3.言わない
黒の剣聖・ジャック
私は、両親の顔を知らない。
物心ついた時にはもう孤児院にいて、赤子の時に門の前に捨てられていたと聞いた。最低限の暮らしは出来たが決して裕福ではない環境であったのに、何故か私は誰よりも背が高く、体も同じような年頃の子達より一回り大きかった。そのせいでよく大人からは、私が弱い者から食べ物を巻き上げているのではないかと疑われたものだ。
そしていつの頃からか、私は剣を手にするようになった。
孤児院では生きて行く為に必要なことは学ぶ。けれど私は、文字や計算より、落ちていた木の枝を振り回す方が性に合っていた。やがて誰かの目にでも留まったのだろうか。枝は木剣になり、刃を潰した模造剣になり、そして師匠と呼べる人物から直接手ほどきを受けるようになった。
師匠からは剣術だけでなく、剣を振るうことの意味と心構え、そして自分の身を守る為の礼儀を叩き込まれた。あまりにも厳しくて一時期は本気で恨んだこともあったが、今となっては敬愛と感謝しかない。
そして手合わせの何度かに一度は師匠からも一本取れるようになった頃、貴族の家で過ごすように命じられた。
同い年という貴族の子息を守る役目。それが私に与えられた役割だった。与えられた、と言えば聞こえはいいが、断る選択肢はなかった。
その子息は、魔力の大きさや魔術の扱いに関しては天才だった。魔術研究の第一人者として何十年も携わって来た博士がようやく辿り着いた理論を、彼は鼻歌混じりに指先で描くだけで実現させた。
だが彼には致命的な欠陥があった。それは自分以外の人間全てを見下し、気持ちを理解しなかった。する必要を感じていなかったから、彼にとっては思考の中に存在すらしていなかった。けれどそんな傲慢な性格も、才能の前に誰もが沈黙した。
私が彼に付けられたのは、外部の敵から守ると言うよりも、彼の攻撃性を私に向ける為だった。彼の性格はどうしても敵を作るため、攻撃を受けやすい。だがそれを簡単に返り討ちにしてしまう実力を持っているだけに、特に貴族相手であれば大問題になってしまう。
それを防ぐ為に、彼の近くに丁度よい標的、もしくは緩衝材を置くことにしたのだ。どうせすぐに使い捨てになるのだから、惜しくもない孤児を使ったのだろう。現に、私の前に同じような孤児が数名同じ立場に立ったそうだが、長くて数ヶ月、早くて数日でお役御免になっていた。
ただどういう訳か彼は私を気に入った様子で、それなりに攻撃は受けたものの致命傷には至らずに何年も傍で過ごすことになった。もう一人、私と同じ役目で傍に置かれた令嬢がいたのも良かったのかもしれない。
「魔族を絶滅させればいいんだよ。敵は殲滅。戦いの基本だろ?」
まだ子供の頃に彼が口にした言葉だ。私はまだ魔族との戦いに出る年ではないので実際の魔族は知らなかったが、孤児院にいた頃は魔族との戦いで多くの民が亡くなっていることは聞いていた。そうやって親を喪い孤児院に来た仲間も少なくない。私の両親もそうだったのではないかと言われていた。
だからなのか、心の奥底で「魔族は敵」という認識が当然になっていた。
私は彼の考えていることは分からなかったが、これだけは賛同出来た。魔族さえいなくなれば、皆が怯えて暮らすことはなくなる。私の剣も、誰かを守る為に使うべきだと師匠から教わっていた。
そんな思いもあってか、成長してからは自ら志願して最前線へと赴いた。魔力はあったが上手く使いこなせなかったので、剣の腕一本で魔族を斬って斬って、ひたすらに斬り伏せた。そして気が付けば、孤児の平民には勿体無い「剣聖」の称号を賜っていた。
けれど実のところこの称号は、国に仕える魔術師になった件の子息が私をそう見えるように仕向けたのだ。彼が大規模魔法で辺り一帯を焼き払ってから私が残党を狩ることで、周囲には行く先々で私が魔族を殲滅させているように映った。何故私を引き上げるようなことをするのかは分からなかったが、彼の気まぐれには慣れている。
私は人間からすれば「剣聖」だが、魔族側から見れば恨み深い「殺戮者」だった。幾度となく魔族から暗殺を仕掛けられ、常にどこか傷を負っている状態だった。私に巻き込まれて多くの部下も死なせた。
自らの怪我を悟らせない為と、部下の喪に服す為の両方の意味で、私はいつしか黒い服ばかりを纏うようになった。やがて私は「黒の剣聖」と呼ばれたが、ただ弱みを見せないように必死なだけだった。
「どうして貴方様が、お一人で背負わなければならないのですか」
私の元上官の娘で、今は私の部下であった治癒魔術師のレナが隠していた傷にいつも何故か気が付いた。だが私の気持ちを慮って、他の者に悟られないよう治癒魔法を掛けてくれた。その度に彼女はまるで自分のことのように涙を浮かべていたのを、私は不思議な気持ちで見つめていた。
僅かな戦闘の合間に休息を求めて王都に戻れば、凱旋の宴などに引っ張り出され、幼馴染みと称する魔術師や聖女からお構いなしに呼び出しが掛かる。私にとって、王都は疲弊ばかりですり減らされる場所でしかなかった。
やがて俺は王都にいるよりも、戦場に身を置いていた方が安らげることに気付いた。それはレナの存在が私の心の支えとなり、安らぎの場を作ってくれたからだ。そして彼女が私のかけがえのない相手となって行くのに、時間はかからなかった。
「私の妻となって、生涯を共に生きて欲しい」
「…はい!」
その時、私はやっと悲しみ以外の感情でレナの瞳に涙を浮かべさせることが出来たのだった。
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「ジャック、私も行くわ!」
「レナ、それは駄目だとあれほど言ったろう。君が安全なところにいてくれれば、私は心置きなく戦える」
「でも、もし貴方が帰って来なかったら…!」
これまで姿を現さなかった魔族の長、魔王が直属の配下を引き連れて進軍して来たという報が入った。王宮で少し前に、魔族だけを殲滅させる魔法が完成したと聞いた。それを脅威に思った魔族側が総力戦を仕掛けて来て、魔王自らも動いたということだった。
そして魔王をその魔法で倒す為に、私が王都の北側で魔王を迎え討つ役目を命じられた。私が「黒の剣聖」と呼ばれるようになって久しいが、魔王とその側近である大魔族が複数相手ではさすがに勝ち目はないだろう。私の役目は、魔族達からの恨みが深い私が奴らを引き付け、一カ所に集める為の囮だ。
それが決まってから、あちこちから私に希望を託す応援の声を貰う。だが、皆心の片隅では私が生きて戻っては来ないことをうっすらと理解していた。レナもそれを肌で感じているのか、出発する直前まで私と同行することを希望していた。しかし今の彼女には、連れて行けない大きな理由がある。
「君は今、一人の体ではないだろう?」
「そ、それは…」
「君達は私の初めての家族だ。だから、守らせてくれ」
「は…はい…」
見た目には分からないが、そっと彼女の腹部に手を触れると僅かに膨らみが存在している。彼女の体温と、その中にいる小さな生命に、私の胸が熱くなる。沢山の人々を守るのではない。私は家族を守る為に礎になるのだ。
「生きて…生きて帰って来て…!」
「ああ、戻るよ」
「約束よ」
「…ああ」
こんな時に嘘でも「生きて帰る」とは言えない自分を少し恨めしく思いながら、せめて遺体だけでも彼女の元に帰れることを祈る。祈りとともに抱きしめた妻は、私の耳元で震える声で「行ってらっしゃい」と小さく囁いてくれた。
この声と体温だけをよすがにして、私は魔族を、魔王を迎え撃つ為に出撃した。
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戦場は、今までの中で最も厳しい状況にあった。
私の役割は、出来る限り魔族達を煽って王都の北側に集結させ、魔王を含めた軍勢を警戒されずに王都内に引き込むことだ。しかし魔王到着よりも先に大量の魔族を引き入れてしまえば、それだけ王都の民に被害が及ぶ。だからこそ魔王軍本体が王都に入るまで、出来る限り魔族の力を削いでおかなければならない。
魔王の側近も出て来ていることから、魔族の強さがこれまでに相手にして来た比較にならないほどだった。いくら剣聖と呼ばれても、ただ普通の人間よりも少しだけ力が強く、体力があるだけだ。部下の多くが傷付き倒れて行く中で、私も決して軽くはない怪我を負った。
魔王の側近の一人の首を刎ねた際、捨て身の一撃で利き腕に大きな傷を付けられた。もうこれでは戻ることは叶わない、と私は覚悟を決めた。戻らなくても、魔族のいなくなった世界で家族が平和に暮らせるならば、それで構わない。
「魔王!そこかぁぁっ!!」
長く魔族と戦って来たせいか、魔力が強い者は意識を集中すれば肌感覚で分かるようになっていた私は、軍の中心にいる最も濃密な魔力の塊に向かって走った。たとえそれが魔王でなくても、それに一矢報いれば戦況は大きく変わる筈だ。
利き腕ではない方の腕で無茶苦茶に剣を振り回して、私は一直線に突進した。背後で何か大きな音がしたが、それすら気にならなかった。
魔族の間を縫うように駆け抜けて、魔力の大きさの割に小さな相手が目に入った。顔ははっきり見えないが、長い黒髪だということは分かった。
『見付ケタ』
頭の中に直接響くような声がしたかと思った次の瞬間、私の周囲から全てが消えた。
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サラサラと髪に何か柔らかいものが繰り返し触れている。ほんの少し私の体温より低い、細くて華奢な女性の手だと気付いたのは、よく私が眠っている時にレナが頭を撫でていたからだ。けれどこの感触はレナのものではない。
「…目覚めたか」
目を開くと、見知らぬ女性が覗き込んでいた。長い黒髪に赤い瞳の人形かと錯覚してしまうほどに整った顔立ちの女性で、年の頃は私より少し年上に見えた。その女性越しに見慣れない天井が見えて、それから背中の感触から自分がベッドに寝かされていることを理解した。
そこでようやく私は、自分が魔王と思しき相手に向かって玉砕覚悟で突っ込んで行ったことを思い出す。それなのに、一体何が起こっているのか分からなかった、が、目の前の女性が何気なく髪をかきあげた瞬間、私は血が沸騰するような感覚と共に飛び起きた。
「き、貴様、魔族かっ!」
女の顔には、魔族にのみ現れる紋様がこめかみの辺りに刻まれていた。私は咄嗟に常に腰から下げている愛剣を抜こうとしたが、その手が空を掴む。今まで寝かされていたのだから当然だが、それならば素手でもこの場を切り抜けなければと反射的に拳を握った。
「く…くくく、何を今更」
「なっ…!?」
距離を取って身構える私に、女魔族は慌てる様子もなく肩を震わせて笑った。
「今の今まで無防備な寝顔を晒しておいて、よくもまあそのような」
「ぐっ」
反論も出来ずに言葉に詰まる私に、女はとうとう堪え切れなくなったのかケラケラと声を上げて笑い始めた。私は警戒しつつも、こちらに殺意を向けて来ない魔族など初めて見たので、静かに観察をする。
女は小柄で華奢な肢体をしていて、こめかみの辺りに魔族紋がなければ人間とあまり変わらないように見えた。大抵の魔族は魔族紋の他にも角や尻尾、翼や鱗など人とは違う要素を携えている。それが魔族の階級を現していると聞いている。
この女はあまり人と変わらない容姿をしている。こんな魔族は見たことはないが、非戦闘員の下位の魔族なのかもしれない。だとしたら見張りか何かだろうか。それならば…
「わたくしを制圧しようとしても無駄だ」
下位の魔族ならば突破出来るのではないかと思ったが、それを瞬時に見抜いたように女が冷ややかな目を向けて来た。
「そうか、人族は意識せねば魔力を見ることは出来ぬのか。だからこそ侮ることも出来るということか。ふふ…愛いな」
女が魔力を見てみろと挑発して来たので、私は何かの罠ではないかと訝しく思ったが、仕方なく言われた通りに集中した。
「…っ!?」
「ははは、分かったか。慣れればすぐに常時扱えるようになる」
「ま、まさか、魔王…」
「人族風に言うと、そうなる」
女の魔力はこの部屋一杯に広がっていて、それだけでなく濃度が濃い。意識してしまうと、息をするのも躊躇われるくらいだ。こんな魔力は、今までに戦って来た魔族とは桁が違っていた。
「魔族風に言うと…そうさな…人族に分かりやすいようにするならば『母』だな」
「は、は…?」
「最も強い雌と子を成す権利を与えてもらうため、魔族は言われるがままに命に従う。人族は自己の利益の為に崇める者を『王』というのであろう?」
女、いや魔王は、喉の奥を震わせるように笑いながらこれ見よがしに髪をかきあげる。改めて眺めると、こめかみの紋様はどの魔族よりも複雑で精緻だった。
魔族は、生まれた時は全員男性であるが、一定以上魔力が強い者は成人とともに女性体に変化して子を成すようになる。そして魔族の特性として、魔力は必ず母系を受け継ぐように出来ているらしい。だからこそ魔族はより強い女魔族を崇めて、子を成す権利を得る戦いに明け暮れるそうだ。そしてこの魔王と呼ばれる女は歴代最長でその座にいて、今現在生きている魔族の半分以上の母だと言う。
「な、何故、私を殺さない…」
「殺す?何故だ?」
「私、は…お前達の敵、だろう」
魔王は私の言葉にしばし目を丸くしてキョトンとした顔をしてから、片方の口角だけを上げて皮肉げな笑みになった。その表情は、何故かどこかで見たことがある気がした。
「魔族は人族とは違い、親殺しはあっても子殺しはせぬよ」
ああ、その顔は。
女の顔は、戦場から帰った時に鏡の中にいる顔に似ているのだと、私はその時にようやく気付いた。
魔族の生態はクマノミ的な感じだと思っていただければ。




