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あの頃に貴方はおらず。


 あの人が居なくなってから、姉である姫名の笑顔が消えた。

「ただいま。・・・姫名〜?」

「あ、おかえり。凪ちゃん」

 いや、笑顔が消えたわけではない。

 誤魔化す様に笑う事は、とても増えた様な気がする。

「お疲れ様ご飯出来てるよ」

「──うん」

 テーブルに並べられた夕飯は自分の分しかない、食事制限をしなきゃいけないあたし専用の食事なのだろう。

「姫名、料理上手くなったね」

「そうかな」

 まただ。

 また、悲しそうに笑いかけられる。

 河野大和が来なくなってから、姫名の煌びやかな笑顔を見る事が出来なくなった。

「・・・うん」

 あたしは逃げる様に、自室に戻って荷物を置き、着替えを済ませる。

「なんで」

 携帯に映るメッセージ欄には、あたしが一方的に飛ばしたメッセージしか映し出されていない。

「せめて・・・なんか言ってよ──」

 あたしは自分の不甲斐なさと、姉に対する罪悪感を再び直視する事になってしまった。


 


「おかえりなさ〜い」

 優しく、耳心地の良い声がキッチンから聞こえてくる。

 ひょこりと顔を出したのは姫名であった、それも当然である、今や台所の占有権は彼女にあるのだから。

「あ、凪ちゃん。おかえり」

「ん」

 短く返事をして、台所で手を洗う凪。

 数ヶ月ここに住んでいるかの様に振る舞う彼女に、俺はつい笑ってしまう。

「なに」

「いや、自分の家みたいに振る舞うなって思って」

「だる」

 そう吐き捨てて、凪はソファでくつろぎ始める。

 そんな暴君めいた妹に対して、姫名の顔が少しだけ険しくなる。

「凪ちゃん、私達はお客さんだよ」

「それを決めるのはそいつじゃん」

「そいつって言わないの!!」

 姫名がプリプリと怒っても、凪はどこ吹く風だった。

 そんな2人のやり取りを微笑ましく見守ることも出来たけど、俺は今後の事を伝えるために言い争っている2人へ声をかける。

 

「2人とも、ご飯を食べる前に今後の事をちゃんと話し合おう」


 両者を椅子に座らせて、俺はそんな2人の前へ座る。

 どこか面接めいた感じになっているけど、実際はそんな硬くするつもりはない、いわばこれは確認だ。

「・・・姫名、もう少し肩の力抜いて良いよ?」

「は、はい!」

 小さく震えている姫名に楽にする様言っても、それどころではないらしい。

 今にも捨てられる子犬みたいな、いたいけな眼差しを向けられる。

「えっと・・・。とりあえず、2人は俺が預かるよ」

「本当ですか!!」

「ただし」

 姫名が身を乗り出す前に、俺はストップの合図で指を1本突き出す、そこの白髪止まりなさい。

「期限はちゃんと決めたい。当たり前だけど、ずっとここに居させるわけにはいかない、それは分かるでしょ?」

「・・・はい」

 不服そうな姫名を一旦無視して、俺は有無を言われる前に言葉を繋げる。

「まぁ、そこら辺は和也さんに聞くとして」

 白金和也、この2人の父親だ。

 俺も何度か交流はある分、今回の事はきっちりと話し合うつもりだった。

「アンジェラさんは・・・、そういえばアンジェラさん元気?」

 和也さんとは実は先月一緒に呑んだ。

 その時は聞くことが出来なかったけど、折角だしと話題を切り出せば。

「なんであんたに母さんの話しなきゃいけないの?」

「・・・お母さんは今、とても忙しくて」

 どうやら地雷だったらしい。

 白金アンジェラ、国籍は日本らしいが、本人はロシアと日本のハーフであり、この2人の母。

「そっか・・・」

 過去のオリンピック、女子フィギュアスケートで金メダルを獲得した実力者、今は選手を引退してコーチをしているらしいけど・・・。

「あのさ、母さんは関係ないから。あの人に色々聞いても意味ないよ」

「あ、ああ。ごめん」

 凪の圧がより濃いものになって、思わず謝ってしまう。

 昔はここまで毛嫌いしていなかったのに、この10年で何か確執が生まれてしまったのだろうか。

「じゃ、えっと・・・。次に学校の事を聞こうかな、2人はどこに?」

「あたしは宝青(ほうせい)

「あー、確かスケートリンクがあるんだっけ」

 宝青女学院という都内の高校なのを知っている、近くにもリンクがあるらしい。

「そっか、凪らしいね」

「ん」

「で、姫名は?」

 俺の問いかけに、姫名は嬉しそうに笑って、俺にとって爆弾並みの発言をぶち込んできた。

楠木(くすのき)です」

「・・・え」

「楠木北高校です」

「俺が働いてる場所じゃん!?」

 何を隠そう楠木北は俺が勤務させてもらっている高校だった。

 だらだらと脂汗が伝って行くのを感じ、恐る恐る口を開く。

「え、っと冗談だよね。エイプリルフールは過ぎてるよ」

「いえ、冗談じゃないですよ!制服もちゃんとありますよ!」

 スマホをいじって、制服を着ている写真でも探しているのか嬉しそうに何かをスクロールしているのが見える。

「いや待って待って」

「──あ、そうですよね。写真よりも実際に着た方がいいですよね」

 椅子から立ち上がってキャリーバックへと向かう姫名、どうやら本当に楠木に通うらしい。

「ちょ〜っと待ってね!!」

「はい?」



「もしもし」

「あぁ、大和君。お疲れ様」

「お疲れ様です〜、じゃなくて!!」

 思わず社会人の一端を出してしまったけど、今はそんなのどうでもいい。

「あの、和也さん。貴方の娘さんがとんでもない事を言ってるんです」

「もう君の家に着いたのかい?速いねぇ」

「関心してる場合じゃないですけど・・・」

 どこかゆったりとしているのは大人の余裕というやつだろうか、そんな和也さんに呆れながらも色々と事情を説明しようとすれば

「ちょ、音!!バイオリンが凄いっ!!」

 心地よいとは言い難いバイオリンの音が携帯越しに響いてくる。

「あ、ごめんよ。楽曲の確認をしていてね、それで姫名と凪の事だね」

「はい・・・」

 超絶マイペースだな、本当この人・・・。

「凪はいいんですが、姫名は俺のいる高校に通うって・・・」

「本人の機能だからね。楠木北だっけ、そこは偏差値も高いし、僕好みのカリキュラムだから、姫名の意見を了承したんだ」

「貴方のカリキュラムの好みなんて知らないですよ・・・」

 ため息を吐くのはダメだとは分かるけど、どうしても吐いてしまう。

「俺の所に預ける気満々なの、どうかと思いますよ。俺が断ってたら、どうするつもりだったんですか」

「その場合、僕が送り迎えをするつもりだったよ」

「・・・和也さん宅から楠木までかなり遠いですよね」

「そうだね、まぁ、丁度よく僕のもうひとつのセーブポイントがそこにはあったんだ」

 やかましい。

 今すぐにでも通話を切ってやろうかと思ったけど、そんな事をしても意味はないと納得して、ひとまずの決め事を和也さんと結ぶ。

「とりあえず、1年。2人は預かります」

「ありがとう」

「どういたしまして、それで、そこからはちゃんと2人と話し合って決めてください。その、アンジェラさんも入れて」

「・・・ああ、約束するよ」

 良かった、これを断られたら俺はいよいよどうすればいいのか分からなかった。

 和也さんの約束は、とても重たい、それを違えることは絶対になかった。

「ありがとうございます・・・。今はご自宅ですか?」

「ん、今かい?ロンドンにいるよ」

「・・・了解です。お仕事頑張ってください」

「ありがとう」

 

 プツン、と通話が切れた──。

 

 

 

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