代掻きの田にかわず鳴く
いくらでもあるよ、こんな話。
田植え前の代掻きが始まる頃は、まだ寒暖差のある季節で、膀胱炎の来院がありました。今年は、ゴールデンウィークに入っても、まだガスストーブが燃焼する時間帯があるくらい、肌寒い春になりました。こういう年のオオタカの繁殖成績は、「微妙」か「平年並み」、爆発的に増える「当たり年」に成ったりはしないみたいです。何故か孵化までは無事こぎ着けるのですが、雛が育たなくなるのです。まあ、その時になって手に入るなら、それでよろしい。
ちなみに、季節がらツツジやサツキみたいにも見えますが、間違えたら駄目。キョウチクトウは毒です。スイセンとニラを間違えるのと同じレベルで危ない。食べないけれど、燃やす人がいるんですね。
「戻って来れた」から良いようなものの、退院当初の私の全身の筋肉の様子は、それはそれはよろしくないものでした。とにかく問題になったのはトイレと風呂で、どちらも2階にありました。いえ、事情は色々、私は生活の大半を1階に移して医局に当たる部屋で寝起きをする様に成って、既に何年も経っておりました。ふり返ってみれば、これも、「まあ察してくれ」という話の一環だったのかもしれません。
当時の話、実力で階段を登る作業が難しく、階段昇降機の設置を検討するような状態でした。冗談でなく、身体障害者手帳の取得申請の手続きについて聞きに行った程度に「駄目」でした。正にビフォーとアフターで、退院前よりも退院後の方が×だったのです。どっちみち、正常な状態ではなかったんですがね。
階段の登り降りの苦労もそうですが、わずか数センチの段差に屋内で蹴躓いてコンクリの床に向かって転倒したとか、エアコンの清掃や天井の蛍光管の交換に使う脚立の上に立とうとして立っていられずにそのまま落ちた――――――あらかじめ、落ちる様に「倒れる」場所には布団を敷いておいた。腕や頭部を横からボスンとやったとか、冗談でない話がたくさんありました。
このとき「もう駄目だ」となったのが、レントゲン撮影でした。フットスイッチ、つまり足で撮影を行うのですが、これを操作する事が出来なく成っておりました。何回踏み込んでも、渾身の力で両手に持って「押して」も、スイッチが作動しないのです。嫌な汗が出て「故障か?」と思った時は血の気が引きましたが、何度も動作確認をしていく過程でそうでない事が判明した時、私は生き物たちの居なくなった院内で途方に暮れました。階段の昇降同様、「出来ない」ことが理解出来た時の方が、ショックが大きかったということです。
実際にはこの3ヵ月後、業者の都合でその時期になったのですが、レントゲンの機械を処分しました。退院後にすぐに撮影の機会があり、「駄目だ」となり、その間何回かレントゲン撮影の機会があり、何回やっても嫌な汗を流しながら予定の日を迎え、「退場」という運びに成りました。
レントゲンの機械を手放す事に、未練はありましたが、殆ど「無かった」というのが本音でした。飼い主の高齢化が進み、飼育する犬や猫の種類や飼育内容の変化から、レントゲンというのは稼働率のとても低い診断機器に成っていたからです。正直「お飾り」とか「趣味の一品」とか、そう呼ばれて当然なほど使わなくなっていたのです。例えば、昔は交通事故を起こした猫が家に逃げ帰り、その後レントゲン撮影で確認したところ骨が折れていたので手術になったといった仕事がたくさんありました。私の言う「昔」とはいつの事だというくらい、昔の話です。昔は、そういう猫を連れてきてはお金を払っていく飼い主の方が、かなり居たのです。毎月1件や2件は、そういう仕事があった時代があります。もちろん、今は昔の話です。気が付くと、レントゲンの撮影機械は、むしろその昔の手現像の時代よりも洗練された診断機器に姿を変えましたが「使わない」機械になっていたのです。だから手放しました。
そんな中、残ったレントゲンへの需要(「こんな時だけは無いと困る」)は、小鳥たちの卵詰まりの診断でした。あいにくと体が小さすぎて、また詰まる部位によっては、卵の存在が触診ではまるで分からない事があるのです。もはや、猫の全身像を撮影する需要は過去のもです。しかし、とにかく卵の有無の判別さえ出来たらいいので、私は往診で使う事のある歯科用ポータブルレントゲンという物を購入しました。あまり見た事のある人も居ないと思いますが、片手で操作して撮影する機械です。それ自体が大層な重量物で、私はデモで持ち込まれたその機械を右手で持って構えた際に腕が震えそうになりヒヤリとしましたが、なんとか扱える事が分かり、それを購入しました。
この機械は、歯科用と言うだけあって、歯の1本1本について撮影するための機械で、大きさのある物体を撮影出来ません。本当に小さな小さな写真しか撮れません。しかし、小鳥の体内の卵の有無であれば、それで事足ります。「とにかく分かればいい」という話なので、対象がウズラくらいになると、以前ならレントゲン写真一枚で済んだ全身像の取得が、ぶつ切りになった写真をパズルのように並べ直して確認する作業になりました。つまり、きちんとしたレントゲン写真に対する需要が消滅したに近い状態に成ったからこその、この機械だったのです。
この状態を解消するべきなのか、つまり大きなレントゲン写真が撮影出来る様に、中古のレントゲン機器を再び導入するべきか否かというのが、近頃の私の悩みになりました。いえ、毎月病院に通う度に、私は自分が死ぬ可能性について医師から言及され続けているのですから、理性で考えたら死ぬまで購入を思いとどまらなければならないのです。レントゲンの機械というのは、購入を決めて明日納品されるような物ではなく、仮に1日使っただけで廃棄を決めても、実際に捨てる事が出来るのは来週や再来週の話ではありません。なんとなくですが、検査上の数値で半年くらいは生き続けている確信がないと、迂闊な事は出来ないのです。この点、ポータブルレントゲンの処分は自分から業者に持ち込む事が出来るので、とても簡単です。とにかくパッパと「終わり」に出来ます。困った話ですが、微妙に筋力が回復して、体を動かす事が出来る様に成っているのです。だから、余計な事を考えてしまう。夢と妄想、そして希望は、本来違うものです。これらが混然一体と成って、私を悩ませております。
いえ、本当にレントゲン撮影の機会は少ないのです。むしろ、所有するポータブルレントゲンの機械が何の役に立ったかと問われたら、「私の筋肉のリハビリの役に立ちました」と答えます。こういう機械は、使わないでいるとたまに電源を入れるだけでは上手く動かない事があるので、毎日、通電と動作確認のために、電源を入れて片手で持って撮影操作を行います。本当に無駄ですが、そういう作業をしているのです。結果として、重たい機械をああだこうだといじり回す「その作業」が上手く出来るように成り、筋力が整いました。出来ない事ではなく、出来る事を少しずつ強化していって、体を回復させました。本当に、この機械は、そんなくだらない事の役に立ったのです。
これ、デモの時に餌用冷凍ウズラを撮影してみた時のものです。バラバラの写真を並べ直すと、ウズラ1羽になります。卵の有無の判別機械だと思ってもらえたら、それで十分です。




