76☆交代なんですけど
アクアマリン3連戦もいよいよ最終日。日曜のナイターだというのに、レフトスタンドには相変わらず『るにゃキャットタオル』を掲げたファンが多く来場してくれている。
昼に行われた別カードでは、ヒカルの所属するフォレストビーナスが、ドルフィンズの次カードの相手・レッドミネルバズと対戦。『あくまで偵察です』と観戦に出かけた真鈴だが、るなはそれを苦笑いで見送った。
しらじらしいが、素直に『ヒカルの応援に』と言わないところが、なんとも真鈴らしい。
こちらは17時プレイボール。先に守備につくアクアマリンの選手たちが、球場アナウンスに乗って歓声の中飛び出してきた。
今日もトップバッターのるなは、三塁ベンチ前で素振りを繰り返す。最後に豪腕先発ピッチャーがマウンドへ上がると、ライト側の歓声が一段と湧き上がった。
「るな。あのピッチャー、ボールは速いけど立ち上がりのコントロールが不安定だから、無理せずフォアボール狙いでもいいからね」
「はい!」
コーチに「おし、行っといで!」と背を叩かれ、るなはバッターボックスに向かう。
と、打席に入る直前、真鈴の父でもある、アクアマリンの監督・神月渉が球審の元へ駆け寄ってきた。続いて、あちらのヘッドコーチも出てくる。英語なのでるなには聞き取れないが、渉の口調からはかなりの焦りが覗えた。
球審はただ、うんうんと頷いている。渉は球審と話し終えると、なぜか三塁側のドルフィンズベンチへ走って行った。
球場内がざわつく。プレイボール直前で何を話しているのかもそうだが、監督が敵チームのベンチへ行くなど、一体何が起こったのかと騒然としている。
渉はドルフィンズの監督と話し始めた。お互い険しい顔だ。観客・選手たちが見守る中、球審がマイクを取ってアナウンスを始めた。
「……なんて?」
当然、るなにはその英語のアナウンスが聞き取れない。渉が一塁側ベンチへ戻っていく。そのまま、ベンチ奥へと消えてしまった。
「プレイボール!」
なんだったのかさっぱり分からないまま、るなはバットを構える。3ボールナッシングから真ん中に入ってきた甘い速球に当てたが、力負けでボテボテのサードゴロに終わった。
ど真ん中でも、さすがはアクアマリンの豪腕ピッチャー。まだ手首が痺れている気がする。コーチに言われたように、フォアボールで確実な出塁を狙えばよかったかもしれない。
すごすごとベンチへ戻ると、監督が眉間にしわを寄せながら近寄ってきた。「すみません……」とるなはヘルメットを脱いだ。
「真鈴がどこにいるか知ってるか?」
「……え? 真鈴ですか?」
てっきり、バッティングのことで怒られるのかと思い、拍子抜けしたるな。ベンチ奥からピッチングコーチが勢いよく出てきた。監督に駆け寄り「ブルペンにもいませんでした」と首を振る。
「あっ、真鈴なら……」
るなは言いかけ、出がけに『誰にも言わないでくださいね?』と念を押されたのを思い出した。
しかし、両監督もピッチングコーチも険しい表情をしていた。真鈴が何かやらかしたとしても、試合中に監督が退場していくなど、尋常ではないことが起こったのだろう……。
「私が連絡……してみます」
「当てがあるなら頼む。神月監督の伝言を伝えてほしい。実は……」
内容を聞き、るなは息を飲んだ。鼓動が加速していく。
るなですでに1アウトだ。チェンジまでには戻らないといけない。ヘルメットとバットをラックに戻し、バッティンググローブを外しながらロッカールームへの通路をダッシュで急ぐ。
『真鈴と連絡取れないんです。もし、そちらで連絡ついたら伝えてください。義母が危篤なんです。駆けつけようとした妻も、ハイウェイで玉突き事故に巻き込まれたそうで……。妻にはわたしが付き添うから、真鈴は祖母の元へ向かうようにと……』
球審の場内アナウンスは、監督の代行はヘッドコーチが行いますという内容だったらしい。
……以前、真鈴はお婆ちゃんっ子だと言っていた。メロン入りオムライスでケンカした後、祖母の入院する病院の前まで行ったこともあった。
あの時の、真鈴の切なげな横顔を思い出し、るなはギュッと胸が苦しくなる。一時でも早く伝えたい。スマホが立ち上がる時間さえもどかしかった。
「出て……!」
ロッカールームで、るなは祈りながらコール音を聞く。しかし、何度鳴っても繋がらない。メッセージも連投してみた。『連絡して』『急用』……だが、すぐに既読がつくことはなかった。
ふと気付く。フォレストビーナス戦は、今日は13時からだ。もう試合は終わっているはずだ。ならば……。
「ヒカル先輩、出て……!」
今度は連絡先から『ヒカル先輩』をタップする。こちらも、数十秒鳴らしても出ない。試合が終わっても、シャワーを浴びたり片付けをしていると電話には気づけないかもしれない。
それ以前に、一緒にいるとは限らない。一か八かの賭けだ……。
どうか一緒にいて……! とギュッと目を閉じた瞬間、『もしもし、るな?』と澄んだ声に繋がった。
「ヒカル先輩! 真鈴、そこにいますか?」
『うん、今落ち合ったとこだから隣にいるけど……。るな、試合は?』
「試合中です! でも急いでるんです! 真鈴に代わってください!」
るなが慌ただしく急かすと、ヒカルは『分かった。待って』と早口で告げる。2人の会話までは聞き取れないが、エンジン音が反響しているところからすると、ミネルバドームの地下駐車場にいるのだと思われる。程なくして、『るなさん?』と真鈴に代わった。
「真鈴! 落ち着いて聞いて……!」
落ち着いて話さなければならないのは、自分のほうだ。だが、こちらもチェンジまでには戻らなければならない。深呼吸し、一語一句、渉の伝言を伝える。
「……だから、神月監督は……お父さんは試合をヘッドコーチに任せて、お母さんの病院に向かってる。一応、連絡してみて?」
『……』
「真鈴? 聞いてる?」
やはりショックが大きかったのだろうか……。真鈴は絶句したまま、周囲の雑音だけが聞こえてくる。るなは仕方なく「ヒカル先輩に代わって!」と叫んだ。
わぁっと歓声が響いた。チェンジか? ヒットか? 焦るるなの心中を察したように、『るな! 私!』とヒカルが代わった。
るなはもう一度同じ説明をした。ヒカルは冷静に一通り聞くと『分かった。私が真鈴を送るから』と引き受けてくれた。
『大丈夫、あとでまたこっちから連絡する。私に任せて、るなは試合に集中して。いい?』
「分かりました。お願いします!」
頼もしい義姉に、るなのほうが泣きそうになってきた。通話を切り、スマホを握ったままベンチへ走った。
「監督! 真鈴に連絡つき……」
るながダッシュでベンチへ戻ると、監督の姿はグラウンドにあった。チームメイトたちがすでに守備についている。自分も急がねば……! と、グラブを手にした時だった。
「遅いよっ」
そう言って、ベンチスタートのはずのナルミが、るなを追い越して行った。真っ直ぐ、サードへ向かっていく。見ると、ショートの位置にはサラがついていた。
遅かった……。るなは呆然とグラブ片手に立ち尽くした。
「るな。真鈴には連絡ついたか?」
戻ってきた監督が、深刻な表情で見つめてくる。真鈴の報告はしなくてはならない。
だが、伝達に時間がかかったために交代させられたことがショックだったるなは、唇を噛みしめ、小さくこくんと頷くしかできなかった。
「よかった……。なら、るな。もうひとつ、仕事を頼まれてほしい」
監督に腕を引かれ、るなはベンチの最後列に下がった。1回の裏が始まった。自分はもう出られない……。俯くるなの肩に、監督の手がそっと触れる。
「るなを交代させたのは、戻りが遅かったからじゃない。るな、君にしか頼めない仕事を引き受けてほしいからだ」
「仕事……ですか……?」
監督を見上げる。目が合うと、監督は大きく頷いた。
「真鈴のケアを頼む。……あの神月監督が慌てるくらいだ。真鈴も動揺するだろう。明後日の登板に影響したら困る。真鈴の代わりはいないんだ。……行ってくれるな?」
るなは目を見開いた。
真鈴の代わりはいない。
当然だ。セシアナ最強の、ドルフィンズのエースなのだから……。
だが、自分は……。
るなはナルミに視線を向けた。ちょうど転がってきたサードゴロを、丁寧に裁いた。るながショートの時はサードのサラも、『こっちに飛ばせ』といわんばかりの表情でバッターを見据えている。
自分には……。
代わりがいる……。
「……分かりました……。行って来ます」
「悪いな。報告も忘れずに頼む」
心底申し訳なさそうな顔をしている監督に「はい」と頭を下げ、るなは用具をまとめた。
誰もいないロッカールームへ入ると、『自分にしかできない』と『自分の代わりはいる』の複雑な気持ちで押しつぶされそうになった。
しかし、立ち止まってもいられない……。るなはもう一度ヒカルに電話をかけた。
『もしもし、るな?』
スピーカー通話にしているらしく、ヒカルの声と共に車がバックする時のピーッピーッという音が聞こえた。
「ヒカル先輩、今どこですか? 試合……交代になったんで、私も連れて行ってください」
『えっ! 交代?』
スピーカーにしているということは、助手席か後部座席に座っている真鈴にも聞こえているはずだ。『監督に頼まれたから』というのは飲み込んでおいた。
『……まぁいいわ。詳しい話はあとで聞く。今からミネルバドーム出るとこ。るなはまだアクアドーム?』
「はい。これから着替えるんですけど、どれくらいで寄れますか?」
『20分で行く。関係者通用口の入り口で待ってて』
「了解です!」
真鈴の声を聞くことなく、通話は切れた。頼もしいヒカルがいるから大丈夫……。そうは思っても、やはり心配は心配だ。
るなの足音だけが響くアクアドームの廊下。清潔感のある白い壁と、艶やかな床。母が亡くなった日の病院の廊下を思い出してしまう。
「大丈夫。真鈴のお母さんもお婆ちゃんも……」
家族を亡くした辛さは、るなもヒカルもよく分かる。だからこそ、一秒でも早く真鈴を会わせてあげたい……。




