第4話『Tの法則』-10
楕円形に広がる陸上トラックの中には、フィールド種目用の人工芝が設けられている。放課後ともなれば、屈強な投擲選手たちが、大人顔負けの力強さで競技に勤しむ姿がみられるだろう。
今、そのフィールドのど真ん中で、壮絶な光景がライトアップされていた。
「は――ッッッッ!」
気合い声をあげて綾が振り切る諸手から、血飛沫が迸る。
彼女の呼吸、構え、そして発射までの過程には、タイムラグがない。さらに、そこから繰り出される攻撃にいたっては、もはや人間技の範疇を超えていた。
――白仙、『千指鋼穿』。
全身を駆動させる筋連動と足場からの反発力、臍の下にある丹田で練功した、内気。それらすべてを指先に集約させて、鋼の板をも打ち抜く驚異の貫手だ。
綾は岬の全急所目掛けて、次から次へと貫手をぶち込んでいく。
普通に考えれば、この時点で勝敗は決したも同然だった。だが、超人・鷹山岬のセカンドスキルは、溜め込んだ熱エネルギーを身体強化に“転換”して、白仙使い朝霧綾の放つすべての攻撃を、相殺し続けていた。
「クソッ、どうなってるんだい。こりゃ……」
――にもかかわらず、鷹山岬は、かつてない焦燥感に駆り立てられていた。
綾の攻撃が速過ぎて、まったく反撃ができないのである。
一撃目から二撃目までのタイムラグがなさ過ぎて、反応が追いつかない。加えて、白仙の攻撃パターンが複雑すぎて見切れもしないのだ。
その結果、出会い頭に強烈な足払いを喰らった超人は、恐ろしい事にそこからずっと体を空中に浮かされたまま、白仙使いによる追撃を受けているのだった。
これほどの攻撃を浴びながら、ダメージは微塵もない。
だが、岬は嫌な予感がした。まさかとは思うが、このまま手数で攻められ続け、彼女が溜め込んだ熱エネルギーのストックが枯渇してしまうのでは――、と。
しかし、岬の危惧とは裏腹に、左右に捻り続ける綾の背骨は、徐々に軋みを上げはじめていた。
フルパワーでの攻撃開始からもうすぐ一分、あと三十秒もこの動きは保たないだろう。しかしそれでも、相手の反撃不能位置から一番ダメージを与える箇所へ、綾の特攻は終わらない。
フィールド上では、白仙使いが放つ拳足の衝撃を、超人のセカンドスキルが相殺するたびに、熱波をともなう異様な突風が巻き起こっていた。
まるで竜巻の通過を収めたVTRである。空中に浮いた岬の体を、綾の回し蹴りや鉤突きでフィールドの外へ押し出していく。その道筋を、突風でしおれた芝生が作っていくのだ。
「は――っ、ハ――ッ」
全開で動き続ける綾に、とうとう息切れが始まった。
“転換”で岬がストックした熱エネルギーの総量が、いかほどなのかは分からない。
だが、「丸一日戦っても大丈夫」と超人は言った。
それは裏を返せば、丸一日攻撃を受け続ければ底がみえてくる、という事ではないか。
いくら岬の身体強化が強力でも、ダメージに関係なく熱エネルギーの消費効率が一定なわけがない。強力な衝撃を相殺するには、強化へ回す膨大な熱エネルギーが使用されているはずなのだ。
ならば全開の白仙で、セカンドスキルの許容量を超える衝撃を叩き込むまでである。超人・鷹山岬は、朝霧綾がそんな馬鹿げた真似をしでかしている事に、ようやく理解が追いついた。
「コイツ、本気で……?」
そして何百発目かの正拳が、ついに超人を陸上グラウンドの場外へ弾き飛した。
ガリガリと音を立てるのは、超人の素足に触れたアスファルトの方だった。岬はもはや靴も履いていない。攻撃を受け続けた制服もまた、修繕不能なまでにボロボロである。
彼女が吹き飛ばされた先は、生温い風が吹く特設プールの真横だった。
水泳部の部室を背にして、岬は自分を追いつめる赤髪の影を見据えた。
土で汚れたコートを羽織り、長身をふらつかせて、しかしなおこちらへにじり寄る、白仙使いがそこにいた。
「……いくよ、岬。これが、最後の一発だから」
白仙使いは消えた。
霞むようにして、超人の視界からかき消えた。
十メートルはあった間合いを、超低姿勢で岬に急接近した綾は、目標に到達寸前で横飛びに跳ねた。部室のすぐ隣にはプールがある。その外壁を斜めに蹴って、朝霧綾は襲来した。
――白仙奥義、『咎大蛇』。
胴が一ツに首八ツ、八岐大蛇と呼ばれる伝説上の生き物が実在したならば、あるいはこのような動きをするのではないか。
変幻自在に向きを変える鎌首の軌道、そこに一切の死角はない。仕留める獲物を捉えた後は、『牙』に見立てたその『拳』が、超神速で迫るだけ。
岬は全神経を総動員して、飛来する綾を補足した。強化した拳でカウンターを見舞い、この戦いを終わらせる気でいるらしい。
だが、空中で無理矢理軌道を変えた白仙使いは、超人の真正面に着地していた。
――――、転瞬。
がら空きになった鷹山岬の鳩尾に、今度こそ、超神速の正拳が炸裂した。
並の人間なら、それこそ上下の半身が泣き別れになるような一撃である。
かつて、白仙の開祖である朝霧絶命斎が、江戸で猛威を奮った殺人技の集大成――、その一つがこの『咎大蛇』。朝霧の血族が、赤髪の長子が、この世で唯一使う事を許された白蛇の技だった。
人体が持つ耐久力を完全に無視した衝撃が、拳面から外側にのみ向かっていく。にもかかわらず、攻撃の反動はほぼゼロ、それがこの技の特筆すべき点だった。
ただし、
「……悪ィ、朝霧。全ッ然効かねぇわ、それ」
それでも超人は、まだ無傷だった。
驚くことに、“転換”で強化した岬の肉体は、人外拳法『白仙』の奥義までも相殺してしまったのだ。
いまだ余力を残した岬を前にして、白仙使いはへなへなと、その場に崩れ落ちてしまう。
万策尽きた。……かにみえた綾は、プールの外壁にもたれながら呟いた。
「―――――、たった今、あたしはあんたを攻略した」
それは以前、叶大輔と戦いで出た言葉と、同じ宣言だった。
「はいはい、強がり。見苦しいよそういうの。大体アンタはもう――、え?」
超人が自分の『異変』に気付いたのは、その時だった。
綾の打撃を受けた鳩尾から、ぶすぶすと煙が上がっているのだ。鷹山岬の服が、内側から燃えている。
「ちょっと、な、何だよこれっ!? あ、熱い! 熱いって、熱いあついあつあいッッッ!」
突然、岬は自分の腹を掻きむしって地面を転り始めた。
『咎大蛇』で与えた衝撃は、まさに超絶の破壊力を秘めていた。その衝撃をすべて相殺したとなれば、必然的に、発生する熱エネルギーもまた、尋常ならざるものになる。
……誰が知ろうか、この時、“転換”の身体強化に使われた瞬間最大熱――、実に摂氏三千度。これは、チタンの融点を倍近く超過した温度にあたるものだった。
その余波が、岬の熱処理能力を超えたのだ。原子炉がメルトダウンを起こすように、岬が皮膚の表面に張った“強化の膜”から、オーバーフローした“転換”の熱が漏れ出したのである。
「あつい! 熱いよ! だ、誰か助け…ッッッッ!!!!」
のたうちまわる岬の姿をみて、綾は自分の迂闊さに舌打ちした。
彼女の思惑では、岬はメルトダウンを起こした時点で気絶し、“転換”のセカンドスキルは解除されるはずだったのだ。しかし、どうやら気絶する暇もないほどの高熱が発生しているらしい。
全身から煙を上げて横転を繰り返す岬は、高熱で正気を失いかけていた。
このまま何もしなければ、熱の逃げ場が無くなった彼女の体が燃え尽きかねない。せめて、綾が背中を預ける外壁を破壊できれば、プールの水で岬の痛みを緩和してやれるだろう。……だが、肝心の彼女に、それをやるだけの体力がもうない。
諦めかけたその時、綾は『あるもの』を発見した。
「……サンキュ、気が利くじゃん」
夜の帳を切り裂き、唸りを上げて飛来するのは、“黒い剣”。
グラウンドの黒土を飛ばした異形剣士の“剣弾”は、ものの見事にプールの外壁をぶち抜いた。間髪入れずに雪崩れ込んだ大量の水が、気絶した岬をそばにいた綾ごと丸飲みにする。
一般家庭の風呂釜にして、一体何杯分になるのかも定かではない大量の水が、“転換”のメルトダウンで漏れた熱によって、たちまち水蒸気になっていった。
巻き添えを食らった白仙使いは、塩素臭いプールの水に呑まれながら、彼女の相棒に親指を立てていた。
「…………世話、焼かせんじゃ、ねぇよ」
遠くで靄が立ち上がるのを見届けた叶大輔は、かすれ声で毒づいた。
そして彼は、今度こそ地面にぶっ倒れた。
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