81☆誇らしいんですけど
神月渉がヒカルの自宅に訪れたのは、午後1時を回ったところだった。
高級ブランドのスーツに身を包んだ渉にはベンチで見せる厳格さはなく、妻の入院諸々で刻まれた疲労がにじみ出ている。
だが、やつれた姿すら哀愁漂う『ちょい悪イケオジ』に見える。圧倒的なオーラと、隠しきれないフェロモン。真鈴が隣に並ばずとも、『この父にして、この娘あり』である。
「久しぶりだな、ヒカル……」
「うん。……上がって?」
微笑んではいるが、ヒカルの眼差しはどこか寂しさを感じる。全く血縁関係のないるなは気まずさを抱えながら、「お疲れ様です」と深々頭を下げた。
「夕海さん……だったね。ヒカルに連絡を取ってくれてありがとう。君が繋いでくれなかったら、真鈴と連絡取れないままだったよ。試合も抜けてここまで来てくれたなんて……世話になったね」
「いっ、いえ! むしろ、私がいつも2人にお世話になってますんで」
セシアナの名将に礼を言われ、るなはわたわたと両手を振る。ヒカルに促され、渉はダイニングへと通された。
「パパ、ママの具合はどう?」
シャワーを浴び、るなの言いつけ通り朝食をもりもり食べて回復した真鈴が、ダイニングチェアに座ったまま不安げに見上げる。渉は向かいに座り、「うん……」と歯切れの悪い返事をした。
「骨折のほうは……まぁ、くっつくまで安静とリハビリだ。ドクターが言ってた『普通の人なら、もっと複雑に折れてましたよ。元一流選手は、骨も一流ですね』ってな。それより……」
渉は一度言葉を切り、バッグの中から何かの書類を出しながら続けた。
「ショックがな……。急いで会いに行こうとして、結局事故に巻き込まれて会えなかったんだ……。あげく1ヶ月は入院で、葬儀にも出られないって、相当落ち込んでるよ。だから、葬儀場は、ママの入院先の近くを手配した」
しばらく書類に目を通した真鈴が「うん、グランマも喜ぶと思う」と顔を上げた。メモリアルホールの申込書だったらしい。
複雑な親子の邪魔をしてはいけない、とるなはリビングのソファにちょこんと腰かけて存在を消す。コーヒーを入れたヒカルが、キッチンから出てきた。渉と真鈴の前に置き、るなと自分の分はソファのローテーブルに並べた。
「……ヒカルも、こっちに座りなさい」
キッチンにトレイを下げに行ったヒカルを、渉が呼び止めた。ヒカルはゆっくり振り返り、首を振る。
「申し訳ないけど、私は参列できないから……」
沈黙が訪れた。
真鈴の母方の祖母なのだから、ヒカルに血縁関係はない。遊び人と名高い渉の前妻とあって、ヒカルの母やヒカルのことを疎ましく思っていたという。
「すまんな……俺の評価は、お前には関係ないのに……」
「ううん。でも、当日以外なら、手伝うことはできるよ? なんでも言って?」
そう微笑むヒカルを直視できないようで、渉は片手で眉間を押さえ、「すまん……」と俯いてしまった
「私の身勝手で、お前にはずっと日陰を歩かせるような真似をさせているな……。真鈴の異母姉だと公表できれば、どれほど……」
「やめてよ、お父さん」
ヒカルはキッパリと父親の言葉を遮った。その声には、毅然とした強い意志が宿っていた。
「……私はね、今のままで充分なの。私は実力でフォレストビーナスに入った。名将の娘とか、カリスマエースの姉としてじゃなく。別に今も、今までだって不幸だと思ったことは一度もない。公表なんかされなくたって、私はお父さんの娘だし、真鈴の姉……でしょう?」
ヒカルは、見定めるように父と妹の顔を交互に見つめる。俯く渉に代わり、真鈴が不満げにヒカルに向いた。
「違うって言ったって、あたしにはお姉ちゃんぶるし、パパのことは『お父さん』って言ってるじゃん」
「……そうね。だって、真鈴はいくつになってもかわいいんだもん」
「ちょっと! 誰がかわいいって? あたしのことかわいいなんて言うの、この世でヒカルだけだよ」
「あら、そう?」
首を傾げるヒカルと目が合ったるな。家庭内の事情をなるべく耳に入れないようにとしていたところに急に振られ、ぱちくりと瞬きをする。反応のないるなに見切りをつけたのか、「まぁいいや」と、渉に向き直った。
「お父さん、だから謝らないでね? 私は神月真鈴の姉だけど、有沢ひかる。日陰なんか歩いてない。お父さんが付けてくれた名前の通り、ちゃんと光の中にいるよ?」
ヒカルの嘘偽りない凜とした眼差しに、渉の切れ長の目が細められた。るなの胸もじんと熱くなる。
「ヒカル……お母さんに似てきたな」
「昔から似てると思うけど? ほら」
写真立てを指さす。笑顔のヒカルの母。吸い寄せられるかのように、渉は写真立ての前で手を合わせた。
「似てるでしょう? 真鈴が神月渉の最高傑作なら、私はお母さんの最高傑作だよ。もちろん野球に関してはお父さん譲りだろうけど、遊び人なところが私には遺伝しなくてよかったーって思ってる」
合掌を解き、頭を上げた渉は、父の顔で苦笑した。
「ははっ、そうだな。できれば真鈴にも遺伝してほしくなかったんだが……。でも、私はヒカルも真鈴も、誇らしく思っているよ。遺伝や才能だけじゃ、プロにはなれないからな」
「私も。公表なんかされなくても、お父さんの娘であること、誇りに思ってる」
似ていない、と思っていた渉とヒカルだが、はにかんだ笑顔はどこか通ずるところがある。やはり、親子なんだなぁ……と、るなはしみじみ見つめていた。
何年越しの告白なのだろう……。2人は揃ってダイニングテーブルについた。
その後、ご遺体の搬送や葬儀の日程、実家の片付けなどの話で親子会議になった。冷めたコーヒーをすすり、るなは真鈴の横顔を観察していた。
顔色も悪くはない。ヒカルのアシストもあってか、口調も冷静でしっかりしている。あとはフィジカル面。ここ2日、投球練習をしていないので、明日登板するのであれば……。
「うん。じゃあ、あとは俺とママで決めてくるよ。金曜には仕事に戻らなきゃだが、真鈴も明日の先発が終われば落ち着くだろ?」
「そうだね。ママには明後日会いに行くからって言っといて。……よっし!」
勢いよく立ち上がる真鈴。ぐるぐると左肩を回し、るなに向き直る。
「るなさん、帰りますよ!」
「えっ? う、うん。ってか、ほんとに明日投げるの? 大丈夫なの?」
「ちょっと! あたしを誰だと思ってるんですか? エースが投げなきゃ、連敗は止められないでしょう? いつまでもめそめそしてられませんよ。グランマもファンも、あたしのかっこいい活躍を待ってるんですからね!」
苦笑する3人に「え? なんで笑ってんの?」とキョトン顔をする真鈴。
「いやいや、それでこそ俺の娘だなと思っただけさ。……じゃあ、こっちのことは俺に任せて、もうお前たちは北島に戻りなさい。明日の試合のために、ゆっくり休むんだぞ?」
姉妹が「はい」と答える。渉は満足そうに頷き、席を立って玄関へ向かった。るなも慌てて見送りに行く。
「そうだ、ヒカル……」
光沢のある革靴を履き、渉が振り返る。
「金曜日、また会おうな。声はかけてやれないけど、いつでも応援してるから」
「……うん。アクアマリンとの対戦、楽しみにしてる……」
毅然としているヒカルの声が、少し震えた。しばらく沈黙したまま、2人は見つめあう。やがて、渉がゆっくりとヒカルを抱きしめた。瞼を閉じたヒカルの目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
その切なく美しい光景を、るなと真鈴は静かに見つめていた。名将の娘である重圧を背負う辛さと、娘であると公表できない辛さ……。
どちらも計り知れないが、その辛さと懸命に戦う娘たち。誇らしく思う渉の気持ちが、ヒカルを包むその腕の強さに表れているのをるなは感じた。
渉を見送り、3人も北島へと急ぐ。昨夜は重苦しい空気に飲まれていた車内だったが、今はセシアナの眩しい太陽の下でプロ野球選手の顔に戻っているるなたち。
「……あ、監督から返事来た。『よかった。るなには感謝しているよ。明日も真鈴のバッグをよろしくな』……だって」
「……るなさん、いつからあたしの荷物持ちになったんですか? それを言うなら『バック』でしょう」
「だよね、絶対そうだよね? 打ち間違えだよね? これ以上、真鈴のおもりさせないでほしいよ」
「おもりーぃ? 失礼な人ですねぇ。あたしのお世話したい人なんて、世界中にいくらでもいるんですよ? もうちょっと光栄に思ってくれても……」
「ふーん? じゃあ、光栄に思ってくれる人にお世話になったらー?」
軽くあしらい、『うるさいくらい元気になったので、バックはいらないかもしれません。三振の山を期待したいですね』と返信。
「そうだ、真鈴? ちゃんと、ヒカル先輩に御礼言ったの?」
「御礼……?」
後部座席から、運転中のヒカルをチラ見する真鈴。海沿いのハイウェイは、容赦なく太陽が照りつける。ハンドルを切るヒカルが、サングラス越しに「御礼?」とオウム返ししてきた。
「私は真鈴のお姉ちゃんだもん。妹が甘えるのは当然よ? 御礼なんていらないよ」
「ちょっと! ヒカルには甘えてなんか……」
言いかけて、真鈴はおとなしく「……ありがと」と呟いた。照れくさいのか、そのままぷいっと窓の外を眺めだした。素直じゃないなぁ……と、るなは笑いを堪える。
途中スコールに見舞われながらも、日没前にはミネルバドームホテルへ辿り着けた。車から降りた途端、『肩作りに行ってきます』と練習場へ駆けだした真鈴の背は、もうすっかりエースの頼もしい姿に戻っていた。るなはヒカルと再会の約束のハグをして別れた。
るなは、部屋に着くや否やベッドに倒れ込む。たった26時間のことだったけれど、色々な思いが交錯したその1日はものすごく長く感じられた。
明日の神月真鈴が楽しみだ。大切な人を失った悲しみと、家族の温かみを改めて感じたエースのピッチングが……。




