第2話『いつかみた、知らない場所』-7
人が知覚できる、限界のタイミングだった。
叶大輔の手元から発射された“土色の剣”は、すんでのところで仰け反った綾の、腹からたった一センチだけ離れた場所を、一瞬で通過した。
しかも、“土色の剣”は勢いを落とさず綾の背後の校舎へ飛んでいき、おそらく職員室あたりだと思われるガラス窓をぶち破って、馬鹿げた破壊音をあげた。
「は。これも避けんのか。でもな、いくらお前でも、この“剣弾”をいつまでも避け続けるのは無理だろうが」
勝ち誇ったような大輔の声を聞き、綾は苦虫を噛み潰したような顔をした。
とにかく、大輔のセカンドスキルを理解しなければ、勝機はない。
あの速度に、この破壊力。まともに一撃喰らえばそれだけでジ・エンドだ。
まして相手を殺しに掛かっている大輔と、そうでない綾とでは、心持ちにも大きなハンデがある。
花壇の手前で構えを取っていた彼女は、そこで大輔の足元に発生した異常に気が付いた。裸足になった彼の足元が、ラクトアイスを削ったように、ぐるり、と陥没している。
地面から手を離した大輔は不敵に笑い、再び刀を構え直した。
「接近して“斬り殺される”のがお好みか、それとも距離をとって“撃ち殺される”のがお望みか。どっちにしろ、テメェはここで死ぬけどなッッ!」
裂帛の気合いと共に、振り下ろされる大輔の一刀が綾に襲いかかった。
綾は身を翻し、刀の軌道に合わせて裏拳を放つ。だが、またも大輔はこれを読んでいた。
大輔は振り下ろした刀から手を離し、絶妙のタイミングで彼女の胴に体当たりをすると、大振りの左拳を叩き込む。しかし綾の方も、裏拳が外れると見るや否や、大輔の脇腹に迅速な回し蹴りを放っていた。
喧嘩慣れした大輔の拳が綾の顔を捉えるのと、彼女の足先が彼の腹へ同時に直撃。
互いにクリーンヒットしたものの、綾は大輔の拳の衝撃を逃がすように反転し、間合いを取る。
しかし、綾がそれだけの動作をする間に、大輔はその場から一歩たりとも動いていなかった。
「!? しまっ――」
気付くのがわずかに遅かった。
大輔はすでに、地面へ平手を向けている。
――直後、異形剣士の“剣弾”が、白仙使いを狙い撃ちにした。
「うっっっっっっっっ!」
内臓を押し上げるような重い一撃が、綾の腹部に命中する。
その勢いの凄さといったら、至近距離で攻撃を受けた綾の体を、グラウンド際の花壇から校舎の二階まで吹き飛ばす程の威力があった。壁面に叩き付けられた彼女の体は、ボールのようにぶつかった勢いと同じだけの跳ね返りで、空宙に投げ出される。
せり上がる胃の中身を押さえこみ、綾は無理矢理空中で体を反転させた。
「……げっほ、ゲホッッッ。……すご、あたし、ま、まだ死んで、ない……っ?」
校舎の二階から突き出したひさしに手を掛けて、綾は自重を支えた。そしてだらりと垂れ下がったもう一方の華奢な手は、今しがた大輔が放った“土色の剣”をしっかりと掴んでいる。
「くそったれが……。イメージし切れなかったか」
眼下からそんな悪態が聞こえた。
綾は壁面のひさしにぶら下がったまま、『剣』が腹を貫通しなかった、その理由を知った。
『剣』の形が妙に歪なのだ。
剣先がまるでハンマーのように太く、丸いのである。
柄の部分からさらさらと夜風に攫われていく“土色の剣”は、数秒もしないうちに彼女の手の中から消えて無くなった。
綾は取っ掛かりを掴んでいた腕に力を入れて、後方宙返りの要領でひさしを足場にしてみせる。驚くべき身の軽さだが、着地の振動が腹に響いて、彼女は思わず顔をしかめた。
しかし、綾は何となくだが、大輔のセカンドスキルの正体を掴みかけていた。
陥没した大輔の足元と、先ほどの悪態から、“剣弾”の仕組みは大体予想はできる。原理は不明だが、とにかく彼はグラウンドの土を『剣』の形に変えて、それを発射しているのだ。
ならば、『剣』を作る材料を絶ってしまえばいいだけの話である。
即断即決、綾は背にした窓ガラスを叩き割り、二年一組の教室の中へ逃げ込んだ。
「痛ったい……。本当、何やってるんだろ、あたし。ただの女子高生やってれば良かったのに」
大輔が階段を使ってここへ辿り着くまでには、幾ばくかの余裕がある。その間に彼のセカンドスキルの攻略法を見つけられれば、綾の勝ちだ。
ところが、そうはいかなかった。
教室を出ようとした彼女の背後から、聞き覚えのある爆音が飛び込んできたのである。
後ろの窓枠が丸ごと吹き飛び、机や椅子をごちゃ混ぜにしながら、教室の半分をもうもうと土煙が覆った。飛び散ったガラスの破片が照明を反射して、妙に綺麗な光景だった。
「いやいやいや、まさか、いくらなんでもそこまでは……」
その『まさか』だった。
「――逃げ、られて、たまるかよ」
土煙の中から、幽鬼のように、叶大輔が現れたのだ。
どこまでも馬鹿げたその執念に、綾は鳥肌が立つのを止められなかった。右腕から血を流しているところを見ると、どうやら彼女の想像に間違いはないらしい。
大輔はグラウンドから二階にあるこの教室まで、一直線に飛んできたのだ。
セカンドスキルで作り出した『剣』を素手で掴み、自分ごと発射したのである。下手をすれば『剣』を掴んだ腕が千切れてもおかしくない。命知らずもいいところだった。
左手に携えた日本刀をゆらりと構え、大輔は決戦の間合いを詰めにかかる。
綾はようやくこのクラスメイトが本当に恐ろしくなり、無我夢中で教室を飛び出した。が、そうして必死で廊下を走る彼女の後を、当然のように大輔も追ってくる。
月明かりを受けて浮かび上がる赤髪の影を、異形剣士は容赦なく駆り立てていく。
長い廊下を疾走しながら、綾は追手を二十メートルも引き離しただろうかというところで、しかし、剣士がまたも不可解な行動を取ったのを目撃した。
大輔が、“両手”を床に突いている。
「うっわマジでッッ!?」
考える暇など、なかった。
瞬時に身を捻って、廊下から中央階段へ飛び込んだのが精一杯。だから綾には、自分の足の先を大量の“剣弾”が飛んでいく、その様子を眺める余裕もなかった。
聞こえた音からして十発か、それ以上の数を飛ばしたに違いない。
それが証拠に、“剣弾”が彼女の元いた座標を通過した数瞬後には、これまでの比にならないような爆音が校舎を振動させたのである。間違いなく、いくつかの教室は吹き飛んだだろう。間髪入れず、綾は階段を駆け上がっていた。
大輔のセカンドスキルを憶測で決めつけたのが、大きな間違いだったのだ。
おそらく手をかざすだけで、彼はいかなる物質も『剣』の形に変えて発射できるのだろう。
階段を昇り切ると、綾は錆びついた屋上の鉄扉を蹴り開けた。その間にも、背後の殺気はすぐそこまで迫っている。彼女は逃げるように、屋上へ飛び出した。
「……ねぇ大輔、もうやめない? こんな喧嘩、これ以上続けたってゼッタイ意味ないって」
その呼びかけに、屋上へ上がってきた叶大輔は答えない。
代わりに飛来した“剣弾”が、交渉決裂を物語っていた。
綾はコンクリート製の“灰色の剣”をぎりぎりまで引き付けると、かわしざまに蹴りつけて、着弾位置を変更する。目標を失って見当違いの軌道で飛んだ大輔の“剣弾”は、見事なカーブを描いて屋上の入り口を破壊した。
「いい? もう一度だけ言うよ? この喧嘩、これ以上は意味がな――」
「うるッッッッッせえんだよ馬鹿野郎ッッ! 日高の仇だ! 仇なんだよてめぇはッッ! 」
綾の最後通告は、やはり空しく拒否された。雄叫びを上げた大輔は、刀を手放すと両手を地面に叩き付けた。このまま彼のセカンドスキルである“剣弾”で、彼女を撃ち殺す気でいるらしい。
綾は一度だけ、大きく溜息をついたあと、赤髪を夜風になびかせて超然と言い放った。
「……あっそ。じゃ、もうはっきり言ってあげるよ。大輔――――。
―――――たった今、あたしはあんたを攻略した」
「……そうかよ」
屋上に敷き詰められたコンクリート板が、ぐにゃり、と歪む。次の瞬間、その場にしゃがみ込んだ大輔を中心に、半径一メートルほどの範囲から剣の群れが飛び出した。
「屋上に逃げ込めば、足場が無くなるのにビビって俺が“剣弾”を使わないとでも思ったか? なめンなよ朝霧ィッッッ!」
綾は空中に身を躍らせた。
大輔が地面から汲み取ったコンクリートは次々に剣へ変形し、マシンガンを思わせる連射を実現する。まるで柱のように連なった“剣弾”の束が、赤い髪の『的』へ飛ぶ。
月夜を背にして宙を舞う綾に、剣の弾丸が餓狼の如く牙を剥く。その一発一発が、教室を半壊させるほどの威力を秘めた“剣弾”による、オーバーキルじみた一斉掃射だ。
ところが、一撃必殺の剣の牙がコート姿の獲物に喰らいつくかと思った、その時だった。
「――しょ、正気かてめえ……ッッッ?」
異形剣士、叶大輔は見た。
実距離二十メートルの前空で、剣の波に呑まれた長身赤髪の少女。
あろうことか、彼女は、
「け、剣の上、走って――ッ!?」
それは、見る者の肝が縮みあがるような光景だった。
一足。また一足と、紅の白仙使いは死の掃射をやり過ごす。
それも、空中に身を置いたまま。
大輔が度肝を抜かれるのも無理はない。綾は空中に踊らせたその長身を、上下左右に反転させながら、迫り来る“剣弾”の一刀一刀を縦横無尽に踏みつけていた。
異形剣士、叶大輔の真の力が“剣弾”ならば、これが白仙使い、朝霧綾の本領だった。
――白仙、『天翔運足』。
元々は足場の不安定な屋根の上や、船上での戦いを想定して考案された運足法である。いかなる状況においても、またいかなる体勢からでも、全身全霊の一撃を相手に叩き込む為の体捌き。
だがそれを、飛来する剣を足場に置き換え実践するなど、一体誰が思いつくというのか。
大輔によって量産された西洋剣の腹を、一足七千円のスポーツシューズが蹴る。
蹴る。蹴る。そして蹴る。
彼女の蹴りに弾かれて軌道を誤った“剣弾”は、雨のように深夜の九条学院へ降り注いだ。爆散する給水塔、地雷処理を施したように穴だらけになっていくグラウンド。敷地内はものの数秒で無作為な破壊の餌食になったが、“剣弾”による空襲劇は終わらない。
否、周囲の被害など、今の大輔にとっては些細な事だった。
それよりも問題なのは、彼の繰り出す剣の波を十重二十重に蹴り払う、長身赤髪の怪物だ。
数秒前まで獲物に過ぎなかったその少女の瞳は、今や冷酷なハンターの光を宿している。
それだけではない。徐々にではあるが、綾は空中で体勢を整えながら、大輔との距離を詰めていた。このままいけば、素手の彼女が得意とするクロスレンジまで間合いが縮まったその時、大輔の負けが確定する。
「ざけんじゃねえッッ、勝つのは俺だッッッッ!」
叫ぶや否や大輔は、己の脳が破裂するかと思うほどのイメージを膨らませ、変換可能なコンクリートの許容量一杯まで“剣弾”を弾き出す。
だが彼の吐き出す希望の剣は、朝霧綾には届かない。そればかりか、その足掻きは朝霧綾が間合いを潰す勢いを、さらに加速させたに過ぎなかった。
この時点で、叶大輔は致命的なミスを犯していた。
綾が決戦のステージに屋上を選んだのは、“剣弾”の成型材料を制限する為ではない。視界に入るだけの平面に、彼をおびき出す事に意味があったのだ。
その目的は、攻撃発生範囲の限定である。いくら綾が“剣弾”の一発一発を避ける事ができるといっても、校舎の中やグラウンドで大輔と戦えば、壁や天井を利用されて三次元的に発射される剣に蜂の巣にされるのは、火を見るよりも明らかだ。
だが屋上ならば、“剣弾”の発射位置は地面だけ、つまり二次元に限定される。
さらに、大輔は逆上していたため、足を止めて『撃ち合い』に転じてしまった。
パターン化された攻撃ほど、対処しやすいものはない。だからこそ綾は大輔に、自分が彼を“攻略した”とまで明言したのだ。
それもこれも、白仙あってこその話である。
繰り出された綾の回し蹴りは、卵を扱うような繊細さで剣の弾道を逸らしていく。
驚く事にこの妖拳法は、術者の体感する衝撃力を自由自在に伝導・放出させる、という特性を持っている。天翔運足と呼ばれるこの動きもまた、足場となる物体の運動エネルギーを利用して、術者の体勢を保持し続けるという、とんでもない荒技である。
最後の一撃。掃射の切れ目となる“剣弾”を、彼女は振り下ろしの肘で叩き折る。コートがはためく音が聞こえると、綾はおよそ一分間もの滞空を終え、屋上へと着地していた。
「ち、く、しょうが……」
大輔は掠れ声をあげて、足元の刀を手に取った。
だがその重みに耐えかねて、彼は刀を握った体勢のまま、大の字に倒れてしまう。すでに大輔は、全身が思うように動かなくなっていた。
蛇穴の夜に静寂が戻った。
後には土煙や粉塵が覆う学舎を、霞んだ月光が照らすだけ。
“剣弾”の破片が髪を纏めていたゴムを切っていたのか、赤い髪はそのまま背中へ流されている。綾はそのまま、全精力を使い果たしたクラスメイトに歩み寄った。
「大輔。……喧嘩ってさ、殴る方も疲れるんだよ。あんたが本当にあたしに勝ちたかったんなら、セカンドスキルなんかに頼らずに、初めから刀を使うべきだったんだ」
哀れみすら感じさせる綾の言葉に、大輔は悔しさのあまり唇を噛みしめていた。
「くそ、ったれ…。日高の、仇……なのに」
「その根性だけは大したもんだよ。あんたがそんなに友達想いな奴だったなんて、クラスのみんなが知ったら絶対驚くだろうね。……でもこの喧嘩、あたしの勝ちだ」
「やれ! 殺れよ! 日高をやった時みたいによッ」
「いい加減にしてよッッ。あたしは日高を殺してないし、あんたを殺す気もない!」
校舎を半壊させても変わらない大輔の態度に、綾はとうとう我慢できなくなった。彼女は変形した地面に倒れるクラスメイトの胸倉を掴むと、額が擦れ合うほど顔を近づけた。そのあまりの迫力に、大輔は次の文句が出てこない。
「ちゃんと人のハナシ聞け! このバカッ! あたしは本当に喧嘩がキライで、人殺しはもっとイヤなの! 責任取りなさいよ、どうすんのこれ? 学校メチャクチャにして!」
「あぁ? ちょっとまて。『ケンカが嫌い』だ? お前、マジで言ってんのか?」
「あたりまえでしょ! 『こっちの世界のあたし』がどんな子か知らないけど、あたしはあんたの知ってる『朝霧綾』じゃないって、何度も言ってるじゃない!」
胸倉を離して見下ろす綾の姿に、大輔は怪訝な顔をするばかりだ。
「わからねぇ。お前、そんなガラじゃねえだろうが。まさか、本当に別の……?」
「…………バカじゃないの? あんた。ほんとに」
怒り心頭の表情から一転し、綾は涙目で同級生を睨み返した。
彼女はただ、度重なる悪運に導かれ、この世界にやってきた空間の漂流者に過ぎない。
朝霧綾は身長百七十七センチの『でかい女』だ。赤い髪の毛も、よく他人に不良だと誤解される。休日に友達と遊びに行けば、背格好だけで彼氏だと勘違いされる事もままある。
それでも彼女は、同世代の少女より少しだけ大人びていて、格闘技が使えるだけの、まだ十七歳の女子高生なのだ。
理不尽には文句の一つも言いたくなる。泣きたくもなる。
無敵の白仙使いも、こうしていれば年相応の少女に違いなかった。
「……お前、いったい『誰』なんだ?」
呟くような大輔の問いかけに、彼女は目元を腫らしたまま教えてやった。
「親からもらった名前は朝霧綾。九条学院二年一組、出席番号二番。叶大輔とは、一年からのくされ縁。……だけど、あたしがあんたと会うのは今日で“二度目”。あ、あたしは――、
――あたしは『この世界』とは別の、『並行世界』から来たのよ……ッ」
堰を切ったように泣き出すクラスメイトを、叶大輔は慌てて宥める羽目になった。
第二話 終
ここまで読んで下さった読者様、ありがとうございました。
第二話はここまでとなりますが、いかがでしたでしょうか?
感想・レビューなど頂ければ幸いです。
この後も、お楽しみ下さい。




