第3話『ダブル・キャスト』-3
日高との雑談もそこそこに、綾は今後の大雑把な予定を立てた。
いつ起こるかわからない並行世界間の移動にそわそわしながらも、彼女はその日、いつもより二時間ほど早く就寝した。
夜半に目が覚めなかったところを見るに、昨夜はB面の世界へ移動しなかったのだろう。一昨日からの深刻な睡眠不足をカバーできたのは、綾にとって幸運な事だといえた。
「……なぁにが幸運だ、ふざけんな」
ベッドの上で半身を起こした彼女の目には、壁に掛かるあのコートが映っていた。
予想外とは、まさにこの事である。驚くことに、今回の“移動”は早朝に起こったらしい。
目覚まし時計は、A面でアラームをセットした時刻の一時間前を指している。
つまり今日一日、否、下手をするとそれ以上の時間を、綾はB面で過ごさなくてはならないということだ。これまでのパターンから、夜に行動する事ばかりを思い描いていた彼女の計画は、この時点であっけなく瓦解してしまう。
A面の綾とB面の綾は同じ人間だが、二人の微妙な違いに気づく者がいないともかぎらない。余計な騒ぎを起こして混乱を招くのは、得策ではなかった。だからこそ、事件を調査するのは夜、と決めていた綾である。
ただ、不幸中の幸いか、まだこちらの世界の住人とは誰とも遭遇していない。『こちらの家族』と顔を合わせて詮索を受けるのも厄介なので、綾は黙って朝霧家を出て行く事にした。
ベッドの周りは相変わらず、服と下着の無法地帯と化している。大輔あたりはパラダイスとでも言いそうだが、几帳面な綾はA面に帰る前に、この部屋だけは片付けておこうと心に誓った。
とはいえ、まずは着替えだった。寝ぼけ眼のまま、綾は壁にかかった制服を手に取る。
ところが、ここで思いも寄らぬ事態が起こった。
「ウソ!? キツい!」
衝撃がはしった。
普段の位置でスカートのファスナーを留めようとしたところ、ウエストがどうにもキツいのだ。B面の綾はA面の綾と同様に、白仙を使うはずだ。そこに体型の不一致が起こるはずがない。
戦慄を覚えた綾の背中に、冷たい汗が伝う。
考えられる可能性は一つだけだった。
太ったのだ。
ついに太ってしまったのだ……。
前代未聞空前絶後、朝霧家史上初、デブ白仙使いの誕生である。
「お、終わった。あたしの黄金時代……。もう夜中にポテチ食べるのやめよ。うぁあ……」
潔く事実を受け入れて、綾は外に誰もいないのを窓から確認した。
そしてもう一つ。
日高には黙っていたが、実は昨日の朝方にB面からA面へ帰る前、綾はもう一人の自分へ向けて『手紙』書き残していた。部屋に入ってきたら必ず目につくように、机の上にしたためておいたのだが、うまくB面の自分の手に渡ったのかどうか、綾は心配だった。
B面の大輔が初めに言っていた通り、“A面の日高殺し”の犯人は、現時点でB面の朝霧綾が最有力なのである。
しかし綾がB面にいる間は、当然『彼女』はA面にいるわけで、互いに直接会う事はできない。よしんば会えたところで、まともな話し合いの時間がとれるとも思えなかった。
そこで、綾は昨日の朝、机の上に置き手紙を残しておいたのである。
手紙、といっても、メモ用紙に走り書きを残しただけである。それは、特に相手の返事を期待しない、綾からのシンプルなメッセージだった。
『あたしへ。あんたが日高を殺したの?』
それだけである。まともな犯人なら、ここは無視を決め込むところだろう。
だが、机の上には綾の書いたメモ用紙の他にもう一枚、別の書き置きがあった。
ノートの切れ端に書き殴られていたのは、見るからに女らしい丸字。
綾と、同じ筆跡だった。
「……オーケー。信じるよ」
やけに短いスカートの丈を気にしながら、綾は窓の外に出た。
二枚のメモは、吹き込む風に攫われて部屋に舞う。
そのうち一枚に残された言葉は、たった八文字だけ。
『あたしはあんただ』
それが『彼女』の返事だった。
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