98☆任せてほしいんですけど
セシアナの灼熱の日差しを遮る、巨大な白い天井。オーシャンドームの人工芝の上では全体練習が始まった。
反響するBGMに、打球音とチームメイトたちのかけ声が満ちている。その中で、チヒロは昨日合流したばかりの移籍選手とは思えない圧倒的な存在感を放っていた。
声出しは持ち前のよく通る声でハキハキ響き、内野連携練習では扇の要であるキャッチャーとして、内野手陣へ的確な指示を出しながら鋭い送球を連発。ベテランたちをも唸らせ、チームに溶け込んでいた。
「さすがるなっ! ナイスキャッチー!」
小さな身体を精一杯伸ばし、打球をスライディングキャッチしたるなに拍手が贈られた。ホームベースの向こうで、チヒロもぴょんぴょん飛び跳ね「ナイスナイスー!」とファインプレーに大喜び。
そこには朝のダイニングで見せたような、冷たく深淵を覗き込むような瞳の影は一切ない。ただ純粋に野球を楽しみ、仲間に気を配る頼れる戦友のチヒロがそこにいる。
やはり、自分が気にしすぎてたのだ。白球を弾き返しながら、るなは胸の奥のつかえを解きほぐそうとしていた。サエの件があってからというもの、自分の周りの人間関係に対して過敏になりすぎていただけかもしれない。
チヒロは昔から直感的で、思ったことを口にするタイプだ。真鈴に対する発言も、ただの特有の観察眼と、ほんの少しの嫉妬が交ざった軽口だったのだろう。
「ふいー……お腹空いたぁ」
午前のハードなメニューが終わり、球団施設の大型食堂へとるなは向かう。食堂はバイキング形式が基本。ここ南島特有の海鮮料理のメニューがずらりと並んでいる。
味はもちろん、魚介類の匂いすらも受け付けないるなは、今日も独りスムージーとプロテインバーをチョイスしそそくさと食堂を後にしようとした。
「あれ? るなぁ、探したんだよ? いないと思ったら先に来て……ん? それ、もしかして……」
入り口ですれ違うチヒロに腕を掴まれた。るなの両手の中の昼食を見ると、ずずいっと顔を近付けてくる。
何を言われるか察したるなは上体を仰け反らせ、今から降ってくる説教にぷるぷると首を振った。
「……い、いやでも栄養はバッチリなんだよ? ちゃんと栄養士さんお墨付きのスムージーだし……」
「それだけでいいわけないでしょー? 好き嫌いしてるから背が伸びないの! こっちではどんなの食べてんのかなーって思ってたら……」
「だ、だってぇ……」
「だってじゃないっ。……おいで!」
両手が塞がっているので振り払うこともできず、るなはおもしろいようにずるずる引きずられていく。苦手な生臭さが立ち込める中、食堂の一番端の席に「待ってて」と強制的に座らされた。
あちこちに新鮮な魚介類が並んでいる。エビの海鮮炒め、イカとアサリのパスタ、シーフードカレー……。広い食堂に所狭しと並ぶ料理を見渡し、るなはひっそりと溜め息をついた。
チヒロの姿はカウンターと調理場の入り口にあった。白衣を着た調理師に向かい、ぱんっと両手を合わせている。調理師が困惑した表情でこちらに向いた。何度もぺこぺこ頭を下げるチヒロと共に調理場の奥へ消えて行く。
「えー……。チヒロ、もしかして……」
るなの予想は的中。数分後、調理場からチヒロがトレイを持って出てきた。スキップでもしそうな勢いで、るなの前にどーんとトレイを置いた。
トレイには特盛りのそぼろ肉とレタスのチャーハン、パプリカ入りのサラダ、たまごスープが乗せられている。その特別メニューにるなが目を輝かせていると、チヒロはドヤ顔で胸を張った。
「今日だけよって言われたから、『るなのパフォーマンス、イコールドルフィンズの勝敗なんですよ』って説得して作ってもらった! るなのためだけに作ることはできないけど、明日からのメニューに魚介類抜きメニューもちょこっと追加してくれるって!」
「うっそー! 嬉しい! ありがとー、チヒロぉ!」
感激の眼差しを向けると、チヒロは満足そうに「るなのためだもんっ」と口角を上げた。そして小走りで自分の昼食を調達しに行った。バイキングカウンターに並ぶチームメイトと楽しそうに会話する背を見つめながら、るなはじんわりと胸の奥が熱くなるのを感じていた。
チヒロの面倒見の良さは、高校時代より更に磨きがかかっている。それは妻になり、母になったからか。好き嫌いが治らず、子供のままの自分が恥ずかしくなった。
「あれ……? るなさん? 珍しいですねぇ」
呼ばれて背後に視線を移す。私服姿の真鈴だった。昨日先発だったので、今日はのんびり午後入りだったのだ。にこにこと手を振っている。
真っ直ぐるなの席に向かっていた真鈴の足がぴたりと止まった。料理を取り終えたチヒロが、ちょうどこちらへ戻ってくるところだった。チヒロは真鈴の姿が視界に入っていないようだが、真鈴はるなを一瞥すると、チヒロを避けるように食堂を後にして行った。
「やだぁ、先に食べててよかったのにぃ。るなってば優しいねー」
嬉しそうに向かいの席につくチヒロ。真鈴が去った方向を見つめていたるなの視線を追いかけ「どしたの?」と小首を傾げる。
こんなに優しくていい子なんだけどなぁ……と、あからさまに避けて去った真鈴の昨日の表情を思い出す。
『苦手なんです。慣れてないんですよ、ああいう距離感のない人』
慣れれば、あるいは仲良くできるだろうか……。その前に、ぐいぐい来られるのが苦手な真鈴にあまり至近距離で接しないようにと念を押さねばだ。
おいしそうにシーフードカレーを頬張るチヒロに、「あのさ」と切り出す。
「真鈴のことなんだけど……」
「……うん? 真鈴様がどしたの?」
「朝、チヒロも言ってたじゃん? あの子、ああ見えて結構繊細なんだ……。ピッチングに影響してもいけないし、あんまり……その……」
見つめないで? 近寄らないで? 切り出したはいいが、るなは適切な言葉が見つからず「えっと……」と視線を落とした。
チヒロの手が止まった。スプーンを置き、じっとこちらを見つめる
「私、ずうずうしかった……?」
「え、あ、いや……ずうずうしいとかじゃないよ! 真鈴だって1人のチームメイトだもん。カリスマとか神とか言われてるけどさ、別にお高く止まってるわけじゃないし、むしろみんなが勝手に『近寄りがたい』って話しかけないだけだから。えっと……だから、話しかけること自体は全然悪いことじゃないの」
「……じゃあ、どうしたら嫌われずにお話しできる? 私、配球について、ちゃんと真鈴様の考えを聞いておきたいの。昨日は逃げられちゃったし、その後やっぱり投げづらそうだったじゃない……?」
切実な眼差しを向けられ、るなは試合後にあれこれ意見交換をした懐かしい日々を思い出していた。
るなのどんな変化球も顔色一つ変えず捕球してくれたチヒロ。ピッチャーの投げたい球種を優先してくれるチヒロには、真鈴のような『自分が投げたい球を投げたい』タイプのピッチャーにはぴったりなはずだ。
それを知らないキャッチャーは真鈴に何度も首を振られ、リードに自信をなくしていく。真鈴を崇拝していたサエは真鈴を信頼していたからこそ配球を任せていた。それをどう捕球できるか、それが真鈴のボールを受けるキャッチャーに求められるスキルなのだ。
何事に対しても実直で熱心なチヒロだからこそ、猪突猛進になってしまう。真鈴の次回登板に向けて、緩衝役になるのは自分しかいないだろう。
「……分かった。今度、私も含めて3人でご飯食べよ? 真鈴もそれならオッケーしてくれると思う。ただし、チヒロは私の隣ね? 物理的に近寄っちゃダメ。いい?」
「ほんとー? うん、もちろん! ありがと、るなーぁ!」
歓喜のあまりテーブルから身を乗り出しそうになるチヒロを、「ストーップ!」と右手で制す。
「そーゆーの、絶対ダメだからね! 真鈴のあの反応で分かったでしょー?」
「あっ……えへへ。気を付けまーす」
すとんっと腰を落とし、こめかみをかくチヒロ。多少の不安は感じるが、サエが抜けてからの10連敗から脱し、光の見えてきたドルフィンズに欠かせないピースになるであろう戦力だ。ここで上手く間を取り持つのも、元相棒の自分の役目かもしれない。
キャッチャーとしてのチヒロの魅力と実力は、自分が一番よく知っている。あの『心の奥まで見抜くような目』にさえ真鈴が慣れれば、最強のバッテリーにもなり得る。
食事会はいかに真鈴の警戒を解くか、そして……。
「外食だと真鈴様は目立つから落ち着いて食べられないだろうし、どうせならるなんちで食べようよ! ご飯は私が作るね! あぁ、楽しみーぃ。ねぇ、真鈴様はどんな料理が好きなの? もちろん、るなの好きな肉料理にするからね!」
満面の笑みで食事会を想像するチヒロと無理なく距離を縮めるには、どうすればいいか……。
チヒロスペシャルオーダーの特製チャーハンを頬張りながら、るなは使命感と緊張感に燃えていた。




