第4話『Tの法則』-1
〈登場人物〉
朝霧綾……主人公。武術家系に生まれた、赤髪の女子高生。
朝霧綾(B)……もう一人の綾。何らかのセカンドスキルを持つ。
叶大輔(B)……綾の仲間。『剣弾』のセカンドスキルをもつ。
日高颯太……綾のクラスメイト。転校生。
西井香織(B)……敵。何らかのセカンドスキルを持つ。
鷹山岬(B)……敵。何らかのセカンドスキルを持つ。
山崎……A面世界での二年一組臨時担任。
鬼塚……B面世界での二年一組臨時担任。
第四話 『Tの法則』
朝霧綾がA面の世界に戻ってきたのは、明け方だった。
浅い眠りから目覚めた綾は、思い詰めた顔のまま服を着替えていた。
いつものブレザーではなく、ノースリーブのカーディガンを選んだのは、少しでも気分が軽くなる方が良かったからだ。スカートは綾自身の物なので、先日のようにウエストのサイズが合わないという事は起こらない。
今日は土曜日なのだが、私立進学校である九条学院では半日授業のカリキュラムが組まれていた。
しかし、綾の気分が重いのは、それだけが理由ではない。
「二人とも、どうしてあんなバカなことしてんのよ……」
昨夜彼女は、セカンドスキルを使う岬に殴られたばかりか、香織にはトラックで轢き殺されそうになった。
示し合わせたような二人の行動と、綾と大輔を始末する、とまで言い切った岬の宣戦布告が、耳にこびりついて離れないのだ。
……だというのに、それでもまだ、朝霧綾は昨夜の出来事が信じられずにいた。
大輔の手を借りて、自室へ戻ってきたのが午前二時。ベッドに倒れて目覚めるまでの四時間半、彼女の記憶は完全に飛んでいる。
家族にバレないよう、シャワーを浴びる事には成功した。だが、脱衣所の鏡に映る自分の裸を見た途端、綾は引き締まった腹に残る青痣に愕然となった。
着替えが終わったあとも、朝食を取る気にはなれず、綾はベッドに座っていた。
髪はまだ纏めていないので、背中に掛かったままだ。正面にある姿見はちょうど彼女の顔を映しているが、赤い前髪が目元にかかって、暗い雰囲気を醸している。
「……お前はホントに不細工だねー」
綾は、自分の外見が嫌いだ。
生まれつき赤い髪は、光や水分の加減次第で、血のような色に見えるときもある。幼稚園から小学生の低学年の頃までは、それを理由に、周りからいじめを受けた事もあった。
そんな彼女も、小学校の高学年に入ると他の女子と同様に二次成長を迎えた。日進月歩で女性らしさを増していく綾の姿を見た一部の男子達は、ありがちな妄想や、あるいはささやかな恋心の一つも抱いていたかもしれない。綾はあっという間に、彼らから異性として見られるようになった。
だが、人目を引くという事は、それだけで負の感情を向けられやすい、ということでもある。男子に騒がれる綾をよしとしない女子からも、彼女はつらい風当たりを受けた。
厄介なことに、白仙の継承者としての特性は、そんな綾の気持ちをよそにして、一般的な日本人女性の水準と離れた体格を形成していく。いつしか人は、朝霧綾を避けるようになっていった。
そんな折、綾は中学校の入学式で西井香織と出会ったのだ。
第一声は「可愛いね」。
綾より二十センチ以上も背の低かった香織は、攻撃的な発色の赤髪を指差してそう言った。
それまで『綺麗』と言われた事はあっても、『可愛い』と言われた試しがなかった綾である。この出会いが、後に高校まで続く奇妙な縁に繋がったのだ。
いつも、自分の力ではどうにもできないような不幸事に巻き込まれ続けてきた。
そんな綾に生まれて初めてできた、信用できる友人が香織だった。彼女がいなければ、中学でも綾は一人きりだったろう。高校に入ってから、岬や大輔とも仲良くなれていたかどうか……。
……それだけに、綾は裏切られた気分だった。
「おかしいよ…。こんなの、絶対おかしいって……」
自分の中で、頭の切り替えがちゃんとできていなかった。だが綾には、どうしても受け入れがたかった。
綾と大輔を襲ったのは『B面』の香織と岬である。
彼女達は、『朝霧綾の友人』ではないのだ。
そういう意味では、綾は意志の強い人間ではない。所詮、祖父に習った白仙では、表面的な強さしか身に着ける事はできなかった。体と心は繋がってはいるが、彼女にとっては違うものなのだ。
鏡の中にいる醜い自分を眺めるうちに、綾の目には涙が浮かんできた。
ところが、思わず鏡から視線を外したその時、彼女は整頓された自分の机の上に、セロハンテープで留められた封筒を発見する。それは安物のレターキットによくある簡易封筒だったが、綾自身には、買った覚えのないものだった。
差出人に、心当たりは一人しかいない。
そう思った瞬間、綾はベッドから立ち上がり、手紙を机から剥ぎ取っていた。震える手で開封すると、封筒には二つ折りの手紙が一枚、差し込まれていた。
『――――『あたし』へ、
夜は寒いからブルゾンを借りるよ。これで二度目だけど、やっぱり自分に手紙書くってのは変な感じだね。今日は時間があるから、ゆっくり文章を考えられるよ』
見覚えのある丸字で綴られる文章に、綾は思わず笑みが浮かんだ。
確かに『彼女』の言う通り、綾もまた、ここにはいない自分と文章を通して会話する事に、奇妙な安心感を覚えている。まだお互いに、顔を会わせた事もないのに。
『彼女』の文章は、次のように続いていた。
『あんたはもう分かってると思うけど、並行世界の移動は偶然で起こってるわけじゃない。
原因はまだ分からないけど、絶対に糸を引いてるヤツがいる。あたしの世界に行く時は、その事も頭の隅に置いといてね。危ない目に遭ったら適当に逃げるんだよ? いいね?
……ところで、話は変わるんだけど、こっちの叶は正気なの? あんた、あんなのの側にいてよく平気だね。悪いけどあたしはマジで引いた……』
「あはは。気の毒に……」
筆圧がこの部分だけ異常に高いので、おそらく大輔に規格外のセクハラされたのだろう。
二年近く彼と過ごしてきた綾には、もはや日常生活の一部(それもおかしな話だが)になっているので、多少のセクハラは殴って返すだけである。B面の綾にしてみれば、初めての大輔は相当に衝撃だったはずだ。
ところが、綾の苦笑いは、末尾の一文でかき消える。
『最後になるけど、ここがあんたの世界だからって、油断しない方がいいよ。
特に――――、
――――、山崎は、敵だから』
安息の世界など、もうどこにもなかった。
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