第5話『整合する事情たち』-9
夕日は、地平線に埋まりかけていた。
「……別世界の〈娘〉が死に絶え、同じ顔がいよいよ一人もいなくなった頃、〈人間の娘〉は最後に『何もない世界』に辿り着いた。そこが、〈蛇〉との旅の終着点だったのだ」
「その終着点がこのデッドワールド。それじゃ、あんたは……」
赤い瞳が燃えるような光を放つのを、綾は同じ色をした前髪の隙間から見ている。しかし、最期の世界の主、アンゴルモアが激怒する理由は、まだ白仙使いには分からない。
夜の気配を察した砂風が、わずかに吹きつける勢いを落としていた。
「その時になるまで、〈娘〉は自分の変化を気にも留めていなかった。旅の始めに〈蛇〉が約束したのは、〈娘〉に力を与える事。……だが私は、こんな結末など望んでいなかったッッ!!」
神を中心に、突風が放射状に拡散した。
ケタ外れの憤怒が大気にも影響を及ぼしているらしい。砂嵐だけでなく、アンゴルモアの怒りの矛が、長い時間をかけてこの朽ち果てた街並みを作り上げたのかもしれなかった。
「別世界の〈娘〉を殺す度に変質する肉体と、もたらされる知識。それこそが〈蛇〉の約束した『力』の正体だった。……最後には、どうやっても死ねない不死身の体と、ヒトの脳には過ぎた知識だけが残った」
話はそう締め括られたが、綾は物語の唐突な切れ方に、違和感を禁じ得なかった。この話のどこがどうなれば、今回の事件が引き起こされるというのだろうか。少なくとも、今の話から綾が分かったのは、アンゴルモアを名乗っているこの怪物が、元はただの人間だったという事ぐらいである。
「あんたをここに連れてきた〈蛇〉はどうなったの? あんたが殺したわけ?」
その疑問を、アンゴルモアは一笑していた。
「は! あんなものを殺せる奴は存在しない。言ったろう、世界を飲み込む程の〈蛇〉だ。鱗一枚で木星の数千倍もある化物をどうやって殺す? 知覚外で起こる不幸因子でさえ、発生前に出現確率を消去してしまう超常生物を、お前は気付かれず殺せるか? ……〈蛇〉は消えた」
「――、消え、たって、どこに……、よ? あんた、キレる前に……、ちゃんと、探したわけ?」
ようやく意識を取り戻したリョウだったが、白仙を使えない彼女には、先ほどの攻撃は強烈過ぎたのだろう。砂風にふらつきながら、リョウは顔色を悪くしている。
まだ本調子とは程遠い相棒をかばって、白仙使いはアンゴルモアと対峙した。
「アンゴルモア。蛇はどこに?」
「さて、どこかな? その気になれば、陽子レベルの大きさに化けるような動物を探してみるか? 面白い。原子単位でこの星を解析しても、探査が終わるより先に地球の寿命が尽きるぞ。大体、見つけたところで捕まえる事もできん。……〈蛇〉は去り、私はそれきりここにいる」
アンゴルモアの感情が不安定にみえるのは、やはり怒りの大きさが原因らしい。姿も中身も変わり果ててしまったが、そこに関してだけは、彼女はまだ人間の範疇であるといえた。
「今思えば、〈蛇〉には別の目的があったのかもしれんな。私を利用して何かをするつもりだったのか。まぁ、よしんば知ったところで、あんな高次元存在の思理など理解できまいが。……質問は終わりか? 小娘」
口ぶりから察するに、アンゴルモアを連れてきた〈蛇〉は、よほどの化け物だったのだろう。だがこれ以上〈蛇〉に関して、どうこう言っても仕方がない。
話が終われば、また戦闘が始まってしまう。しかし綾はともかく、リョウの方はまだ無理そうだった。喰らった拳の当たり所がかなり悪かったのか、彼女は冷や汗を掻きながら腹部を押さえている。
綾は苦し紛れの話題を、もとい、時間稼ぎを継続した。
「もう一つ。……セカンドスキルって何なの? あれは、ただの超能力?」
「綾、今はそんな事どうでもいいじゃん。質問の意味なくない? それ」
リョウは食って掛かったが、この質問にはちゃんとした意味があるのだ。
綾は常々不思議でならなかったのである。B面世界の人間達が、セカンドスキルをただの戦闘能力としか捉えていなかったのだ。使い勝手の良さなら驚異的な応用範囲を誇る“追跡”、それを持つ町田でさえ、セカンドスキルは戦うための力と考えていた。
「これは予想だけど、B面のセカンドスキルって、多分あんたが作ったんでしょ? だから余計に解らなかった。日高の“転移”を欲しがるあんたが、どうして自分ではセカンドスキルを発現しないのか」
「それがどうした?」
「これも予想だけど、あんたは、自分自身にセカンドスキルを付加できない理由があるんじゃないの? そして同時に、個人にどんなセカンドスキルを発現させるかも『設定』できない。だから鬼塚に能力者を選別させてたんだ」
「……それで?」
頭一つ分上から彼女を見下ろして、アンゴルモアが続きを催促した。
「セカンドスキルの発現に必要な条件って、何? どうして香織や岬達が選ばれたの?」
綾は考えて続けていた。セカンドスキルにはあるはずなのだ。まだ綾達が気づいていない、何かが。
アンゴルモアは興が乗ったのか、新たな情報の出し惜しみはしなかった。
「残された無限の知を使って、人間に超常能力を発現させる“種”を造り出した。皮肉な事に、その時すでに人間の範疇を外れていた私には、適応外の“種”になってしまったがな。この世界には人間がいない。だから“種”の開発と並行していた『別世界における擬人格の遠隔操作実験』を利用した」
「その実験とやらで、“種”を並行世界に送り込んだのが、山崎と鬼塚だった?」
「その通りだ。だが困った事に、“種”の機能には、二つの重大な問題点があった」
一層苦々しそうに、アンゴルモアは美貌を歪めた。
「一つは貴様が言った通り、発現能力の事前設定が出来ない事。……そして二つめは適性だ。“種”は人間の脳に寄生すると、すぐに宿主の深層意識と同調する。その際、精神が一定水準を超える強度を持ち、かつ致命的なストレスや恐怖を内包した状態にあると、宿主は超常能力を発現する」
強固な精神と致命的弱点、それがセカンドスキルの発現に必要な条件だと神は言う。さらに彼女は、白仙使いの背後にいたリョウを指差した。
「貴様が自覚している不安要素が何か、当ててやろう」
「え? あ、アタシ?」
不意に投げた視線の矢でリョウがたじろいだ隙に、アンゴルモアは断言する。
「自分の未来に極度の不安を持っているだろう? 違うか?」
表情を凍らせるリョウを見て、神は超然となる。
どうしてアンゴルモアがリョウの不安を言い当てることができたのか、白仙使いは冷静に考えた。未来に対しての恐怖なら、綾も同じく持っている。では自分が具体的に何を恐れているのか、目まぐるしい思考はそこから始まった。
未来は何が起こるのか解らない。
人生は常にフローチャート、有限な数の選択肢が目の前に並び、選ばなければそれでも自動で進む。その先には何があるのか解らない。だからそこに、未知に対する恐怖が生まれる。
日高は並行世界の立証を綾に説明した時、『シュレーディンガーの猫』を例えに出した。
あれと同じである。観測不能と存在否定は繋がらない。故に観測できない未来にも、どんな不幸があるのか解らない。だから余計に怖い。自分が不幸に至る確率を思うと……。
「あ……」
綾は思わず間の抜けた声を出していた。
『確率』が怖い?
だからリョウのセカンドスキルは『確率』を使う“無距離の決闘”なのか?
しかし、その突飛な発想には、裏付けとなる事実が次々に浮上した。
A面の香織は、入院中の神崎を心配していないクラスメイト達を不満に思っていた。だからB面の香織は、人間関係という『繋がり』の断絶を恐れて“接続”を発現した?
毎日のように、A面の岬はリレーメンバーを争うプレッシャーと戦っていた。だからB面の岬は、『自分の代替え品』を恐れて“転換”を発現した?
他人との交流を極力避けていたA面の町田は、実は他人が怖かったのではないだろうか。だからB面の町田は、『他人の接近』を恐れて“追跡”を発現した?
…………では大輔は?
どんな『弱さ』があの男の“剣弾”に繋がったのだろうか。
それを確かめるには、この方法しかなかった。
「最後の質問だよ、アンゴルモア。あんたは始めに、そっちの朝霧綾を“完全失敗作”って呼んでたね? じゃあさ、叶大輔の、“剣弾”の評価は何なの?」
最後という割には、あまりにも程度の低い質問に、神は嘆息した。
「あれは“出来損ない”だ。……もういいな? 喋るのも飽きた。殺すぞ、小娘」
“出来損ない”。それがアンゴルモアの大輔に対する評価。
銀髪の女はゆっくりと、綾の首に手を掛けた。力任せに絞め殺す気でいるらしい。だが首が握り潰される寸前で、綾は答えにたどり着いていた。
「なるほど、ね。あんたは本当に、この世界から逃げ出したかっただけなんだ」
「……それ、どういう意味?」
考えがまとまらなかったリョウは、臨戦態勢のままで呟いていた。綾の首を掴んだまま、アンゴルモアも驚いたようにその赤目を見開いている。
「リョウ。コイツはね、日高の“転移”を使って、『この世界』から逃げ出したかったんだよ」
「だからって、それとさっきの質問と、どう繋がるわけ?」
綾は順序よく説明した。
叶大輔の能力が“出来損ない”の評価を受けるのには、理由がある。
他の人間が単純な能力なのに対し、大輔の“剣弾”はあまりに複雑だったからだ。
まず材質を変化させ、剣を造り、それを飛ばす。その能力発揮に過程がありすぎるのだ。
叶大輔はプライドの高い男だ。そしてA面B面を問わず、彼は孤高の天才である。故に大輔は『凡人への墜落』を、『無個性への埋没』を何よりも恐れ、“剣弾”を発現した。
すなわち、“剣弾”の正体は……“発射”。
「大輔の“発射”が“出来損ない”なのは、能力が純粋じゃなかったから、でしょ?」
アンゴルモアは答えない。だがその沈黙が、何よりの肯定を意味していた。
ただ押し出すだけの“発射”能力にならなかった“剣弾”は出来損ない。ならば、確率を撃ち抜くだけの“無距離の決闘”は、さしずめ“無作為”といったところだろう。
“無作為”、“発射”、“転換”、“接続”、“追跡”、そして“転移”。
完全失敗作である“無作為”を除けば、全てのセカンドスキルが当てはまるのだ。
別世界へ向けての、発射。
別世界にいる者との、転換。
別世界と別世界との、接続。
別世界を探す為の、追跡。
そして、別世界に行く為の、転移。
全ての能力が当てはまるのだ。
この世界にいるアンゴルモアの、『逃走手段』に。
「冗談じゃない! アンタみたいな化物を、よその世界に行かせてたまるか!」
パニックになったリョウがいきなり腕を振り、“無距離の決闘”でアンゴルモアを狙撃する。確率を変動して現れた彼女の拳に、内臓を直に搔きまわされ、銀髪の女は低く呻いて片膝を突いた。
殺される寸前だった綾は、怪物の手の中から抜け出すと、肩で息をするリョウを羽交い締めにした。そして暴れようとする相棒をアンゴルモアから引き離し、彼女は声を張り上げていた。
「落ち着けこのバカ! そんな事しても無駄だって、あいつ不死身なんだからさ。それに――、」
「――それになんだ? 哀れか? 続けるぞ。この殺し合いにもまた意味がある」
異世界の神、不死身の怪物、完全存在アンゴルモアは即座に立ち上がっていた。
二メートル近い長身の、異様に長い右腕が屋上のタイルを豪打する。その馬鹿げた破壊力が衝撃波を生み出し、彼女の足元から屋上の端まで一気に駆け抜けた。
「きゃああああああああッッッっっっっっっ」
「うっわあああッッッっっっっっっ」
ドップラー効果で二重の声が遠ざかっていく。
二人の足元から、地面が丸ごと無くなったのだ。
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