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エースな彼女は変化球が投げられない  作者: 芝井流歌


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82/106

82☆2軍落ちなんですけど

 


 翌日、真鈴の完璧なピッチングに応える援護点もあり、ドルフィンズは4対0と完封勝利。レッドミネルバズ3連戦の初戦を白星でスタートさせた。

 ショートスタメンでの出場だったるなは、エラー1つありはしたが、ツーベース1本とセーフティスクイズが1本とで得点に貢献した。

 勝利の熱気が残るロッカールーム。試合中にヒモが切れてしまったグラブを、どうしたもんかとバッグに詰める。

 打球を捕球した際、あろうことかグラブのヒモが切れたのだ。ぽろりとこぼれたボールを急いで拾い上げたがバッターの足が優り、出塁を許してしまった。

 予備を持っていたからよかったものの、新しいグラブは型が手に馴染みきっていないので、エラーを重ねないか、内心ヒヤヒヤだった。


「今日はバットも折れちゃったし、一緒に予備を買い足しておかないとな……」


 アクアマリンのピッチャーもだが、レッドミネルバズのピッチャーも、なかなかに球が重かった。まるでヒビでも入っていたかのように、ファールで簡単に折れてしまったのだ。

 そういえば練習時、グラブに手を入れた瞬間、指先に木片が刺さった。もしかしたら、あれはバットの破片だったのかもしれない。

 地味に痛かったなぁ……とスパイクを履き替えようと、ロッカー下からスニーカーを引っ張り出した瞬間、るなの背を誰かがばしんと叩いた。


「るな、お疲れ! ここのビュッフェ会場、チキン料理がめっちゃおいしいんだよー。特にササミ。アスリートたるもの、タンパク質、タンパク質!」

「ナルミさん、お疲れ様です! そうなんですか? チキン、好きなんで楽しみです!」

「あははっ、るなは肉料理なら何でも好きなんでしょ? 今のうちからちょっとは食事に気を付けておかないと、あとで後悔するぞー?」


 犠牲フライだが、代打で1点を稼いだナルミもご機嫌だ。「んじゃ、お先ー」と退出していく。周囲もぞろぞろと出て行くので、るなもいそいそとスニーカーに片足を突っ込んだ。


「痛っ!」


 足の親指に何かが刺さった。慌ててつま先を抜く。スニーカーを逆さまにして振ると、折れ曲がった安全ピンがカランと出てきた。


「……何これぇ……。どこから落ちてきたの? 痛かったぁ……」


 白い靴下に、赤い点がぽつんと付いた。るなは仕方なしに一度靴下を脱ぎ、小さな絆創膏を貼った。まだズキズキはするが、傷は浅い。どこから来てどうして入ったのかこの安全ピン。どこに捨てようかときょろきょろしていると、るなの前にトウコが現れた。


「るな、ちょっと来て」

「あっ、はい!」


 ピンはひとまずロッカーの上に置き、早足で先導するトウコの後を追う。ホテルへと帰って行くチームメイトたちに逆流し、どこへ向かうのか尋ねる隙もないまま、廊下の奥にある会議室に案内された。

 ノックをしたトウコが扉を開ける。促されるまま足を踏み入れると、重苦しい静寂が部屋中に漂っていた。

 長机の向こうには、すでに監督とチーフマネージャーが険しい面持ちで座っている。肘をつき、深く刻まれた眉間のシワに指を当てる監督。トウコが「座って」とパイプ椅子を引いてくれたので、「失礼します……」と恐る恐る腰を下ろした。


「るな……。私が頼むと言ったのに申し訳ないんだが、真鈴とは少し距離を置いたほうがいい」


 静寂を切り裂いた監督のその一言は、突然冷や水を浴びせられたようにどきりとした。るなは思わず「……はい?」と聞き返してしまった。言っていることは分かる。だが、言っている意味が分からない。


「……えっと、どういうことでしょうか。真鈴がまた何か……」

「真鈴が、じゃない。……トウコ」


 監督はすぐにるなから目を逸らしてしまった。代わりにトウコが、るなの前に1枚の封筒を差し出す。何が何だか分からないが受け取り、開封してみた。

 中には英語で書かれたメモ書きが1枚。それと、るなの写真が3枚入っていた。

 写真はどれも、るなのシャワーシーン……。

 シャワーブースのカーテンの隙間から、密かにレンズを向けられた盗撮写真だった。背後から撮影していても、黒髪おかっぱというだけで、るなだと一目瞭然だ。横向きの角度のものは、るなの小ぶりな胸の先端まで、生々しく映し出されている……。

 るなは血の気が引いていくのを感じた。震え出した手で、写真だけすぐに封筒に戻す。メモ書きを手にトウコを見上げると、トウコは一度口を引き結んでから答えた。


「……『神月真鈴に付く害虫・夕海るなを2軍に落とせ』と書いてあるの……。監督室の前に置いてあったそうよ」

「……害虫……? 私を……2軍に? 誰が……誰がこれを……」


 沈痛な面持ちの監督が、深いため息と共に背もたれに身を預けた。


「それが分からない……。だが、考えたくはないが、おそらくうちの球団内部の人間だ……。選手専用シャワーブースに入れるのは限られてるだろう?」

「それって……チームメイトってことですか……?」

「……その可能性が高い。上からの盗撮ならば設置されたものとも考えられるが、これは明らかにカーテンの隙間からだ。並びのブースには他の選手もいるはずなんだから、部外者ならば目立ちすぎる」

「そんな……」


 監督もマネージャーたちも、るなを直視できずに俯いてしまった。るなの震えは指先だけでなく、全身に広がっていく。宛名のない封筒を見つめ、「嘘でしょ……」と呟いた。


「るな……。真鈴のこと以外で、何か心当たりある?」


 今度はチーフマネージャーが問うた。


「心当たりもなにも……。怨みを買うようなことをした覚えなんかありません」

「そうよね……。じゃあ、やっぱり……」


 チーフマネージャーは監督に向いた。監督は腕組みをし、首を横に振る。


「真鈴を受け入れた時点で、いつかこういうトラブルがないか懸念していたが……やはり、るなに白羽の矢が立ったということは、『真鈴から離れろ』という警告だろう……。試合を抜けさせてまでるなに任せたのが追い打ちになったかもしれん。申し訳ない……」


 腕組みを解き、監督はるなに深々頭を下げだした。るなはそれを止めようとしたが、上手く言葉が出て来ない。ぎゅっと唇を噛み締め、小さく首を振ることしかできなかった。


「ないとは思うけど……直接のいたずらとか、いやがらせは大丈夫なのよね?」


 トウコがおずおず覗き込んできた。るなは頷きかけ、ふと今日の出来事を思い出す。

 手を入れた瞬間に刺さったトゲ。折れたバットのヒビ。エラーの原因となった、グラブのヒモ。そして、スニーカーの中の安全ピン……。

 それらは全部、偶然でも自然でもなかった……?

 ……いや、違う。道具は全て消耗品だ。どんなに大切に扱っても、どんなに手入れをしても、いつか別れはくる。安全ピンは、誰かが落としたものが、たまたま……。


「……あるのね?」


 押し黙ったるなに、トウコが身を乗り出してきた。

 ……違う。違う。それらは全部偶然だ。こんな手紙と写真なんか見せられたから、ネガティブに捕らえてしまっただけだ。不運が重なっただけの……。


「言って? るな。何かされてるのね? 誰に、何をされたの?」

「……分か……りません……。偶然かも、しれないし……」

「るな、言いなさい! これは君だけの問題じゃない。こんな写真がSNSにでも流出したら、君が恥ずかしいだけでなく、球団のセキュリティと共に、チーム全体の品位や内部亀裂まで疑われるんだぞ?」


 ……言えない……。

 だって、口にしてしまったら、それが恐ろしい現実として眼前に現れてしまう気がして……。


「……2軍に……行きます……」


 ポツリと漏らした自分の声が、どこか他人事のように聞こえた。「るな、無理に呑む必要はないのよ?」とトウコが痛ましそうに声をかけてくるが、思考は真っ白だった。

 だって、拒否してこの写真がネットに撒き散らされたらどうなる? 自分の粗末なヌードも曝される。真鈴にも、チームにも取り返しのつかない泥を塗ることになる。

 ならば、選択枝はひとつしかない……。


「……私が行けば、真鈴やチームに迷惑はかからないんですよね? なら……そうしてください」


 悔しさで唇を噛み締めると、鉄の味が口の中に広がった。

 絞り出したるなの言葉に、監督とトウコが目を合わせて重いため息をついた。


「……るな。君が悪いんじゃない。悪いのは文字通り、私の監督不行届だ。もしこの犯人が部外者ならば、すぐに警察へ突き出すべき重罪だ。だが、内部の人間の犯行の可能性が大きいこの件について今できることとなると、防犯カメラの解析と全選手の荷物検査を実施するくらいしかない……。屈するようで情けないが、犯人を特定するまでの間、君の身の安全のためにも、ほとぼりが冷めるまではコンディション不良名目で2軍に避難していてくれ」

「……はい。でも、このことは真鈴には内緒でお願いします」

「もちろんだ……。真鈴だけでなく、選手たちには内密で動くつもりでいる。真鈴は君のように大人じゃない。次の登板に影響させないためにも……。犯人が特定できなくても、ほとぼりが冷めたら連絡するからな……」


 頷いてはみたものの、ほとぼりなんていつ冷めるのだろう……。

 妬みの恐ろしさは、イズミで充分思い知らされている。冷めることなどあるのだろうか。そして、それが冷めたと誰がどうやって気付けるのだろう……。


「3連戦の途中となると急すぎて不自然だから、このレッドミネルバズ戦が終わったタイミングで、コンディション不良による1軍抹消ということにしようと思う。2軍監督には事情を伝えるが、もうそこまでで留めておく。しばらくは試合に出なくてもいい。あまり考えすぎず、ゆっくり休んでくれ……」

「そうよ? 悔しいけど強迫の条件は飲んだんだもの。いやがらせも流出もないと思うから、あまり考え過ぎちゃ駄目よ?」


 段々と声が遠くなる気がした。腫れ物に触るような3人の視線が、るなの胸を余計に締め付ける。

 小さく会釈をし、るなは黙って会議室をあとにした。

 セシアナに来て、初めて味わう2軍落ち。それも、自分の成績やケガではなく、他人からの劣悪な圧力で……。

 悔しすぎて涙も出ない。枷がついたように、足が重たい。永遠に続くような廊下をとぼとぼと歩く。

 距離を置く? 真鈴と?

 無視をする? 真鈴を?


「るなさーん」


 ……曲がり角で笑顔で大きく手を振っているあの真鈴が、幻でありますように……。





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