第2話 【速報】ただ一人の友人へ、助けてください
北棟までの移動は、たった三分の距離だった。
その三分で、わたしは思い知ることになる。南ひまりの隣を歩くというのが、どういう物理現象なのかを。
まず、廊下の空気が変わる。
彼女が歩くと、前方五メートルの人口密度が勝手に整列する。「ひまりんだ」「ほんもの……」「今日も顔がいい」。すれ違う一年生が二度見して、三度見して、壁にぶつかる。二階の窓から誰かがスマホを構えかけて、友達に止められている。
そして全員が、もれなくこう思うのだ。
――で、隣の地味なの、誰?
視線が刺さる。刺さる刺さる。針のむしろというか、むしろ全部針。わたしの擬態機能が、警告音を出しながら剝がれ落ちていく。
「すみれちゃんって、二組の前は何組だった?」
「……い、一年のとき? 五組……」
「五組かあ! じゃあ体育祭のとき、緑ブロックだ?」
「そう、だけど……」
「やっぱり! わたし青ブロックでね、リレーの決勝で緑にぎりっぎりで負けたの。あのアンカーの子、足速かったよねー」
なんで一年前の他ブロックのリレー結果を覚えてるんだ。しかも会話の球を、こっちが打ち返しやすいところに、ぽんぽん投げてくる。壁打ちのわたし相手に、ラリーが成立してしまっている。恐るべき会話デッサン力。プロの犯行である。
「あのさ……南、さん」
「ひまりでいいよ」
「……南さん」
「うん、まあ、追い追いで」
にこ、と笑って引き下がる。押しの強さと引き際の良さが、両方とも一級品だった。
「わたしなんかと歩いてると……その、南さんの、評判っていうか、見られ方が」
言いながら、われながら卑屈の見本市みたいな台詞だと思った。でも事実だ。かの有名人インフルエンサー様の隣は、道端の雑草が生えていい場所じゃない。
南ひまりは、少しだけ黙った。
それから、前を向いたまま、言った。
「見られるのは、わたしの仕事だから慣れてるの。でも――すみれちゃんが嫌なら、ちょっと離れて歩く。どっちがいい?」
……選ばせてくれるんだ。
ぐいぐい来るくせに、最後の一歩だけ、ちゃんとこっちに残す。そういう距離の詰め方をする人に、わたしは会ったことがなかった。
「……べつに、嫌では、ない……です」
「そっか」
南ひまりは笑った。ほんとに誰が見ても分かるすっごい、いい笑顔で。
もうなんなんだ、この人。
*
「――で? 学校一の有名人に、朝からロックオンされてるわけだ。あんたが」
昼休み。中庭の隅のベンチで、戸倉ちかは焼きそばパンの袋を開けながら、実に楽しそうに言った。
戸倉ちか。金髪ゆるふわ、ネイルきらきら、見た目の分類は完全にギャル。中身はランク戦のためなら睡眠を削るFPSガチ勢で、わたしの深夜のデュオ相手であり――この学校で唯一、訳あって「夜顔ルネの中の人」を知っている人間である。
「ロックオンって言うな。……事故だよ、席替えの」
「事故ねえ。移動教室、三回連続で一緒に歩いてたって聞いたけど」
「なんで知ってるの」
「そりゃ知るでしょ。今この学校の情報流通量の八割、あんたと南さんの話だもん。『ひまりんの隣の子、誰?』って。うちのクラスにまで回ってきてる」
げ、と声が出た。焼きそばパンが喉に詰まりそうになる。
目立っている。わたしが。この、擬態と省エネに人生を捧げてきたわたしが。
「ちか……わたし、どうしたらいい」
「どうもこうも」ちかは指についたソースを舐めた。「向こうが絡んでくるんだから、絡まれとけば? 減るもんじゃなし」
「減るよ。寿命と、あと」
声を落とす。中庭に人がいないのは確認済みだけど、念のため。
「……身バレの、安全マージンが」
「あー」
ちかは、ぱちん、と指を鳴らした。
「それな。フォロワー八十三万の隣にいたら、写真くらい撮られるか」
「でしょ? 万が一、拡散されて、万が一、声とか、しゃべり方の癖とか、誰かが繫げたら……」
「いや、それは大丈夫っしょ。だってあんた、学校じゃ超小声じゃん。ルネの声と結びつける奴、地球にいないって。あたしですら最初、別人格を疑ったもん」
「褒めてないよねそれ」
「褒めてる褒めてる。どっちのあんたも知ってるの、世界であたしだけだからね」
「家族は知ってるでしょ」
「家族はノーカン。……ただまあ」
ちかは焼きそばパンの最後の一口を放り込んで、もぐもぐしながら、妙に真面目な目をした。
「あたしが気になるのは、そっちじゃなくてさ。――なんで南ひまりは、あんたなの?」
「……それは、わたしがいちばん聞きたい」
「たしかにね。向こうは商売柄、人付き合いはプロでしょ。クラス全員と等距離で仲良くするのが最適解の人が、初日から一点狙いって、変じゃん。企画かなあ。『地味な子と友達になってみた』的な」
「やめて。その仮説、わたしも三回考えて三回沈んだ」
「あはは。ま、企画なら企画で、一か月もすりゃネタが尽きて離れてくよ。せいぜい素材にされないよう、面白いことすんな」
「わたしの人生、もとから面白いことしてない」
「金曜二十二時以外はね」
うるさい。




