第4話『Tの法則』-5
しばらくの間、浮遊感があった。
やがて骨まで響くような寒さが、肌の上を通過していった。
最後に、なにか嫌な予感がして、綾は目を覚ました。
「……う……ん?」
「――う、うわっ!」
猛スピードで誰かが後ずさるのが、綾には見えた。
朦朧とした意識の中で、彼女が確認できたのは、薄暗闇に光るノートパソコンのディスプレイだった。
ところが、モニターの発光が浮かび上がらせるのは、ドラム缶型の針金細工である。籠の中に入っているのはバスケットボール。ということは、どうやらここは体育倉庫らしかった。
すると今、綾の全身に触れているこのザラついた肌触りは、跳び箱用のマットのものだろう。
そこまで頭が回るようになって、ついに綾は、己の有様に気が付いた。
「あわわわッッ! どどど、どうして『こんな事』になってんのよ!?」
今度は綾が声を上げる番だった。
見れば確かに、彼女はマットの上に転がされていた。……ただし、下着姿で。
「なっ、なっなっななによこれ!?」
肌寒いわけである。脱がされたと思わしき服は、どこにも見当たらない。というよりも、それを探し当てる前に、彼女は件の犯人を発見していた。
背は高めだが、痩せぎすでどこかオドオドとした眼鏡の男子生徒が、パソコンの前にいる。
綾は人影の正体を一目で看破した。
「あんた……もしかして、町田?」
「そうだよ。僕の名前、ちゃんと覚えててくれたんだ。朝霧さん。いや、この場合は言葉が違うよな。――、初めまして、僕の知らない朝霧さん。もう『この世界』には慣れた?」
綾の背中に、不安と戦慄が駆け抜けた。この世界に来て初めて、自分がA面の世界の住人であると見抜かれたわけである。
町田の考えがまるで読めない綾は、ここ数日では珍しい、駆け引きのない言葉を口にしてしまう。
「どうして、それを……?」
「僕には“見分け”が付くんだよ。『この世界の朝霧さん』と、『別の世界の君』にね。君がこっち側へ来てから、この数日で何をやっていたのかも、大体のことは知ってるつもりさ」
和やかに話す町田には、まったくといっていいほど敵意がない。しかし逆に、綾にはそれが不気味で仕方がなかった。
町田と距離を取ろうにも、綾は手足が縛られていて身動きが取れない。陸上部のトレーニングで使われるゴムチューブで、念入りに絞め上げられた両手足は、白仙使いをイモムシ同然に無力化している。
抵抗するだけ無駄と悟り、綾はマットの上に寝転んだまま、しかし目ではしっかりと威嚇する。
「何のために、こんなシュミの悪い真似をしてるわけ? ……っていうか、服返せ変態野郎!」
余裕を見せていた町田は、どういうわけか急に挙動が怪しくなった。
「あ、いや、その……ふ、服の中に凶器を隠してないか、心配だったんだ。うん、きっとそうだ。僕はそう思ってやったんだ。べべ、別に脱がした服は、変なお店に売ったりとかしてないから! しゃ、写真も撮ってないから! 犯罪行為はしてないよ。ほ、ホントだよ?」
「当たり前だバカたれ! っていうか、そもそもスタンガンで気絶させて、拉致してる段階で、疑いなく犯罪でしょうが。早く縄を解けっての!」
犬歯を剥き出しにしてがなる綾に、町田はますます顔を青くした。
「え? でも、縄を解いたら君、僕のこと殴らない?」
「殴らない。殺すから」
もはや笑顔である。
ついに顔色をなくして、パソコンのキーを叩き出した町田に、綾は不穏な気配を感じ取る。
「あんた、こんなところで何してるの? 昨日の授業には出てなかったよね?」
「うん? ……ああそうか、『君』はまだ知らないんだね。君が“B面”って呼んでるこの世界で、今、何が起こっているのか」
綾を拉致したからには、そうしなければならない理由が、町田にはあるはずだ。しかしなぜ、こんな場所でこそこそとキーボードを叩いているのか。そこからして怪しい。
九条学院の体育倉庫は、普通授業を行う各学年棟から離れて、陸上トラックと野球グラウンドに隣接する体育館の真横にある。正確には、最近新設されたばかりのプールの隣だった。
倉庫は大方の公立校にあるような、安易なプレハブ小屋ではなく、それ自体が体育館ばりの大きさがある。桁外れの生徒数を誇る、九条学院ならではのスケールだった。
必然的に、収納されている備品の数も、並の高校のそれとは比べものにならない。ゆえに倉庫の中は、奥へ行けば行くほど、整理の悪いディスカウントショップさながらに、ごった返している。
町田と綾がいるのは、おそらくその最深部だろう。
まるで何かに見つかるのを恐れているようなこの場所に、綾の勘が働いた。
「もしかしてここ、香織と岬から隠れるために……?」
「御明察」という淡泊な返事とともに、町田はキーを打つ手を止めて、傍らに置いてあったペットボトルの中身を口に含んだ。
「君も昨日会ったみたいだから、想像ついてると思うけど、二年一組で起こってる連続失踪事件の実行犯は、西井香織と鷹山岬の二人だよ」
「やっぱり。……でも、それならどうしてあんたはこんな所にいるわけ?」
「僕も、あの二人の『捕獲対象』だからさ」
やつれ顔に備わった町田の眼が、急激に細まるのを綾は見た。
そういえば昨夜、岬はあらかじめ大輔と綾に狙いを付けていたような口ぶりだった。丸一週間。確かに岬はそれだけの時間をかけて、綾と大輔を捜したと言っていたのを思い出す。
あの様子では、香織と岬は他の人間も付け狙っていたのかもしれない。
「目的は分からない。だけど一つ言えるのは、あの二人がやってるのはただの“人狩り”じゃないってことだ。正確には、セカンドスキルを持つ人間だけを狙った“能力者狩り”さ」
この体育倉庫に潜伏して長いのか、町田は勝手知ったる我が家のように、綾の正面にある跳び箱に腰掛けた。
よく見ると、町田は相当に薄汚れていた。香織と岬から逃げ切るために、彼もまた当たり前の日常を捨ててしまったのだろう。綾は思わず町田の苦労を想像しかけたが、それよりも先に、彼の使った言葉の方に反応してしまう。
「……“能力者狩り”? ああ、ちょい待ち。じゃ、もしかして……あんたも?」
「ああ。セカンドスキルを持ってるよ。大体、セカンドスキルって名前を付けたの、僕だしね。朝霧さんは日高君から聞いたんだろ? 『この世界の日高君』にさ」
綾は頭の中身が粟立った。
一体、『この町田』は、どこまで現状を把握しているのか。
「僕は日高君とは仲良かったからね。そういえば、叶の奴とは表面だけの付き合いをしてたみたいだったなぁ。よく色んなグチを聞いたよ」
日高の事を懐かしんだ町田は、これまでになく饒舌になる。
「ほとんどの情報はここ一ヶ月で調べたよ。この世界で死んだ事になってる『A面の日高君』の事も知ってる。彼は残念だったね。そこへいくと『この世界の日高君』は、いい情報提供者だったなぁ。並行世界の事、『もう一人の僕』の事、色々と聞いたよ。ククク」
細身を抱えて笑いを噛み殺す町田は、A面の彼とはあまりに異なる人間だった。
それでも綾が、黙って話の続きを待っていると、彼はとうとう核心に触れる言葉を口にした。
「僕の予想が正しいなら、鷹山と西井はただの実行犯だ。攫われたクラスメイトが一カ所に集められてるところをみると、この事件には黒幕がいるね。だいたい日高君にしたって――」
「ストップ。あんた、誘拐された子達が、どこにいるのか知ってるの?」
話の腰を折るような綾の物言いに、町田はいささか気分を害したようだった。だが、彼女のあられもない姿と、それを見下している自分の立場が、構わず彼に事実を喋らせる。
「索敵、探知、“追跡”。それが僕のセカンドスキルだからさ」
綾は息を呑む。まさに彼女と大輔が探し求めていた、事件の解答を直にもたらす能力者、それが町田だった。
「“アンテナ”を取り付けたクラス全員分の所在地は、リアルタイムで理解できる。もちろん、『君の世界』に行った日高君や、朝霧のやつのこともね」
「あんた、マジでいつからこんな事してるのよ……?」
「……君が初めてこの世界に来た日、児童公園で叶君とケンカしてただろ? 途中でパトカーに横槍を入れられたの覚えてる? あれ、僕が通報したんだ。この“追跡”で、叶君の位置を割り出して、ね」
そこまで言われれば、さすがの綾にも察しがついた。
「ああ、そういうこと。あんたはそのセカンドスキルを使って、岬と香織から――」
「そう。逃げてるのさ。僕のセカンドスキルは殴り合いには向いてないからね。でもこれでいいんだ。ほら、見てみろよこのデータ」
得意顔で町田が見せるノートパソコンのモニターには、エクセルでびっしりと何かが打ち込まれていた。表の左側には、綾にも見覚えのある名前がずらりと並んでいる。
「それ、ウチのクラス名簿? あんたそんなもん作ってたわけ?」
五十音順に並んだクラスメイトの名前の右側には、何やら一、二時間おきに彼等の移動場所が表記されていた。
中でも、色文字で打ち込まれた人物は重要度が高いのか、けしからん事にトイレの時間まで明記されている始末である。
タチの悪いストーカーだと、綾は思った。
「データっていうのは、蓄積すればするほど、そこに至るまでの推移や一定のパターンが見えてくるものなんだ。初めは人数が多くて苦労したけど、二週間くらい経ってからは楽なもんだったよ。どんどん人がいなくなっていくんだからさ。……で、気付いた」
「何に?」
「放課後に西井と鷹山の二人が、校外で鬼塚先生に会う機会が多すぎるって事にさ。そしてあの二人が先生に会った次の日には、必ず誰かがいなくなってる」
つまり町田は、彼の“追跡”というセカンドスキルによって、香織と岬、そして鬼塚の三人が怪しい事を、早い段階で知った。しかし、身を隠したまではよかったものの、その後は身動きが取れなくなっているのだろう。
「じゃあ、この事件の真犯人は鬼塚だっての?」
「可能性はあるね。調べる気はないけど。僕は自分の身の安全が確保できれば、それでいい」
町田の自分勝手な態度に、綾は縛られた足で、力任せにボールの入った籠を蹴った。無節操な音を立てて籠が倒れ、ボールが彼女の周囲に散らばる。
それは彼女にしては珍しい、ただの八つ当たりにすぎなかったが、籠が倒れた程度で町田にダメージを与えるわけでもない。マットの上に転がる彼女の肢体を眺めた町田は、やれやれとでも言いたげに首を振る。
「暴れても無駄だよ、朝霧さん。解けないように縛ってあるんだから。それくらい分かるだろ?」
嘆息する町田に、綾はあっさりと頷いた。
「だろうね。……けど、あんたは知ってた? あたしの相棒は、気が短い事で有名なんだよ」
「? どういう意……」
次の瞬間に起こった事は、完全に町田の予想外だったに違いない。
体育倉庫の入り口は一つであり、侵入者がいれば扉の音ですぐに分かる。だからこそ『脱出用』の窓を背にして、町田は悠々とパソコンにデータを打ち込んでいられたのだ。
ところがその“爆発”は、入り口も窓もない綾の背後で起こった。
まず壁のコンクリートを吹き飛ばし、次に備え付けの棚を吹き飛ばし、そこに鎮座していたバレーボールのネットや金属ポールを諸共に吹き飛ばし、最後に町田の目の前にあったパソコンに突き刺さると、ようやく『それ』は停止した。
モニターに突き立つのは、綾にはもう馴染み深くなってしまった、剣。
硝子細工の“剣”だった。
そして、
「――――、よぅ、町田。久しぶりだな」
異形剣士・叶大輔は、自ら開けた大穴から、堂々と現れた。
ここまで読んで下さった読者様、ありがとうございました。
感想・レビューなど頂ければ幸いです。
ブックマーク、高評価もぜひお願いいたします。
それでは、この後もお楽しみ下さい。




