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エースな彼女は変化球が投げられない  作者: 芝井流歌


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85/104

85☆信じたくないんですけど

 



「るなっ? どうしたの!」


 床の冷たさが、下半身から伝わってくる。るなは散らかした荷物からゆっくり顔を上げ、声のほうに向く。

 目を丸くしたナルミとサラが立っていた。ナルミが駆け寄り、放心状態のるなの背に触れる。


「るな、何かあったの? 真っ青だよ? 大丈夫? 片付け、手伝おうか?」

「ナルミさん……」


 ……言いたかった。いつもからかってくるナルミだが、いざという時は必ず頼りになる年長者に。

 でも、犯人がナルミじゃないという確信はない。るながスタメン落ちすればサラがショート、ナルミがサードに入れる。ベテランになりスタメンが減ったナルミにも、るなを陥れたい理由がないわけじゃない。

 サラもだ。サラはもともとショート。マルティナがケガ離脱し、サード兼任できるサラがサードに回った。穴を埋めるようにるながショートに入った。

 その件で嫌味を言われたこともある。意地悪をされたこともある。真鈴が庇ってくれたこともある。サラもるなに恨みがないわけじゃない。今はただ首を傾げて不思議そうに遠目でこちらを見ているけれど、内心ほくそ笑んでいるのかもしれない……。


「触らないでください……」

「……え?」


 るなの周りに散乱した荷物を、バッグに詰めようとしたナルミの手が止まった。

 手伝うふりをして、次の細工をするつもりかもしれない。心の中ではざまあみろと笑っているのかもしれない。優しさを見せつけておいて、犯人の候補から逃れようとしているのかもしれない……。


「ナルミぃ?」


 怪訝な表情になったナルミを見て、サラがスペイン語で何か一言告げた。ナルミは首を振り、片言のスペイン語で応じる。「ごめん、うちら急ぐから」と立ち上がった。

 その後、サラは自分のロッカーからサード用グラブを取り出し、ナルミに渡した。2人は部屋を出る直前チラッとるなのほうを振り返り、急いで出て行った。

 考えてみれば、自分をおもしろくないと思っている人のほうが多いかもしれない。真鈴絡みだけでなく、ポジション争いもだ。多かれ少なかれ、いつの間にか怨みをかっていたのか……。

 鳥肌が立った。スタメン発表を告げる場内アナウンスと、観客の声援が響いてくる。自分はどこにいるのだろう。何者なのだろう。何をしているのだろう。


「帰りたい……」


 ぽつりとこぼれた言葉は、本当に自分の口から出たものだろうか……。どこへ帰るというのだろう。それすらも他人事のようで、答えは見つからない。

 たぐり寄せ、少しずつ荷物をバッグへ戻していく。のろりと立ち上がったところで、チームドクターが駆け寄ってきた。

 るなの様子がおかしいから見てきてくれ、とナルミから頼まれたらしい。手を引かれ、医務室へ促された。

 自然と、医務室では落ち着けた。チームドクターは、ロッカールームやシャワーブースには滅多に入らない。るなに危害を加える犯人からは除外できる。ベッドに寝かされ、少し休んでからベンチへ戻りなさいと言われた。

 カーテンの向こうで、チームドクターが通話を始めた。内線電話だ。ベンチにいる監督かコーチに状況を伝えているのだろう。


「るな? 監督が、もう今日はホテル戻って休みなさいって。私もそのほうがいいと思う。独りで行ける?」

「独りで……」


 通話を終え、カーテンの隙間からチームドクターが覗いてきた。るなはブランケットの裾をギュッと握り、『独り』という言葉を反芻する。

 独りは怖い。孤独感と疑心暗鬼に押しつぶされそうだ。でも、誰も信じられない今、独りのほうが安心できるのではないか……。


「……帰れます」


 もうしばらくいてもいいと言うチームドクターに首を振り、るなは礼を言って医務室を後にした。試合中ならばチームメイトに会わずに帰れる確率が高い。ロッカー内の荷物もできるだけ持って帰ろう、とるなは廊下を急いだ。

 灯りが点けっぱなしになっていたロッカールームの扉をそっと開けた。シンと静まり返っているので、グラウンドからのトランペットがよく聞こえる。サラの応援曲だ。ホテルへ帰ったら、中継は見ずに少し休もう……。

 2つ目の角を曲がった。るなのロッカーの前辺りでしゃがんでいる姿がある。

 間違いない。今度こそるなのロッカーだ。るなは息を飲んだ。上半身は扉の影に隠れていて、背番号までは見えない。

 だが、見覚えのあるレガースが、るなの鼓動を加速させた。


「サエ……さん……」


 ぴたりと動きが止まった。サエが扉の影から顔を出した。慌てて扉を閉める。


「あっ、ごめんごめん! 間違えちゃったよ。タオルの換えを取りに来たんだけど、こっちはるなのロッカーだったわ。えーっと、タオルタオル……っと」


 いそいそと隣の扉を開けるサエ。台詞こそもっともらしいが、その表情と声が明らかな動揺を表している。

 ……違う。サエは犯人じゃない。信じたい。違うと信じたい。

 だから、確信がほしい……。


「サエ、さん……。私のネックレス、知りませんか……? お母さんの……母の、大事な形見なんです……」


 一歩一歩、踏みしめるように近付く。フェイスタオルを引っ張り出し、振り返ったサエが「はぁ?」と眉を顰めた。


「あんた、私が盗んだとでも言いたいの?」

「……盗んだとは言ってません。『知りませんか』って言っただけです。取られたとも、落としたとも言ってませんよね……?」


 詰問する、るなの声が震え出す。『違う』と言ってほしい……。サエの口端が、一瞬ピクッと引きつった。


「サエさんじゃ、ないですよね……? 私のネックレスも、写真も、バットとかも……」

「は、はぁ? 何の話しよ! 私があんたに何かしたって言うの?」

「違います……よね?」

「違うわよ! 何の話か知らないけど、言いがかりはやめて!」


 バンッ! と、乱暴に扉を閉めるサエ。しかし、語気の強い言葉とは裏腹に、サエはるなと目を合わそうとしない。「急ぐから!」と横を過ぎようとするサエの肩を掴み、るなは声を絞り出した。


「……じゃあ、私は2軍に行くので、真鈴のことをよろしくお願いしますね……?」


 サエが足を止めた。勢いよく振り返る。その瞳には、今は動揺よりも嫉妬の炎を宿らせている。真っ直ぐ見つめるるなに『なんで2軍に?』とは尋ねてこない。るなは、自分の仕掛けた罠に落ちたサエの肩から、そっと手を放した。


「……あんたのものじゃないでしょ……? 調子に乗った言い方すんじゃないよっ!」

「ほんとに……サエさんなんですか……? 信じたくなかった……。なんで……」


 サエが身体ごと向き直る。「なんで?」と引きつった顔を近付け、ジリジリと壁に追い詰めていく。


「なんでじゃないよ! あんたが調子に乗ってるからでしょ! 神月真鈴のピッチングを支えてるのは、バッテリーである私なのに……。監督も神月真鈴も『るなのおかげ』って……。あんたが何してるって言うの? 認められて隣にいるべきなのは、私でしょ!」


 気迫に押され、るなは一歩ずつ後ずさる。壁の冷たい感触が背に伝わってきた。

 入団当日、不安だらけのるなに一番最初に声をかけてくれたのがサエだった。

 セシアナ野球のこと。ドルフィンズのこと。チームメイトのこと。その他にも、色々教えてくれたのは、いつもサエだった。

 神月真鈴の大ファンなのも知っている。話しかけられると緊張してしまうかわいい面もあるのも知っている。でも、真鈴の登板前は、必ず自分から配球の打ち合わせをしにいくプロ意識の高さがあるのも知っている。

 だけど、だからこそ、知らなかった一面があった……。


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