第3話 【続報】南ひまりは、はやい
ちかの見立てでは「一か月」だった。一か月で離れていくと思っていた。
そんなことはなく、逆に南ひまりがわたしの日常のインフラに組み込まれるまでには、四日しかかからなかった。
火曜日、隣の席から消しゴムが貸し出された。ちなみにわたしが落とした消しゴムは机の脚の魔窟に消えた。ついでに数学で当てられ、空調と同じ音量のまま立ち往生したわたしの机の端に、導出過程の書かれたノートが、すっ、と差し込まれた。教師から見えない角度で。プロの手口だった。
水曜日は、購買で事件が起きた。
四時間目終わりの購買戦争に敗北し、玉子サンドの棚が更地になっているのを確認したわたしが、次点の焼きそばパンへ手を伸ばしかけた、そのとき。
「すみれちゃん、これ」
横から、玉子サンドが差し出された。
「二個買っちゃったから。よかったら」
教科書に載せたいくらい古典的な理由だった。二個買っちゃったから。この台詞の実際の使用例を、わたしは漫画以外で初めて観測した。
「え、で、でも、悪いし……」
「いいのいいの。二個は多いなーって思ってたとこだから」
じゃあ、なぜ二個買った。
周囲の視線が刺さる。「ひまりんが地味な子にパンを」という速報が、人混みを音速で駆け抜けていくのがわかる。わたしは観念して百三十円を握らせ、玉子サンドを受け取った。ひまりは「商売成立」と笑った。
……悔しいことに、その日の玉子サンドは、いつもより何故かおいしいと感じた。
木曜日、日直の仕事を「暇だから」手伝われ、黒板消しクリーナーの正しい使い方を逆にわたしが教えるという謎の技術供与が発生した。
そして金曜日の放課後。
「すみれちゃん、連絡先、交換しよ?」
来た。
ついに来た。恐れていた第四段階。
帰り支度をしていたわたしの机に、南ひまりはスマホを片手に、身を乗り出していた。教室に残っていた十数人の耳が、いっせいにこちらの周波数に合うのがわかった。
「え、えっと……わたしの連絡先とか、あっても、使い道が」
「あるよ。だって明日、土曜日だし」
「……土曜日、だと?」
「学校ないと、しゃべれないでしょ? それは困る」
困る、の主語がわからない。今を時めく売れっ子が、なぜ雑草との通信回線の確保に困るのか。
でも、目の前のスマホの画面は、もう友達追加のコードを表示していて、断る、という選択肢は、教室の空気ごと封鎖されていて。
……観念して、わたしはスマホを取り出した。
ぴこん、と軽い音がして、わたしの連絡先アプリに『南ひまり』が追加される。名前の横には、ひまわりの絵文字がひとつ。向こうの登録名に、最初からついていたものだ。
「やった」
南ひまりは、スマホを胸に抱えるようにして笑った。
満面の笑みだった。まぶしい。物理的にまぶしい。網膜への攻撃をやめてほしい。
「じゃあね、すみれちゃん。また連絡する」
ひらり、と手を振って、南ひまりは教室を出ていった。残されたわたしと、「え、何いまの」という顔の十数人。
わたしはスマホの画面を見下ろす。
『南ひまり』の四文字と、その横で咲いているひまわりの絵文字。
友達欄の、家族とちかと、通販の公式アカウントしかいなかった場所に、ドでかい太陽が一個、埋まっていた。
……まあ、いい。連絡先なんて、交換しただけじゃ何も起きない。大人だってみんな言ってる。「今度ごはん行きましょう」は永遠に来ない「今度」だと。
その夜、二十時十四分。
『南ひまり』から、最初のメッセージが来た。
『すみれちゃん、おつかれ! 今日もありがと!』
『ねえ、いきなりなんだけど』
『すみれちゃんって、推し、いる?』
……推し?




