第133話 百階層の怪物
それから十日ほどかけて、アクア達は百階層までの調整と配置をようやく終わらせた。
低階層は初心者でも楽しめるように。
中層は温泉やスイーツで滞在したくなるように。
そして高層へ行くほど、純粋な実力と覚悟を試される構造へ。
もはやこのダンジョンは、単なる狩場ではなかった。
観光地であり、娯楽施設であり、修行場であり、そして最後には命を賭ける魔境へと変貌していた。
百階。
最後のボス部屋。
巨大な石扉がゆっくり開いた瞬間、ユキは思わず息を呑んだ。
広大な空間の中央。
そこに立っていたのは、まるで戦争そのものを形にしたような怪物だった。
阿修羅アスラ。
三つの顔を持ち、それぞれの額から鋭い角が一本ずつ生えている。
赤黒い皮膚は岩のように硬質で、全身を覆う筋肉は鎧のように盛り上がっていた。
六本の腕は異なる構えを取っており、上段の腕には黒い長剣、中段には巨大な盾、下段には禍々しい杖が握られている。
それだけではない。
残る腕は素手だった。
だが、その拳こそが最も危険だと、一目で分かる。
ただ立っているだけなのに、空気が重い。
まるで巨大な猛獣と同じ檻に閉じ込められたような圧迫感があった。
古い文献に残る言葉。
『三面に死角無し。六臂より繰り出されるは変幻自在の拳打の嵐』
冗談でも誇張でもない。
本当にそのままだった。
しかし、その横でユウだけはまったく違う反応をしていた。
「このバッグ欲しい!」
ユウが目を輝かせていたのは、ボスより宝箱だった。
報酬欄に表示されているのは、ブランド風異空間収納バッグ。
黒を基調にした高級感あるデザインで、金細工も美しい。
しかも容量は倉庫一つ分という超希少品だった。
アクアが呆れ顔になる。
「いや、まず敵見ろよ」
「見た!」
「で、欲しい!」
言うが早いか、ユウはコントロール室を飛び出していた。
「おい待て!」
制止する声も聞かず、ユウは百階のボス部屋へ駆け込む。
その瞬間だった。
阿修羅アスラの三つの顔が、一斉にユウを見た。
ぞわり、と空気が震える。
次の瞬間、アスラの姿が消えた。
いや、速すぎて見えなかった。
轟音。
上段の腕から放たれた剣撃が、空間ごと薙ぎ払うように振り抜かれる。
ユウは反射的に跳び上がった。
剣圧だけで床が裂け、石畳が爆発したように吹き飛ぶ。
その直後。
空中へ逃げたユウを、中段の盾が待ち構えていた。
「わっ!」
鈍い衝撃。
ユウの小さな身体が弾かれ、壁へ一直線に吹き飛ぶ。
さらに追撃。
下段の杖から、三種類の魔法が同時に放たれた。
火炎。
氷槍。
雷撃。
それぞれ別方向から、完璧なタイミングで襲い掛かる。
普通の魔術師なら、一つ発動するだけでも集中が必要だ。
それをアスラは、呼吸するように同時制御していた。
ユウは床を転がりながら氷槍を避け、雷を跳び越え、最後は炎を真正面から突っ切る。
爆炎が広がった。
しかし、その中からユウが飛び出してくる。
髪を焦がしながらも、顔は笑っていた。
「すごーい!」
コントロール室で見ていたアクアが苦笑する。
「今までで一番強いな、こいつ」
ユキは青ざめていた。
「ユウさん押されてません!?」
実際、押されていた。
アスラには死角がない。
三つの顔が別々に周囲を監視し、六本の腕が完全に独立して動いている。
剣で斬りつけながら、盾で殴り、杖で魔法を撃ち、空いた腕で拳打を叩き込む。
その全てが同時だった。
しかも一撃一撃が重い。
速い。
そして正確。
ユウが懐へ飛び込む。
偃月短刀を抜き放ち、一気に斬り上げた。
ガギィン!!
硬い。
アスラの剣が受け止める。
だが、その瞬間には別の拳が横から飛んできていた。
「おっと」
避け切れない。
鈍い衝撃と共に、ユウの身体が吹き飛ぶ。
壁へ激突。
石壁が蜘蛛の巣状に砕ける。
普通なら即死だった。
それでもユウは笑っている。
「楽しい!」
その笑顔を見て、アスラの中央の顔が僅かに歪んだ。
怒ったのか。
それとも戦士として認めたのか。
六本の腕がゆっくり持ち上がる。
次の瞬間、ボス部屋全体を埋め尽くすほどの魔法陣が展開された。
炎。
雷。
氷。
風。
闇。
爆裂。
色とりどりの魔力光が空間を染め上げる。
ユキが悲鳴を上げた。
「こんなの避けられません!」
だがユウは走った。
床を蹴り、壁を駆け、空中で身体をひねりながら魔法の嵐をすり抜けていく。
しかし一本。
紫電の槍だけが肩を掠めた。
バチィッ!!
「いたっ!」
初めてユウの顔が少し歪む。
だが次の瞬間には、また楽しそうに笑っていた。
「もっと強いの来ないかな!」
アクアが額を押さえた。
「完全に戦闘狂だな、あいつ……」
巨大な阿修羅アスラ。
その怪物と、真正面から殴り合いながら笑っている少女。
轟音。
爆発。
飛び散る魔力。
常識外れの戦闘。




