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エースな彼女は変化球が投げられない  作者: 芝井流歌


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75/104

75☆見届けるんですけど

 


 真鈴は車内の暗がりの中、冷ややかな視線をスマホから逸らさず、深く息を吐いた。


「だから、条件は何?」

「分かってるでしょ? るなにちょっかい出さないで。あなたが邪魔なのよ。消えてほしいの」

「……そりゃまた大がかりなお願い事だねぇ。移籍したばかりのあたしに、もうお引っ越ししろって? それとも引退でもしろと?」

「どっちだっていいわよ? 死んでくれたって構わない。あんたがちょろちょろしてるから、るなは私のものにならなかったんだもの。死んでお詫びしてくれてもいいくらいよ」

「……やれやれ。打たれちゃったってだけなのに、ずいぶん過激な八つ当たりだな。残念ながらるなさんは、あたしのものでもないんだけどね……」


 地下駐車場に、わぁっと大きな歓声が響く。同時に車内モニターでは、実況がゲームセットを告げた。イズミが乱暴にモニターのスイッチを切った。車内に重苦しい静寂が訪れる。


「……どうせ、今回もあんたなんでしょ? でなきゃ怯えたあの目が、たった1日で私をあんな風に真っ直ぐ見返せるわけがない! あの夜もそう! あんたが邪魔さえしなけりゃ、るなはあのまま私のものになった!」


 イズミの呪詛のような怒号を間近で聞きながら、真鈴は静かにシートに背を預けた。そして、フッと笑みを浮かべる。


「押せば?」

「……は?」

「押しなよ、送信ボタン」


 言って、真鈴は長い足を組み替えた。その余裕の振る舞いが、イズミの怒りに油を注ぐ。


「余裕ぶってんじゃないわよ! 馬鹿なの? あんたの野球人生、終わるかもしれないのよ!」

「そうだねぇ。馬鹿なことしてたなぁとは思うよ。でもさ……」


 真鈴は自嘲気味に苦笑いを浮かべると、無防備に両手を後頭部で組んだ。


「知らないの? この国じゃ、あたしの遊びっぷりは他国に漏れないよう、あたしもお目にかかったことのないような上の人たちが必死で隠してる。なんでだと思う?」

「そんなの、汚点だからに決まってるでしょ!」

「んまぁ、それが大前提なんだけどさ。国の大きな収入源でもある国技のスーパースターの人気が下がれば、イコール、セシアナ自体の収入が激減するわけ。だから上の人たちは必死で隠してくれてる。それに託けて遊びまくってたのは猛反省中だけどね」

「だから何よ!」

「分かんないかなぁ? それを他国にリークしたら、セシアナで野球できなくなるのはイズミのほうだよ? 国が赤字になるんだ。野球界追放くらいじゃ収まらないだろうなぁ」


 イズミは絶句した。心身を磨り減らし、精神がおかしくなるくらい打ち込んできた野球を、イズミがそうそう手放すわけがない。真鈴にはその確信があった。


「ひ、開き直るわけ? ほんっと最低! あんたみたいな遊び人よりも、一途な私のほうがるなの隣に相応しいのに!」

「うん。だから、あたしもこれからはるなさん一筋に生きるって決めたんだ。だってさ……」


 起き上がり、真鈴はイズミに顔を近付ける。至近距離で真っ直ぐ見つめられ、イズミは思わず仰け反った。


「イズミも、グラウンドで生き生きしてる、かっこいいるなさんが好きでしょ?」

「は、はぁ? それは……」

「同じだよ。あたしもイズミと同じ。るなさんのプレイを、近くでずっと見ていたい。あの人がピッチャーを諦めてまで続けたいと思っている野球をね……」


 真鈴は手を伸ばし、再びモニターを点ける。今週二度目のお立ち台で、顔を真っ赤にしながらも一生懸命インタビューに答えるるなの姿が映った。「もうっ、いい加減インタビューくらい慣れてくださいよ」と吹き出してしまう。


「でも、こういうところはかわいいんだよね、るなさんて。イジったら怒られるけど。ずっと見てても飽きないんだ。動画も、何度でも再生しちゃう」

「私は……私は画面の中のるなじゃイヤなの! あんたとは違う! あの子の全てが欲しいの!」


 髪を振り乱し、子供のようにいやいやと顔を横に振るイズミ。その目には、うっすらと涙がにじんでいる。


「ねぇ、イズミ……。あたしが見届けたいのは、イズミのこともだよ?」

「……はぁ? たった今、るな一筋になるって言ったばっかじゃない!」

「うん、それはそう。イズミへの『見届けたい』って気持ちはるなさんとは違くて、『アクアマリンのピッチャー』として、だよ」


 憎悪で充血していたイズミの瞳が見開かれる。


「イズミのコントロールは、すぐ感情に左右される。平常心のイズミなら、あたしよりも寸分の狂いもないインコースを投げられるのにさ。もったいないんだ。それがなけりゃ、あたしの後釜はすぐ手に入れられたと思うよ?」

「……」

「狂おしいほど好きなのに届かなくてもどかしい気持ち、痛いほど分かるよ。イズミは本当は純粋で、誰よりも心が弱い。でも、それでイズミの武器が台無しになるの、本当にもったいない。それを乗り越えられれば、イズミの武器は最強になるよ」


 潤んだ瞳から一粒流れ落ちた。そして、堰を切ったように次々とイズミの頬を滑っていく。


「あたしがイズミのこと誘った日のこと、覚えてる?」


 入団し、アクアマリンエースの座にあっけなく君臨した真鈴は、ちやほやされ出して間もなく遊び出すようになった。イズミのことも誘ったことがある。

 だが、ホテルに着いた途端『やっぱり帰る。ずっと片思いしてる人がいるから』とキッパリ断り、真鈴を残して帰ったのだった。


「るなさんに『イズミとも寝たの?』って聞かれたよ……。嘘か冗談か、るなさんに吹き込んだんだろうなーって分かった。まぁ1人否定したところで、あたしの過去も身体も清くなるわけじゃないから、本当のことは話さなかったけどね。るなさんの中には、『遊び人の汚らわしい神月真鈴』しかいないだろうから……」


 再びシートにもたれ、真鈴は瞼を閉じた。意中の人の『明日もチームにキョウケン出来るよう、頑張ります』というカミカミのコメントが胸をくすぐる。


「あなたのライバルはるなさんじゃない。あたしだよ、イズミ。だから、その純粋な思いの行き先を間違えないで?」


 インタビューが終わり、本日のハイライト動画が流れ始めた。マウンドに立つイズミの姿が映る。真鈴は手を伸ばし、中継を消す。車内には、しゃくり上げるイズミの嗚咽だけが残った。

 イズミは涙を拭うこともせず、スマホを操作し始めた。真鈴は内心ドキッとし、横目で画面を覗き込む。

 だが、イズミがタップしたのは送信ボタンではなく、削除ボタンだった……。

 ホッと胸を撫で下ろし、真鈴はダッシュボードから、未使用のタオルを差し出す。ドルフィンズのユニフォーム柄で、真鈴の背番号『11』が刺繍された真鈴グッズの1つである。


「……いらないわよっ、ライバルのキモいタオルなんて」


 イズミはタオルを真鈴の顔面に投げつけ、車を飛び出していった。暗い地下駐車場の中を、乱れた足音が遠ざかっていく。

 独り車内に残された真鈴は投げつけられたタオルで顔を覆い、ふーっと大きなため息をついた。

 強がってみせたものの、タオルを握りしめる自分の指は今更震えている。もし本当に送信されていたら、確実に自分もるなのそばにはいられなくなっていた。その恐怖がなかったと言ったら嘘になる……。


「愚かだよねぇ……」


 自分も、イズミも……。

 たった1人の存在に溺れ、20年続けてきた努力を無駄にしようとしたのだから……。

 乾いた笑いが込み上げてくる。独り肩を揺らしていると、傍らのスマホが短く鳴った。インタビューが終わったばかりの、るなからのメッセージだった。


『ロッカーで見守ってるって言ったくせにいないじゃんか』


 頬が緩む。『キョウケンじゃなくて貢献ね』とイジってやろうと打ち込んだ。だが、すぐに打ち直す。


『勝ってくれると信じてました。さすが我らのるなさんですね』


 カーナビに、人気ジェラート店の住所を打ち込む。ヒットの数だけ買ってやろうと思っていたが、特大ボックスで笑顔を釣ろう。

 恐怖を乗り越えて戦いに勝った愛しい人の喜ぶ顔を想像し、真鈴は口元を緩ませながらエンジンをかけた。





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