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織って、落ちた


 リンク特有の冷めた空気が肺を満たす感覚に何度も苦しめられた。

 何度も飛んでは転んだ、諦めなければ絶対にこの先に行けるとずっと信じてきた。

 

「姫名、いつでもやめて良いですからね」

 ジャンプ課題の事ではない、今立っている銀盤の上から降りていい許可を下された。

 お母さんの変わらない表情からは何も読み取れない、だから私はいつもその言葉を素直に受け取ってきた。

「・・・私は」

「才能というのは残酷です。これ以上続けても、貴重な時間を無駄にするだけ」

 お母さんの目線が少し逸れて、私もそれを追って視線を向ける、その先にいるのは、たまたま同じリンク上で合同練習をしていた、私の妹だった。

「無い側に立つだけで、この氷の上は更に冷たくなります」

 ブレードが氷を削る音を響かせながら、凪ちゃんは思いっきり勢いを乗せて、飛んだ。

 

「──ぁ」


 その時、私は確かに感じてしまった。

 ここに立つべき存在は、私ではないと。

「ダブルアクセルの着氷。凪の方が速かったですね」

 お母さんはそう言って、私に再び視線を向ける事はなかった。


「姫名!お疲れ、今から帰るの?」

「うん、そうだよ」

 ロッカールームで荷物を整えていると、凪ちゃんが嬉しそうに駆け寄ってくる。

「じゃあさ、私と一緒に帰ろうよ!コーチが家まで送ってくれるんだって」

 どうやら凪ちゃんのクラブも撤退するらしい、凪ちゃんは少し急ぎ気味に着替え始めた。

「──うん。一緒に帰ろっか」

 お母さんはまだリンクに残るらしい。

 他のコーチ達と色々と話す事があるから、私はこうやって先に帰されることになった。

「お母さん、酷いよね。送り迎えぐらいして欲しいよね」

「あはは、電車で2駅ぐらいだし大丈夫だよ」

「姫名は優しすぎ。よし、行こ。駐車場で待ってるって」

 凪ちゃんに手を引かれながら、私達は備え付けの駐車場へと向かっていった。

 私の手を掴む凪ちゃんの右手は、昔に触れたお母さんと同様に、痛いほど冷たかった。



「凪は車の中だとすぐ寝るね」

「ふふ、確かに」

 大和さんの運転はとても優しい揺籠の様だった。

 緩やかに停車するし発進も滑らかで、凪ちゃんが眠くなるのもわかる気がした。

「凪が世界レベルの選手とはね」

「意外ですか?」

「意外っていうか・・・不思議?」

 ミラー越しに大和さんの顔を見てみれば、器用に運転しながらも私達に気を配る様にチラチラと視線を向けている。

「不思議ですか」

「身近な人がトップアスリートだと、やっぱり驚くよね。初めてアンジェラさん見た時とか」

「初対面の時、大和さん凄く驚いてましたよね」

「テレビを見ない俺でも知ってるレベルの有名人だからね」

 お母さん──、白金アンジェラ。

 旧名、鶴橋アンジェラはその圧倒的な実力と浮世離れした美貌から、メディアで何度も取り上げられていた。

 氷の絶対女王、若くしてオリンピックの頂点に輝いたその実績はとても輝かしい栄光だ。

「凪ちゃんは・・・特別なんだと思います」

「特別?」

「そうです。凪ちゃんの持っている翼は誰よりも大きくて、誰よりも綺麗なんです」

 目を閉じれば何度も蘇ってくる、あの日のジャンプ。

 脳の奥底に刻まれて、癒える事がない程に強力に残された爪痕。

「お母さんと、同じ・・・。綺麗に羽ばたく子なんです、だから、凪ちゃんが世界レベルなのは当然ですよ」

 私の肩で眠る妹は、規則的な呼吸をしている。

 それがたまらなく愛おしくて、綺麗な絹の様な金髪を優しく梳かす。

「何も・・・不思議な事はありません。お母さんの、鶴橋アンジェラの、子供ですから」

「そうかなぁ」

「え?」

 信号は赤信号になって止まった。

 車内テレビに映るバラエティー番組の音だけが、この空間を支配する。

「アンジェラさんの娘だからとか以前に、やっぱり世界まで進出するなんて凄いと思うよ」

「・・・っ」

 その言葉は私の奥底に深く刺さった。

 本当に矢が刺さったみたいに、胸が苦しくなる。

「凪は、ずっとスケートを続けたから今の立場を築けたんだろうね」

 凪ちゃんを撫でていた手が止まる。

 与えられていた刺激が無くなったからか、凪ちゃんは少し寂しそうに唸っていた。

「──だってよ、やっぱり凪ちゃんのスケート、大和さんに見てもらうべきだよ」

 小さく私がそう囁けば、今度は嫌そうに頭をぐりぐりと動かした。

「フィギュアスケート選手として、頑張んないとね」

 お母さんの、子供として──。


「スケート選手じゃなくても、俺はいいと思うけどなぁ」

「・・・ぇ」


「アンジェラさんの娘だから、スケートをやるべき!っていうのは、違うと思うよ」

「ど、どうして?」

 車が動いたと同時に、周りの音が聞こえ始める。

 静かになったのは周囲ではなく、私が音を拾おうとしていなかったのだ。

「どうしても何も、子供の道は大人が決めるものじゃないしね。・・・あ、だからといって今の同居を肯定するつもりはないよ」

「あぇ、あ、はい」

 ミラー越しで目があって、ちょっとだけ睨まれる。

 けれどそれはおふさげの程で、すぐさま優しい笑顔を向けられた。

「俺達大人が出来る事って、結局は助ける事だけなんだ。お金を出したり、背中を押す事しか出来ない」

 どこか憂いを帯びたその眼差し、大和さんは何を経験してきたのだろうか。

「だから、その()()を何が何でも遂行する。俺が今回の同居を許したのも、俺の中でそうしたかったからなんだ」

 その言葉を何回も反芻する。




 思い出すのは、私がスケートを辞めると告げた日の事。

「なんでよ!!なんで、スケート止めるの!?」

「私がそうしたかったの」

「・・・意味わかんないよ。そんな、い、いきなり」

 酷く動揺した顔だった、多分、こんなに焦るところを見た事がないってぐらいに。

「そうしたかったって、どういう意味なの・・・。スケート、嫌いになったの?」

「なってないよ」

「じゃあ、なんで・・・」


 綺麗だと思った。

 変に言葉を飾りたく無いぐらい、凪ちゃんの飛び方は綺麗でしかない。

 それを見て、私は、この翼がどこまで飛べるのか期待してしまった。

「凪ちゃん、私のレベルに合わせようとしてるでしょ」

「──っ、し、してないよ!」

「6級、受かるレベルにいるのに?」

「・・・!」

 わかりやすい顔を浮かべる凪ちゃんに、私はこの子との確かな血の繋がりを感じた。

 どこか遠くに感じた大切な妹と、そこで初めて近づけた気がした。

「私に遠慮しなくていいんだよ。凪ちゃんは、どこまで行けるから」

「ち、違う・・・。私は──」

「応援してる!!私の分も、沢山飛んでね!」


 私は、私がそうしたかったから、この銀盤を降りたんだ。

 周りの反応は酷かった、凪ちゃんの滑りを見たくて、リンクに見学しにいけば、妹の才能にやられて逃げた姉としてヒソヒソと囁かれた。

 でも別に良かった、私は降りる事に納得した。


 納得・・・、していたのかな──。



「大和さん、私、何も無いんです」

「え?」

「凪ちゃんは今、輝かしい栄光の道を進んでる。自分に誇れるものがある」

 窓から差し込む光を浴びて、金髪が煌めく、なんて眩しく輝くんだろうか。

「・・・何も無い私は、何かを持ってる凪ちゃんを支えたくて、今を生きてます」

 私よりも先を行った凪ちゃんの背中を押してあげたくて私は料理を覚えた、大和さんには感謝しかない。

「少しでも、この光を・・・浴びていたい。ずるい人間です」

 

「そんな事ないよ」


 

 あぁ、私はなんてずるい女なのか。

 ずっと、ずっとずっと、私はそう言われたかった。

「姫名はずるくないし、凪を支える為に努力をしてる。凪が目を向けない事に、しっかりと向き合ってる」

 少しだけ下を向く、劣等感にまみれた私にとってその言葉は何よりも救いだった。

「何も無いなんて事、言わないでね。姫名は誰かのために頑張れる凄い子だよ」




 私がこの人を好きになった日は、スケートをやめて丁度1ヶ月経った時だった。

「え?バイオリン?」

「うん!見てて、大和お兄ちゃん!」

 お父さんから与えられた、孤独を紛らわせる道具を持って、格好をつけて構える、お父さんから直接教わった訳ではないけど、実際に弾いてるところは見た事あるし、教本を数冊渡されていた。

「えっと・・・こうやって──」

 少し手詰まりながら、きらきら星を弾いてみる。

 何回も音は跳ねるし、手元が覚束ない、その時は子供ながらに下手くそだな〜なんて思っていた。

 弾き終わる、自分で自分が嫌になる、こんな単純な演奏も弾けないなんて、と。

 けれど、この人は違った。

「凄いよ!姫名!え、どうやって弾いてるの!?」

「え?」

「バイオリンって音を鳴らすだけでも難しいのに、凄いね。俺にも教えてよ」

「え、う、うんっ。あのね」

 嬉しかった、嬉しくて堪らなかった。

 空っぽだった私に、水を注いでも良いときっかけをくれた大和さんに惹かれたのは、その日からだった。


 この人はずっと、変わらないでいた。

 変わらず、私の()()()()を大切にしてくれる。

「・・・っぐす」

「姫名?え、どうした」

「な、なんでも、ありません──ッ!」

「え、泣いてる!?ちょ、え?ティ、ティッシュあるよね、え?ごめん、嫌な事言っちゃった!?」

 

 どうかいつまでも、貴方は私達の太陽でいてほしい。

 

 

 

 

 


 

 

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