第4話 【朗報?】わたしが推されているだと
推し、いる?
スマホの画面を見つめたまま、わたしは正座した。無意識だった。
この質問は、危険物だ。
なにせわたしは「推される」側の人間である。推し、という単語の半径五メートル以内に、わたしの国家機密が埋まっている。念のためではあるが、慎重に、当たり障りなく、話題そのものを枯らす方向で返信を組み立てる。
『特にいない、かも。南さんは?』
送信して三秒後。
スマホが、連打で震えた。
『いる!!!』
『聞いてくれる!?』
『わたしの推しの話、していい!?』
『するね!!!』
許可を取ってから許可を待たないスタイル。押しの強さがメッセージでも健在だった。むしろ対面より三割増しである。文面から圧が漏れている。
『わたしの推しはね』
『夜顔ルネちゃんっていう、歌がとんでもないVTuberさんなの』
――スマホを、落とした。
ベッドの上だったので無事だったけれど、わたしの心臓は畳の上に落ちた場合と同程度のダメージを受けた。
よ、夜顔ルネ。
出た。フルネームで。よりによって、この画面に。
いや、待て。落ち着け。同姓同名の可能性――あるわけないだろ、わたしが命名したんだから。世界にひとりだ。わたしだ。
『個人勢さんなんだけどね、歌がほんとにすごくて。うまいとかそういうレベルじゃなくて、なんていうか、聴いてると「今日はもう休んでいいよ」って言われてる気がするの』
『わたし、寝る前ぜったいルネちゃんの歌聴くんだ。睡眠導入剤ならぬ睡眠導入姫』
『あ、これわたしが考えた呼び方ね。ルネちゃん公認ではないです』
公認しません。却下です。誰が姫だ。
布団の上で頭を抱えるわたしをよそに、画面の向こうの南ひまりは、推しのプレゼン資料を次々と展開していく。初めて聴いた歌ってみたの衝撃。金曜二十二時を死守するための金曜のスケジューリング術。グッズ(アクリルスタンド)を仕事の現場に持っていって心の支えにしている話。
待って。アクスタ、現場に持っていってるの? あれ、去年ちかに手伝ってもらって、送料の計算を三回間違えながら受注生産したやつだよ?
『でね、これがいちばん言いたいことなんだけど』
『ルネちゃんの歌ってね、「がんばれ」って言わないの』
……。
『がんばれって言われると、わたし、あとどれだけがんばればいいんだろうって思っちゃうんだけど、ルネちゃんの歌は「今日はここまででいいよ」っていう歌なの。伝わる? この違い』
伝わる。
伝わるも何も――それ、わたしが選曲のときに、いちばん考えていることだ。
配信で言ったこともない。概要欄にも書いてない。ただ黙って、そういう曲だけを選んできた。届いてないと思っていた。届かなくていいと思っていた。夜ふかしの誰かの枕元に、そっと置いておくだけのつもりだった。
それを、この人は。
画面の中のわたししか知らないはずのこの人は、包装紙を開けもしないで、中身を言い当ててくる。
気づいたら、返信していた。
『届いてるんだ、それ』
送ってから、しまった、と思った。主語。主語がおかしい。「届いてる」は受け取る側の言葉じゃない。焦って打ち直す。
『ルネちゃん?に、その気持ち』
『きっと届いてると思う、っていう意味で』
我ながら苦しい増築だった。違法建築である。でも南ひまりは、疑いもしなかった。
『だといいなあ』
『すみれちゃん、ありがと。推しの話、ちゃんと聞いてくれる人、実はあんまりいないんだ』
『インフルエンサーが推しの話すると、「案件?」って言われちゃうから』
最後の一文が、妙に、胸に刺さった。
八十三万人に見られている人は、「好き」すら疑われるのか。
『案件じゃないよ』
『ガチのやつです』
ガチのやつ、が来た。既読をつけたまま、わたしは天井を仰いだ。
時計は二十一時二十六分。
三十四分後に、わたしは夜顔ルネにならなくてはいけない。今夜の同接の中に、ほぼ確実に、この人がいる。
……どんな顔で歌えばいいんだ、それ。




