第3話『ダブル・キャスト』-5
その夜、綾はやはり自室のベッドで目覚めた。
大輔とは、放課後に簡単な打ち合わせを済ませている。家の者に見つからないようにB面の自室へ戻った綾は、予定通り部屋の片付けに奮闘した。そしてそのあと、彼女はベッドに潜り込むとそのまま眠ってしまったのだ。
A面世界からB面世界への移動条件はいまだ未解明だが、綾の場合は就寝中にそのタイミングが来ることが多い。つまり彼女は今夜、久しぶりにA面の平和な夜を過ごすことになるはずだった。
しかし、綾が目覚めたその部屋は――、
――、衣類こそ片づけられていたが、壁にはコートが掛かったままだった。
「……シフトしてない?」
寝汗を吸った掛け布団を押しのけて、綾は半身を起こした。
“滞在時間”が長くなっている。
綾の腹の底を、危機感が巡った。
すでに彼女がB面の世界へ来てから、半日以上が過ぎている。
今更ながら、自分がどれだけ不安定な立場にあるかを思い知り、綾は寒気に身を震わせた。そのくせ喉だけは変に渇いていたので、彼女は下校途中に買っていたスポーツドリンクをがぶ飲みする。
部屋には二階の窓から侵入したので、綾はまだB面の家族に姿を見られていない。夕食はコンビニ弁当で済ませていたので、思ったほどの空腹感はなかった。
ただ、嫌な汗だけが止まらない。
日高颯太と同じように、綾をAとBの世界へ行き来させているのは、一体誰なのだろうか? 綾が完全にA面の世界へ戻れなくなるまでの、タイムリミットは? 『A面の日高』殺しの犯人は誰なのか?二年一組で起こっている『失踪事件』の犯人は? そして、被害者達の居場所は?
「うー」
問題が多すぎて、綾は頭がおかしくなりそうだった。
……とはいえ、混乱してばかりもいられない。B面世界の滞在時間が長くなっているという事は、日高の言っていたタイムリミットが着実に近づいている証拠だ。このまま事態を放置していれば、綾は本当にA面の世界へ戻れなくなってしまう。
額の汗を拭い、綾はもう一度、スポーツドリンクをがぶ飲みする。たったそれだけで、彼女はいつもの落ち着きを取り戻した。
白仙の稽古と同じである。生卵を扱うような繊細さは、一糸乱れぬ心から生まれるのだ。肉体はその心に倣って、問題の解決に適正な力を発揮する。
綾はあらためて、枕元の時計を見た。
「十一時か。大輔のヤツ、もう見回りしてるのかな?」
打ち合わせでは、綾がB面にいない間、大輔が一人でクラスの失踪事件を追う手筈になっている。
また、調査を進めていくうちに、大輔のようにセカンドスキルを使う者が現れる可能性もあるだろう。綾としては、その人物が敵にならないことを祈るばかりである。
実のところ、綾は事件の犯人を見つけても、問題解決に暴力を行使するつもりなど毛頭なかった。だが、血の気の多い大輔は別だ。彼は犯人を見つけた瞬間、“剣弾”で撃ち殺しかねない。
相方の単純さに頭痛を覚えながら、綾はシャツとパンツを黒で揃え、お決まりのコートを羽織って窓枠に手を掛ける。パンツのウエストが、やはり少しだけキツかった。
今夜、蛇穴の空に月はない。
夜風に首を竦ませながら、
「……今夜も冷えるなぁ」
そう呟いて、白仙使いはねぐらを後にした。
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