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学校一のインフルエンサーは、わたしのガチ恋リスナー  作者: ほりりん


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9/12

第8話 【結論】南ひまりはガチでした

 結論から報告する。


 南ひまりは、ガチだった。


 ガチもガチ、大ガチ勢だった。それも、いちばん恐ろしいタイプの。


「あ、ここ! ここの入り、聞いて。ワンコーラス目より半音、息を多くしてるの。夜が深くなった感じするでしょ」


 ベッドを背もたれにして、クッションを抱えて、タブレットの画面を指差しながら、南ひまりは早口になっていた。学校では見たことのない速度だった。


「ルネちゃんの歌ってね、二番から始まるの。ううん、正確には、一番はドアをノックしてて、二番でドアを開けてくれるの。伝わる? 伝わんないか、これは通ってる人にしか」


 言いながら、南ひまりはベッドサイドから一冊のノートを引き抜いた。表紙に、手書きの月と花。開かれたページには、日付と曲名が、几帳面な字でびっしり並んでいた。


「せ、セトリ……?」


「うん。全配信ぶん。曲順と、その日のルネちゃんの調子と、一言メモ。ほら、この日は『二曲目、鼻声。かわいい。おだいじに』って」


 鼻声の日まで、記録されていた。


 わたし自身、自分の全セットリストの記録なんて持っていない。つまりこの部屋には、公式より正確な一次資料が存在する。研究機関である。わたしという現象の。


 ただ、伝わる。


 伝わってしまう。なぜなら二番から鍵を開けるのは、わたしが意図的にやっている設計だからだ。一番から全力で開けにいくと、疲れて帰ってきた人の耳には、うるさい。だから一番は外に立って、二番で「入っていい?」をやる。


 誰にも説明したことのない設計図を、隣の女の子が、音声だけから逆算して読み上げてくる。


 こわい。


 このガチ勢、解像度が高すぎる。ちかの言った通りだ。声の癖、歌の呼吸、細部から気づくのは、いつだってガチ勢のほう――防犯上、これほど危険な隣人はいない。今すぐ距離を取るべきだ。撤退。撤退である。


 なのに。


「……あとね、これは、ほんとに誰にも言ったことないんだけど」


 画面の中のわたしが、三曲目を歌い終えたところで、南ひまりの声が、ふっと小さくなった。


「ルネちゃんの歌う夜って、こわくないの」


「……こわく、ない?」


「うん。夜ってさ、ひとりになるじゃない。昼間どれだけ人に囲まれてても、夜は、ぜったい、ひとりになる。わたし、それが昔からすごく苦手で。……でもルネちゃんの歌を聴いてから、夜が、『ひとりになれる』時間に変わったの。なる、と、なれる。一文字なんだけどね」


 クッションに顎をうずめて、南ひまりは画面を見ていた。


 その横顔は、廊下の空気を変える有名人でも、祭壇を作るガチ勢でもなくて、ただの、夜がこわかった女の子だった。


 ――なる、と、なれる。


 一文字の違いを、この人は一年半、抱えて聴いてくれていたのか。


 喉の奥が、あつくなった。まずい。これは、まずい。配信者・夜顔ルネの涙腺は、リスナーのこういう話に対する耐性が、構造的に無い。


「……っ、南さん、あの、飲み物! ココアのおかわり、もらっていい!?」


「え? あ、うん! 持ってくるね」


 南ひまりがキッチンに立った隙に、わたしは天井を仰いで、目の水分を物理で引っ込めた。危なかった。隣の席の地味な女が、推しの感想で泣き出したら、意味がわからなすぎて逆に事案である。


 ――検証結果。


 南ひまりの「好き」は、本物だった。


 案件でも、企画でも、にわかでもなかった。梱包を手紙と呼び、選曲の意図を言い当て、一文字の違いに救われたと言う。二十八万人の中で、こんな聴き方をしてくれる人が何人いるか、配信者のわたしがいちばんよく知っている。


 本物であるがゆえに――わたしにとって、この世でいちばん、隣にいてはいけない人だった。


「はい、ココア」


「あ、ありがと……」


 マグカップを受け取る。あたたかい。ミルク多めの、やさしい配合だった。


「アーカイブ、ラストの曲いこ。わたしこれ、金曜のセトリでいちばん好きかも」


 再生が始まる。画面の中のわたしが、息を吸う。


 隣で、南ひまりが、すこしだけ姿勢を正した。


 ふざけて見ていた切り抜きのときとは違う、まっすぐな聴き方だった。ライブ会場のいちばん前の席みたいに、画面の中の月を、見上げていた。


 ……変な気分だった。


 歌っているのはわたしで、でも、ここにいるわたしは聴く側で、隣には、わたしの歌で夜がこわくなくなった人がいて。


 二時間の地獄の、いちばん最後の五分間だけ。


 地獄は、なぜか、そんなに悪くない場所だった。


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