83☆突っぱねるんですけど
「るなさん、今夜は焼き肉どうですか? 前にお話しした、和牛を直輸入しているお店で……」
幻であってほしかった。完封快勝の余韻を残した無邪気な笑顔で、真鈴が歩み寄ってくる。
こっちへ来ないで……。冷たく突っぱねなければならなくなる。守るためのウソをつかなければならなくなる。
球団のためにも、お互いのためにも……。
「……ごめん。今日は予定あるから」
「予定? なんのですか?」
「真鈴には関係ないでしょ」
冷淡な声色を意識し、一度も目を合わせないまま横を通り過ぎる。背後で真鈴が「え?」と気の抜けた声を漏らした。
ロッカールームへ戻った。幸い、サエを初め数人の選手が残っていた。るなはかき集めるように荷物をまとめ「お先です」とサエの横を過ぎた。
「おー、お疲れ! どうしたの? なんか急ぎ?」
「いえ、あー……ちょっと、お腹空いたんで早くホテル戻ろーって思って……」
「そっか。ここのチキン料理、めっちゃ……わっ!」
サエの背にぶつかる人物がいた。勢いでサエがつんのめった。るなは慌てて支えようとする。サエの肩越しに、血相を変えた真鈴が見えた。真鈴も「あっ……すいません!」とサエの肩に触れた。
るながちょっと突き放しただけで、こんなにも目の前が見えなくなる真鈴……。ファンであるサエは「いーよいーよ」と笑顔で流してくれているが、るなの胸中の警告音が大きく鳴る。
早く……早く真鈴を遠ざけなければ……。
真鈴には自分しか見えていない……。
そうしてしまったのは自分にも責任がある。ちゃんと、ちゃんとけじめをつけなければ……。
「自分のことばっかりじゃなくて、もっと周りのこと考えなよ! 真鈴はいつも自分のことしか考えてないからこうなるんじゃない?」
言っておきながら、るなはハッと息を飲んだ。真鈴の純粋な瞳が「すいません……」と揺れる。
「るなぁ、ちょっとぶつかっただけで大げさだよ! 私が入り口に立ってたのも悪いし、そんなにキツい言い方しなくても……」
サエが間に入った。だが、もう吐いた言葉は戻せない。
どうせ自分は、明後日に1軍を去る。戻って来れる保証もない。るなはヤケクソで真鈴を押しのけ、ロッカールームを飛び出した。
背後で「るなさんっ?」と呼び止める声がした。これで愛想をつかせばいい。嫌いになればいい。もう、どうにでもなればいい……。
自分が1軍にいなくなれば、一緒にいたいという真鈴だってドルフィンズにいる理由がなくなる。真鈴ほどの選手ならば他球団は喉から手が出るほど欲しいだろうし、父の率いるアクアマリンに戻る選択肢だってある。
真鈴がいなくなれば、『ほとぼり』とやらも冷めるだろう。成績さえ残しておけば、自分はまた1軍に上げてもらえる……。
そうだ。自分の野球人生が終わったわけじゃない……。
食事会場へは行かず、真っ直ぐホテルの自室へ戻った。息を整え、冷蔵庫の中の、冷えたセシアンコーヒーを一気飲みする。ココナッツミルクの甘みが、停止しかけた思考を整えてくれそうだ。
『おいしいでしょう? セシアナのコーヒーにはココナッツが入っていて……』
ダメだ。真鈴の顔がチラつく。こんな時に声が聞きたいのはヒカルだが、ヒカルと話せば自ずと真鈴の会話にもなる。兄にも相談できない。誰にも言えない。るなは空になったペットボトルをゴミ箱へ投げ入れ、気を紛らわすために荷物整理をしだした。
スマホが震え出す。真鈴かもしれない。いや、そうでなくても今は誰とも話せない。話したくない。話したら、きっと本音が出てしまう……。
明後日の試合が終われば、自分は南島に戻る。借りたてのマンションで独り暮らしが始まる。何か揃え切れていないものはないか。自炊も本格的に取り組まなければ……。
その前に、予備のバットとグラブの発注を……。
「出番……ないか……」
オンライン注文をしようとしたところで、スマホを操作していた指を止めた。明日も明後日も、きっとスタメンを外される。それどころか、代打や代走すらもないだろう。『コンディション不良』という名目なのだから、ベンチ外すら有り得る。
「……いっか」
苦笑し、スマホをぽとりと膝に落とす。マンションへ帰ってから発注しても遅くはない。むしろ、荷物にならなくて済む。
るなはベッドに転がり、枕に顔を埋める。涙も出ない。食いしん坊な自分なのに、空腹も感じない。もうこのまま寝てもいいか……と目を閉じた。
寝て、覚めて、夢だったらどんなにいいだろう……。




