三週間前までは、B面でも見られた日常風景である。
「あのさぁ、日高。一応確認しとくんだけど、アンタはもう『B面』には戻らないんだろ?」
「え? ……なんで?」
思いもしなかった意見に、日高は不安を抱いた。もちろん彼にそんな予定はなかったが、香織が口を出さないのをいい事に、岬は腕組みして鼻を鳴らした。
「だってそうだろ? ダチの叶を裏切ってまで、この世界に逃げて来たんだ。今更どのツラ下げて帰るつもりなんだよ? ちなみに、……アンタが逃げた『本当の理由』な、アタシ達は知ってる」
びくり、と、日高の小柄な総身が震えた。
岬と香織は知っているのだ。B面の日高颯太が、A面の彼を殺した犯人だという事を。
「朝霧のヤツを責めるんじゃないよ。アイツ、アンタを親友だと思ってた叶に気を遣って、アタシ達の前じゃ何も喋らなかったんだからね。ここに来た時、西井が気付いただけ」
ショートボブを揺らした香織は、余計な感情を一切排して日高に向き直った。
「私は、“その事”で日高君を責めるつもりはないよ。元は私達のせいでもあるし。……でもね? 物事には絶対に『一線』があると思う。そこを越えた人間は、もう戻れないよ」
「僕も、もう戻れないって言うのか?」
「はっきり言うよ。今のままじゃ日高君は戻れない。私達だって、人殺しだけはやってない。殺しても仕方がない、とは思っていたよ? それでも、リョウのおかげで一線は守れた。だから私は、これからもずっとそれを守ってく」
闇を反発する淡い光が、ブレザーを着た二人の女子高生を徐々に包み始めた。
「日高君。逃げて、逃げて、逃げ続けて、……、最後に君は、どこにいくの?」
直後。水風船を割ったような音がして、光の破裂と共に二人は消えた。
行き先は、ここではない彼方の世界。
かつて、日高自身が呼吸をしていた場所である。
「……わかってるよ。わかってるから、戻れないんだ。もうどこにも行けない」
故郷を失った殺人者は、一人泣く事もできなかった。
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