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第4話『Tの法則』-7

「香織? あのコ、また何かするつもりじゃ……」


 その(つぶや)きが、聞こえたのかどうか。香織は片手で双眼鏡を覗き込み、もう一方に持ったマイクで校内放送を再開した。


『はーい。リョウってば目が良いから、私の事ちゃんと見えてるよねー? あのね、今、岬が町田君を捕まえたんだってさー。返して欲しかったら三分でここまで来てよ。……三分、だよ?』


 香織はそれだけしか言わなかった。

 だが綾は、弾かれたように駆け出していた。

 

 香織は本気だ。綾が三分以内に屋上へ辿り着かなければ、必ず町田の身に何かが起こる。軽口の奥にひそむ邪悪な思惑が、彼女の親友から感じられたのだ。


 綾がグラウンドを横断して、一分が経過。体育倉庫から目的地の屋上まで、順路でいけば、どうあがいてもあと五分はかかる。三年棟の正面入り口まで、回り込んでいる時間はない。


 そう思うや否や、アスファルトを蹴る綾の体が、一階の窓ガラスを突き破った。


 ガラスの破片が赤髪やコートに(きらめ)めくが、彼女は構わず転がって衝撃を殺す。そして廊下に飛び込んだ次の瞬間には、綾は勢いそのままクラウチングスタートの体勢をとって、即座に走り出している。


 すべての動作が鮮やかなまでに精確だが、これもまた、白仙による基礎体術の応用だった。これこそ、普段の体育ではひた隠しにしてきた、朝霧綾の身体能力なのである。


 靴のグリップ力にものをいわせて、彼女は廊下を走る勢いを殺さず急反転し、階段を跳ねるように上がっていく。“二段飛ばし”などと、ケチな事はしない。全力でリノリウムを蹴りつけるその足が(また)ぐのは、実に六段。


 最後に屋上の扉を蹴破(けやぶ)って、綾はようやく目的地に辿り着いた。


「……三分ジャスト。すごーい。リョウってばホントにやっちゃったよー」


 笑う香織に、言い返すだけの余裕が綾にはなかった。玉のような汗を額に浮かせ、膝に手を突き、肩で息をするばかりである。


「はーっ、ハーっ、はぁっ……」

「あははは、みっともないの。でも、ちゃんと約束守ったから『ご褒美』あげないとねー」

 

 辛そうに息を(つな)ぐ綾の姿を見て、香織はご満悦の様子だった。

 

 高校二年生にしては矮躯(わいく)だが、綺麗に揃えたショートボブの髪と大きな瞳が愛らしい。そんな、『A面の彼女』と変わらぬ『敵』を見て、綾はまたも胸が締め付けられた。


 どうにか息を整えると、綾は転落防止用に設置されたフェンスを飛び越えた。そして、なんでもないようにそこに立っていた香織と向き合う。


「髪型変えたんだ? まぁ最近メールもしてなかったし、教えてくれないのも無理ないかなー。『先週』グラウンドで会った時はもう少しで殺せてたのに、逃げちゃうんだもん。もう見つからないかと思ったよー」

「ああ、そっか。あんたも勘違いしてるわけね。……また、説明しなきゃいけないんだ? そんなことより香織、あんたもしかして無理してない? 殺すとかさ、そういうキャラじゃないでしょ?」

 

 綾の疲れたような台詞を、西井香織は笑顔を張り付けたまま、あえて聞き流した。

 こうして話しているかぎりでは、どうも洗脳を受けているような様子はない。となると、香織と岬は自分の意志でこんな真似をしているのだろうか、そう思うと、綾はますますやりきれない。


「そうそう、『ご褒美』がまだだったね。じゃ、特別サービス。私の能力を教えちゃうよ」

 

 彼女の気持ちをよそに、香織はやおら話を始めた。


「能力名は“コネクト”。“接続”って意味だよ、分かる? リョウは英語苦手だったもんねー。で、これは異なる二つの物体にアンテナを取り付けて、一方をA、一方をBにする力なんだね。でも、それだけじゃ意味がないでしょ? だから、AはBの持ってる性能や感覚を共有できるようになるの―。それが私の能力。叶君達がセカンドスキルって呼んでる、それ」


 狙っているわけではないだろうが、機械的で抑揚のない説明は、聞く者の不安を無闇に(あお)る。

 綾を殺しに来ていると宣言した香織が、なぜわざわざ自分のセカンドスキルを明かして、不利になるような状況を作るのか。白仙使いには理解不能だった。


 しかし、その疑問はすぐに晴れた。


 香織はブレザーのポケットから五百円硬貨を一枚取り出してみせると、対面校舎――、つまり二年棟の、二階中腹に位置する一室を指差したのである。


「……家庭科室?」


 先週も授業で使ったその一室に、電灯の光を捉えると、続いて室内に三人分の影が浮かんでいるのが綾には見えた。


 細い影はおそらく町田だろう。高い影は大輔、となれば、残る影は岬という計算になる。三人は、こちらに気付いていないようだった。


「逃げられないようにリョウを殺そうと思ったら、真っ先に『これ』が頭に浮かんだよー。……今ねぇ、あそこにいる町田君が“A”になってるんだー。……で、“B”はこのコイン」


 香織のセカンドスキルである“接続”の効果は、“A”に“B”の感覚を共有させる事だと、綾は説明されたばかりだった。


「あんた、まさか……」


 香織が言わんとしている事、やらんとしている事を、綾は理解してしまった。


「町田君を助けてあげてよ」

 


 西井香織は、町田と“接続”した五百円玉を、屋上から捨てた。

 


 屋上から十数メートルはある地面へコインが落ちた瞬間、町田はどうなるのか?

 簡単だ。死ぬ。


 気付いた時には、綾はもう跳躍していた。


「いってらっしゃーい」


 まったくもって計算通りの展開に、西井香織は満面の笑みを隠さない。すでに、彼女が殺すべきお人好しは、屋上から身を投げ出している。


――、計算外だったのは、その後だ。


『白仙使い』朝霧綾の動きは、まさに人智を超えていた。

 彼女は地面へ飛び込んだ自分の勢いよりも、落下するコインの方がわずかに早いとみるや、墜落(ついらく)しながら校舎の外壁を蹴りつけて、更なる加速を試みたのである。

 

 狂気の沙汰だった。

 綾は腕の腱が切れるかと思うほど手指を伸ばし、なんと空中でコインの奪取に成功する。この時点で、西井香織の顔から血の気が失せた。

 だが、彼女の動きはそこで止まらない。(きり)揉みしかけた体勢を空中で立て直し、反転する。地面方向に頭を向けたまま、綾は校舎の壁を自分の正面に構えた。


 ここでまた、西井香織は、我が目を疑う光景に戦慄した。

 綾はちょうどサッカーでいうオーバーヘッドキックの要領で、校舎の外壁を蹴りつけたのだ。

 この時、落下していた彼女の空間座標は、すでに二階部分を通過中だった。


 渾身の蹴りを放つや否や、コート姿の長身が放物線を描いて落下の軌道を大きく変更。その先には、日頃から用務員が手入れを欠かさない防砂林がある。


 あとは、木にぶつかった綾の体が、残り数メートルの地面へ回転着地するだけだった。

 

 ここでようやく、香織はその驚きを言葉に出した。


「……い、生きてる? うそ、この高さから落ちたのに?」


 驚愕(きょうがく)は終わらない。なんと綾は、そこから数秒も経たないうちに立ち上がったのだ。常人なら、運が良くても全身打撲、悪ければ死んでいただろう。

 

 しかし、さすがに無茶が過ぎたのか、手の中に収まるコインの存在を確認すると、彼女はたった今激突した木の幹に背中を預けてしまう。


「や、ヤバかっ、た。…今……のは、ほんとに、ヤバかった」

 

 心臓は、今にも破裂しそうなほど早鐘を打っている。限界以上の集中力を、何の予備動作もなしに駆使したせいで、こめかみのあたりの血管が脈動するのを綾は感じた。


 だが、コインは無事だった。これで町田が死ぬ事はない。

 彼女がそんな安堵(あんど)(ひた)った次の瞬間、大輔達のいた家庭科室の壁面が、内側から爆発した。

 大量に吹き飛んでいく校舎の破片や備品に紛れて、数本の“剣弾”が散り散りに飛んでいく。


「大輔……」


 爆発で立ちのぼった粉塵の中から、まずはじめに地面へ到達した人影があった。


「――、はーっはっはっはッッッッ。そんなんじゃあたしは倒せないよ、叶!」


 衣服はボロボロだが本人は完全に無傷、という矛盾した状態で岬が現れる。やや遅れて、煙の中から飛び出した何かが、綾の目の前に着弾した。


「……くそったれが。どんだけタフなんだ、あの女」


 体のあちこちに擦り傷を負った大輔が、背後の綾を庇うように岬と対峙する。


「大丈夫、大輔? なんか部屋ごと爆発したけど、町田は?」

「あいつなら家庭科室でノビてる。それよりなんだお前、えらく汗だくだな」

「半分はあんたのせいなんだけど? ……早く帰ってシャワー浴びたい」


 緊張感の欠片もない会話を交わした、次の瞬間、綾と大輔は、あらかじめそうなるのを決めていたように、背中を合わせて互いの立ち位置を入れ替えていた。


「……香織のセカンドスキルは“接続”だってさ。物の性質と感覚を、別の物体と繋げる事ができるみたい。さっき町田と五百円玉を繋げて屋上から捨ててた。馬鹿みたいな能力よ」

 

 幅の狭い背中から伝わる体温と声に頷くと、叶大輔は魔人を見上げた。


「は、そいつは奇遇だな。俺も鷹山のセカンドスキルを教えられたぞ。摂氏百度以上の熱エネルギーを“転換”して、全身を強化してやがるんだとよ。お陰で“剣弾”も効かねえ。……勝算は?」


 大輔は剣気をじわりとにじませると、猛獣のような唸り声で問う。

 

 かたや剣士、向き合ったのは屋上で待ち構える“接続”の魔人。

 かたや拳士、対峙するのは不敵に笑う“転換”の超人。

 

 白仙使い、朝霧綾は相棒を流し見た。


「ようは相性の問題でしょ? ああ、でも――、あんたがここで逃げ出したら、話は別だけどね」

「笑わせんじゃ――、ねぇッッ!」



 二人分の長身が、一気に駆け出した。


ここまで読んで下さった読者様、ありがとうございました。


感想・レビューなど頂ければ幸いです。

ブックマーク、高評価もぜひお願いいたします。


それでは、この後もお楽しみ下さい。

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