田起こしの始まるころ
水田というのは、再生の象徴だそうです。たしかに、目まぐるしく変わっていくその姿には、「生命」を感じますね。
時々、目に止まってつい読んでしまうのが、『病気の人にかけてはいけない言葉、かける言葉』みたいな記事です。驚いたことに、心当たりのある行為・フレーズが幾つもある。中には、患者自身の生の声が紹介されているものもある。やはり、患者心理として、病気の人たちが「こう言われると/こうやられると、こう感じる」というのは、同じ様な情動を引き出すらしい。
私自身は、治療の開始当初から、自分が受けている医療を「リソースの無駄」「先の無い人への過剰な労力の投入」としか思っておりませんでした。もちろん、「生きたい」「やる事がある」という人たちにとっては意味のある行為なのですが、とにかく何年もおかしかったので、そう思わない様に生きてきたのです。具体的には、北海道にあった動物病院を畳んだ頃からですね。当時一番の問題は心不整脈でしたが、前触れがある様で無く「突然死ぬ」可能性がある日々が続いておりましたので、執着するのを避けて、先が無い様に続かない様に世捨て人の様にして生きてまいりました。もちろん未練はあるのですが、一般的な人よりも「何も無い」様に努力して生きてきた私の「これまで」が、今、試されているのだと思います。
いいえ、人間それほど強いものではありません。「ちょっとした事で」心にさざ波が立ちます。なるほど、以前なら気にもしなかったネットの記事に目が行く様になる訳です。まあその、結論を先に申し上げてしまうのであれば、「見るな」「読むな」「聞くな」「離れろ」「そっとしておいてくれ」と言ったところでしょうか。そういう情報や行為から距離を置くのが最適解です。なまじ調子が良くて元気そうにしていると、「元気そうだな」なんて言葉すら刺さる様になってしまうのです。何を言われてもやられても、駄目な時は駄目なのです。私は、こんな所で愚痴っておりますが、リアルでは普通にして病気から遠ざかった感じで暮らしております。退院から一年が過ぎたら、そんな感じに成っておりました。元々はそういうつもりだったのですが、「ゆっくり自分のペースで死んでいく」という将来は失ったと思っております。喫緊の問題ではなくなったものの、かなり近い将来の割と理不尽な出来事と成ったはずです。
山の桜と野の花。




