第5話『整合する事情たち』-4
群青だった大空が、赤潮のような夕焼けに溶けていく。
『何もない世界』、と言ってしまえば、誤解が生まれるだろう。生きとし生けるものは、確かに姿を消している。しかし、そこかしこに乱立する建造物が、かつてこの世界に人の生活があった事を証明しているのも、また事実だった。
人間は、一人では生きていけない。その原則に従うのなら、今この世界に存在する者はすなわち異邦人である。この場所とは一続きになっていない、別世界からの訪い人に違いない。
日高颯太の“転移”によって、朝霧綾が降り立ったのは、そんな異世界だった。
「……、ヘンな気分だね」
一人が笑って言うと、
「――――、そうだね」
と、もう一人も可笑しそうに頷いた。
今、横っ面を焼くような夕日を浴びて、二人の少女が対峙している。
髪をアップに結んだ、ロングコートとデニムパンツ姿の『A面の綾』。
やや長いミディアムヘアで、ブルゾンとショートパンツ姿の『B面のリョウ』。
初対面で顔見知りという、この奇妙な友人との邂逅を、綾は自分でも驚くほどあっけなく受け入れていた。おそらく、目の前の彼女も同じ気持ちなのだろう。
確認するまでもない。男子顔負けの長身に睫毛の長いつり目。そして何より『朝霧綾』が持つ個性的な赤髪が、向き合う二人の綾が共に“本物”だという事を告げている。
コートを着た綾は、もう一人の自分に言った。
「初めまして、っていうのも変だよね。なんて呼べばいいんだろ? はは」
「『リョウ』でいいんじゃない? あたしもあんたをそう呼ぶからさ。どうせ『あたし達』しかいないんだから、片方が呼べば、それが相手の事だって分かるでしょ?」
当たり前だが、自分とまったく同じ声が返ってきたことに、いまさら綾は感心する。その言葉遣いから仕草まで、彼女こそ、綾が手紙を読んで想像していた通りの『リョウ』だった。
「なんだか、ややこしいね」
「しょうがないよ。『あんた』は『あたし』だし、『あたし』も『あんた』なんだからさ」
ブルゾンを着たリョウが笑うと、コート姿の綾もつられて笑ってしまった。
この一週間、手紙でやりとりしていた相手が目の前にいる、それが不思議と心地良いのだ。住む世界は違っても本質は変わらない。もう一人の自分に同族嫌悪を感じなかった事が、綾は素直に嬉しかった。
しかし、いい加減、綾は気を引き締めた。
「――、で? 『あたし達』の『敵』はどこ?」
この世界には、今回の事件の真犯人がいる。B面の世界でセカンドスキルをばらまき、鬼塚に人間狩りを指示していた者。綾も、リョウも、それを止めるために、ここへきたのだ。
リョウは黙って、遠く街並みを指差していた。
「律儀なもんだよ。『あいつ』、あんたが来るまでずっと待ってたんだ。先にここへ来てたあたしには、見向きもしなかったクセにね」
リョウにはそれが気に入らないらしい。彼女は胸元で何度も拳と手の平を叩き合わせると、今までの鬱憤を晴らすように、大声で『それ』を呼びつけた。
「いい加減にしてよ! こっちはさっさと終わらせて、家に帰りたいんだってば!」
その叫びの先にいるのが、今回の事件の真犯人なのだ。
綾が目を細めると、荒廃した都市の中心部に瓦礫の山をみた。幾度もの砂嵐によって擦り減った瓦礫の中に、ひっそりと飾り気のない玉座が鎮座している。
おそらくは、日中もほとんど日陰になっていると思われるその場所に、『それ』は座っていた。
夕日の逆光で、形も曖昧なその人影は、音もなく立ち上がる。
次の瞬間、人影のいる地点で、水気を失った地面が砂糖菓子のように弾けるのを、二人の朝霧綾は見た。人影の足元が爆発したのだ。
傍目には歩いているようにしか見えなかったが、人影は恐るべき速度で都市部を突っ切り、丘の上にいた二人へ急接近した。そうして、綾がその姿を確認できる距離まで近づくと、ようやく人影は停止する。
砂まじりの乾いた風が、文字通り吹き荒び、綾は思わず息を飲む。
……人影の正体は、女だった。
八頭身。否、下手をすると九頭身以上のスタイルである。
刺青の入った手足が異常に長くみえるのだが、それでいて不快を感じないのは、女の顔の造形が完璧だからだ。三つ編みに結われた銀糸の髪は、百九十センチに届こうかという身長の、足元まで伸びている。
着ている服にしても、時代やセンスがぐちゃぐちゃだった。穴だらけのチャイナドレスのような上着、下はカーゴパンツにブーツという組み合わせである。
なにより、嫌でも目につくのが、相手を射殺すような赤い眼差しだった。
「……“完全失敗作”に“無能”だけか。“転移”はどうした? 小娘共」
この世の煌めきを結集したような美貌から、心の底を削り取るような声がした。
「悪いけど、“転移”の能力者はここには来ないよ。あたし達は、アンタを止めに来ただけ」
「つうか、断ったら速攻で殺すからね? あんた、どう見てもまともな人間じゃなさそうだし」
『A』と『B』の順番で、朝霧綾が言った。しかし二人の忠告と警告は、長身銀髪の女には届かなかったらしい。
彼女は無言で片腕を持ち上げると、そのまま地面に拳を突き落とした。
……地面が柔らかいわけでも、ましてセカンドスキルを使った様子もなかった。
ただ、あり余る膂力にものをいわせて大地を叩いた女の拳を中心に、半径五メートルに渡ってクレーターが出来上がる。衝撃で大地が悲鳴を上げていた。
間髪入れずに振り抜かれた、女の回し蹴り。そこから発生した突風が、二人の朝霧綾をさらに数メートルも後ろへ吹き飛ばす。彼女達が立ち上がった時には、すでに女は遠く間合いを広げていた。
あの奇妙な歩法のせいで、三人の距離感覚が徐々に狂っていく。もちろん銀髪の女は、単純な力でも化け物じみていた。
「ほ、本当に人間じゃ、ない……」
白仙で受け身を取った綾をして、そう言わしめるだけの力が、その女にはあった。まるで虫と恐竜を比べるように、場違いな種族差を感じるほどの圧倒的実力差。間違いなくあの女は、綾がこれまで出会った敵の中でも、異次元の強さをもっている。
しかし、動揺する綾とは裏腹に、リョウの方はそれほど臆した様子がない。彼女はブルゾンのポケットから取り出した革手袋を、悠々と利き手に嵌めている。
「上等」
怪訝に思った綾が言葉にするよりも早く、リョウは片手でそれを制していた。
「まぁ、見てなって」
砂漠の中で三つ編みを左右に揺らし続ける件の女は、綾達から五十メートルほども離れた場所にいる。
辺りには、荒野と廃墟が並ぶだけ。
はたして、自信満々のリョウがどんな戦法を用いるのかと思えば、彼女はその場に両足を固定し、フルスイングの拳を繰り出さんと、上半身を捻ったのみだった。
前述の通り、目標は五十メートルも先にいるので、見当違いもいいところだ。今度はリョウのスイングよりも、綾が怒鳴るのが先だった。
「こんな距離から届くわけないでしょ! あんた、石でも投げるつもり!?」
だがリョウのスイングは止まらない。
「――――、悪いね。『距離』も『時間』も関係ない」
ただその拳が、ぼんやりと歪んで見えていた。
「え?」
次の瞬間――、パムッ。という、間抜けな音がした。
何が起こったのかはわからない。とにかく音が聞こえた瞬間、同時に五十メートル先で立ちつくしていた銀髪の女が、いきなり地面に倒れたのだった。
振り抜いた拳を引き戻し、リョウは目を眇めた。
「終わったよ。脳味噌を撃ち抜いてやった」
「いや、あのさ……。言ってる意味、全然分かんない。ごめん」
綾が混乱するのも無理はない。
相手に触れてもいないのに、拳を振っただけでリョウはあの化け物を倒してしまったのだ。
「これがあたしのセカンドスキル、“無距離の決闘”。相手の位置が分かった状態から拳を振っただけで、そこに打撃が届く。ただ、それだけの『力』だよ」
そんな単純な能力で、リョウは女を仕留めたのだという。
しかし、説明には続きがあった。
「だけど、もしちゃんと対象の位置が理解できてたら、たとえ地球の裏側にいても、あたしの拳はそいつに届く。逃げられないし、受けられない。問答無用で『的』になる」
「だから“無距離の決闘”? じゃあもしかして、あんたがB面の香織と岬から逃げてたのは……」
「うん。能力戦になると手加減ができないんだな、これが」
無闇に“無距離の決闘”を使えば、間違ってあの二人を殺してしまう危険があったのだ。
体表面の急所はおろか、体内にまで届くリョウのセカンドスキル。
破壊力は極小だが、その効果は抜群である。撃ち殺された当の女は、自分が何をされたのか理解が及ぶ間もなく絶命したのだ。
リョウの放った、神出鬼没の魔拳によって。
「さぁて。じゃ、どうやってここから帰るか考えなきゃね」
一仕事を終えてリョウは大きく伸びをする。ところが、彼女の隣にいた綾は、それを目撃してしまった。
「ねえ、リョウ……。『あれ』、何?」
脳を破壊されたはずの銀髪の影が、砂漠の中で立ち上がっていた。
「……大体理解した。『拳』が存在する“確率”を撃ち抜くわけか。振り抜く瞬間、一時的に『拳』の存在確率を減少させて、対象物の近距離に出現させている――、と。この失敗作め」
手品のタネを明かしているのは、まぎれもなく、死んだはずの銀髪女だった。
「生きて、る……? なんで?」
喋りながら、ゆらゆらと、女はまたあの奇妙なステップを始めている。
突風が砂塵を巻き上げた。もとより土と砂としかないこの世界では、これも貴重な現象の一つなのかもしれない。ならばあの女こそ、自然現象を司る『神』なのだ。
「どういう事? “無距離の決闘”はちゃんと当たったはずなのに……」
あからさまに動揺するリョウの姿に、ステップを刻む女は上機嫌になった。
「自己紹介がまだだったな。お前達の世界観に合わせるなら私は……、そうだな、アンゴルモアでいい。分かり易いのが一番だ。ああ――、別に覚えなくても構わんぞ? 死体に記憶は必要ない」
女のステップが加速を始めると、二人は背中を合わせ、死角を作らないよう神経を張り巡らせた。即興のコンビネーションだが、動きは機敏そのものである。
「はん。じゃあもう一発ぶち込んで、今度こそぶっ殺して終わりだね」
殺伐としたリョウの言葉も、背後の綾には頼もしい。
つまるところ、彼女のセカンドスキル“無距離の決闘”は、一対一の戦いにおいて無敵も同然の能力なのだ。
綾の白仙など、霞んでしまうほどに。
だがそれも、アンゴルモアと名乗った赤眼の女が、絶望的な真実を告げるまでの事だった。
「実現可能ならそうして欲しいが――、あいにく私は不死身でな」
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