72☆手に入れたいんですけど
アクアドームが眼下に見下ろせる高層マンションの一室。間接照明の微かな光だけが浮かび上がるリビングで、荒崎イズミはソファに深く身を沈めていた。
膝の上には、タブレット端末。画面に映し出されているのは、夕海るなの打撃フォームの動画だ。スロー再生され、フレーム単位で分割されるるなの動きを、イズミは食い入るように、舐めるような視線で追い続ける。
「……可愛い顔して、ほんと生意気」
画面の中のるながコンパクトにバットを振り抜き、到達した一塁ベース上で満足そうに笑う。その笑顔を見るだけで、イズミの胸の奥でドロリとした熱いものが渦を巻く。
愛おしさと、激しい憎悪。壊してしまいたいという衝動と、誰よりも近くで自分だけを見つめさせていたいという欲求が鎌首をもたげる。
あの夜の怯えた表情を思い出す度、下腹部が熱くなってしまう。自分はこんなにもあの子を求めているというのに……。
高校時代から、自分はるなの眼中にはないことなど気付いていた。それでも、どれだけプロで実績を重ねようと、上のステージへ登り詰めようと、脳裏には常に夕海るながいた。一度も勝てないままマウンドを降り、打者に転向したるな……。
だが、打者になったからといって、その存在感が薄れるどころか、執着はさらに歪んだ形で肥大化していった……。
「るな……」
イズミは、ワンピースタイプのルームウェアの裾をたくし上げた。自分以外に誰もいない部屋で独り、太腿の間に指を滑らせる。
真鈴の部屋で、るなの唇を強引に奪ったあの夜の表情は今でも鮮明に思い出せる。恐怖に目を見開き、身を縮こまらせていたるな……。あの愛くるしい顔が絶望と恐怖で歪んだ瞬間、やっと手に入れたと確信が持てた。
「なのに……!」
るなの動画が、打席シーンから守備シーンに移り変わった。小動物のように身軽に打球に追いつき、軽快に投じる姿……。
その隅に、マウンドから拍手を送る神月真鈴の横顔が映った……。
「ウザいんだよっ!」
とろりと濡れた指で、タブレットの×印をタップする。るなの愛らしい笑顔のアイコンのタイトル画面に戻った。イズミは荒くため息を吐き、タブレットを雑に座面に放った。
神月真鈴……。
あいつは何でも持っていく。自分がまだ届かない『エース』という称号も。チームからやっといなくなったと思ったら、今度はるなの隣にいやがった……。
「くそっ!」
あいつは言った。あの夜。るなの唇を奪ったあの夜……。
『憎たらしいほど好きな気持ちは分かる。でも、嫌われたら終わりだから、こっちは指咥えて待つしかないんだよ。そばにいたいなら、ね』
『それでも真鈴は……お前はそばにいるじゃないか! 私のるなの隣に! お前じゃない! るなをずっと追い続けていたのは私だ! 隣にいていいのはお前じゃない! お前なんか、手を出せないただの偽善者のくせにーっ!』
……あの時、あいつは悲しそうな顔をした。私のことを哀れんでいるようにも見えたし、同じ穴のムジナだから心に刺さったようにも見えた。
どうせ今まで手に入らないものなどなかったやつだ。いい人ぶってるなにまだ手つかずでいるんだろうが、そのうち本性が自我を抑えきれずに毒牙にかけるだろう。
ルームウェアの裾を戻し、イズミはワインを一口含む。ワインの渋味が、高ぶった気持ちを落ち着かせてくれる。
「るな……。私はただ、私だけを見ててほしいだけなの……」
再びタブレットを手に取り、今度は高校時代の動画コレクションを再生させる。手品のように右へ左へ自由自在に操る投球。軽快なグラブ裁き。そして正確なバットコントロール……。
「打たせない……。約束は果たしてもらうわよ?」
対談の後に植え付けてやった『呪い』は、確実に効いているはずだ。
第1打席。るなが打席に入った瞬間、自分はどんな顔をして見つめてやろうか……。
初球はストレート。胸元ギリギリのインコース高め。身を翻し、恐怖で目を丸くして尻餅をつくるなの姿が、克明に脳内に浮かび上がる。尻餅をついたまま、震える瞳でマウンド上の自分を見上げるるな……。
「そう……。そのまま、私だけを見ていればいい」
空振り三振よりも、見逃し三振がいい。奪われたるなは、悔しさで唇を噛み締め膝を折る? それとも、恐怖に呑まれてバットを振ることすらできず、呆然と立ち尽くす?
どんな顔をされても、愛おしくてたまらない。何万人もの観客に見られるより、るな1人に見つめられたい……。
「あぁ、早く会いたい……」
イズミはタブレットの画面に触れ、ウイニングボールを片手に笑うるなの頬をそっと撫でた。画面越しでは冷たいこの肌も、本物は柔らかく温かいと知っている……。
必ず勝って、るなを手に入れる。椅子に縛り付けてよがらせようか。それとも、顔に跨がって、私の……。
「それと、ナイト気取りの邪魔者を黙らせないとね……」
暗闇の中で怪しく笑みを浮かべる。明後日のマウンドでの久しぶりの戦い。その後に待つ『続き』の甘い妄想に酔いしれながら、イズミはワインを飲み干した。




