70☆動けないんですけど
「じゃあ始めましょうか。お2人とも、肩の力を抜いて自然な感じでお願いしますね。途中、写真も何枚か撮らせていただきます」
「……よろしくお願いします」
るなは意識して低い声を出し、背筋を伸ばした。向かいのイズミは余裕の表情で「お願いいたします」と軽く会釈した。
「では、質問からいきますね。夕海選手と荒崎選手は高校時代、何度も投げ合った投手でしたが、明後日に控える交流戦では投手と打者ですよね? 対戦に向けての今の率直な気持ちをお願いします。まず、荒崎選手から」
「はい。……投げ合えないのは正直ショックです。私が一度も勝てないまま、夕海さんはマウンドを降りちゃったので。永遠のライバルでいてほしかったのに、投手と打者じゃ……」
いかにも残念そうに、しおらしい声を出すイズミ。るなはすかさず反撃にかかる。
「投げ合いじゃなくても高校の頃から荒崎さんの球は得意だったんで。私は打つの、楽しみにしてますよ?」
「……あら、夕海さん? 私のインコース、結構避けてなかった?」
「そりゃそうでしょ。あんな故意死球。避けなかったら野球出来なくなっちゃうし。でも、避けたから『死球』は『四球』だったじゃない。それ以外は打率4割だったかな、5割? ……あ、記者さん、『しきゅう』のとこはカッコで漢字変換お願いしますね。あと、荒崎さんとの成績も、正確な数字を調べて載せておいてください」
るながすました顔を向けると、リカコは「あ、そ、そうね」とタブレットの指を滑らせ始めた。
人間、本当のことを指摘されるのが一番頭にくる。イズミの歯軋りが今にも聞こえてきそうだ。だって事実だから仕方ない。
「夕海選手はセシアナに来てもうすぐ3カ月ですよね。もうこちらの生活には慣れました? 英語は苦手という噂もありますが、仲の良い選手はいますか? 吉永リホ選手は1つ年下ですが、大学時代投げ合った顔見知りでもありますよね。他には日本語でコミュニケーション取ってる選手はいますか?」
そう尋ねてくるリカコの瞳は、るなの奥の真鈴を聞き出したい、というのが見て取れる。
るなはわざと真鈴の話題は避け、リホとサエの話に持っていくことにした。
「そうですね……。吉永さんはみなさんご存じのようにポーカーフェイスでおとなしい子ですけど、話しかければ喋ってくれるし、言葉数は少なくても気の利く優しい子なのでかわいいです。佐伯さんはキャッチャーだけに色々情報教えてくれますし、面倒見いいからよくかわいがってもらってます」
るなが眈々とインタビューに答える間、イズミは一時もるなから目を放さずジッと見つめ続けていた。
リカコは、今度はそんなイズミに話を振る。
「夕海選手が所属しているドルフィンズには、荒崎選手の元チームメイトの神月真鈴選手が移籍しましたが、次期エース候補として何か変化はありますか?」
イズミは鋭い目つきでギロリとリカコを睨んだ。
「エース候補? 真鈴がいなくなった今、私がエースですけど」
今にも牙をむいて本性を表しそうなイズミに、リカコは一瞬たじろいだ。
だが、メディアの中でイズミは、あくまで『次期候補』でしかない。アクアマリンには他にも凄腕のピッチャーが揃っているからだ。タブレットを滑るリカコの指が、編集の躊躇いを表している。
「真鈴がいなくなっても、私のやることは何も変わりません。アウトを取って試合に勝つ、ただそれだけです。変わったことと言えば……お客さんの入りぐらいですかね? 明らかに空席が目立つようになりましたから」
文面では『(苦笑)』と語尾に付け足されるところなのだろうが、イズミの顔は苦笑いしても、ほくそ笑みにしか見えない……。童顔のるなと高圧的な目つきのイズミ、そういえば容姿から対比されてたっけな……と、るなは一度紅茶で口を潤す。
「夕海選手はどうですか? 神月真鈴選手とは仲がいいという噂ですが、プライベートではどんなことをお話するんですか? 先日の水島モエカ選手との不仲説については……」
記者の目をらんらんと光らすリカコが言い終わらないうちに「すみません」とトウコが割って入った。
「るなと荒崎さんの対談ですよね? うちの選手や他球団選手について、関係ないことはお伝えできません」
キッパリいい放つトウコ。心の中で拍手を贈りたいくらいだったが、これをきっかけに日本のメディアに発信してもらうのもいいか……と、るなは口を開いた。
「そうそう、水島さんって神月さんの『元カノ』って噂されてるらしいんですけど、セシアナ語で『モトカノ』って『キャッチャーミット』だって知ってました? 私は教えてもらった時、思わず笑っちゃいましたよ。あはは。ちなみに水島さんと、仲悪くなんかないですよ? おとといの接触事故でだいぶ誤解されちゃってるみたいですけど、ゲームも一緒にやる仲です」
……恰も以前から仲が良いと聞こえるだろうが、事実ゲームはプレイしたので嘘ではない。
奥でトウコがふぅっと息を吐きながら座り直した。余計なことは喋るな、というところなのだろうが、ドルフィンズの看板である真鈴の余計な噂が消せるのだから怒られはしないだろう。
「あ、あぁ……それは日本語だと紛らわしいですよね。日本のファンの中でも知らない人はたくさんいると思うので、余談として書き加えておきます」
メモを取るリカコに、今度はイズミが突っかかる。
「あちらのマネージャーさんがおっしゃるように、今日は私と夕海さんのお話でしょう? 高校時代はそれとして、私はもうこっちで7年もプレイしてるんです。夕海さんが日本の大学野球でちやほやされていた間も、プロで埋もれてた間もね。記者さんなら、明後日はどっちが勝つと思います?」
「そうですね……その辺のお話しを、お2人にお伺いしたいんですけど……」
リカコとイズミの視線が、同時にるなに集まる。るなにしか見えていないのをいいことに、トウコが『言ってやりなさい!』と、拳を作った。
「……確かに、強いピッチャーの多いアクアマリンで1軍にいるのは並大抵の努力じゃ掴めないことですよね。プロ入り7年と3年、しかも3ヶ月前まではピッチャーって聞くと、それだけで荒崎さんが勝つと予想する人は多いでしょう」
るなは「でも」と付け足す。
「なんでだろう? ぜーんっぜん、負ける気がしないんです。過去の対戦実績とかじゃなく」
にっこり笑ってみせるるな。イズミの顔が引きつった。
挑戦的な煽りではなく、『ライバルとは思っていない』という高校からのスタンスを貫く姿勢だ。
イズミが歪んだ執着を寄せていたと知ったあの日から、絶対に悔しい顔など見せるもんかと腹に決めていた。それがイズミの一番欲しいものだからだ。
スポーツにおいて、絶対はない。根拠はプライドから来る自信だけだ。この大口で3打席凡退なら大笑いされる。そのリスクを背負ってでも、イズミには負けないというのを有言実行する必要がある。
目が合ったトウコが親指を立てた。るなもテーブルの下から、ピースサインを向けた。
「私も打ち取れる自信があります! いくら高校時代に打たれてたといっても、そんなの昔の話ですから。プロで磨いてきた私の球をヒットに出来ず悔しがる顔を楽しみにしていますよ」
憎悪の籠もったイズミの表情を見て、トウコがカメラを構えた。会見中涙を流すと途端にシャッターが増える時のような、記者の場景反射なのだろう。
「すごくいいライバル関係ですねぇ。熱い戦いが楽しみです。具体的に配球とか、もちろん言える範囲で教えてください」
今までの何を聞いて『いいライバル関係』と言い切るのか……。メディアは読者が食いつきたくなるような見出しのおもしろい記事を書かなくてはならないのだろうが、るなにとってはおもしろいことなど何一つない。あくまでリカコは『ライバル』という単語に拘りたいらしい。
その後は、お互い一歩も引かない牽制とマウントの応酬が続いた。意地とプライドのぶつかり合い。気付けば予定を20分もオーバーしていた。
笑顔なのは記事の書き甲斐があるリカコと、強気で応戦するるなを自慢げに見つめるトウコ。
「お二人とも、ありがとうございました! 最後に1枚だけ、握手のショットを撮らせていただけますか?」
ほくほく顔のリカコがカメラを構える。瞬間、イズミの口角がニヤリと歪んだ。るなはぞっと鳥肌が立つのを感じ、「無理です」ときっぱり断った。
「な……っ! ちょっと、あなた何様のつもりぃ?」
「えー? だって私の手、マメだらけで恥ずかしいんだもーん」
るなは笑顔でひらひらと手を振ってみせた。確かに、そこには努力の証がたくさん点在している。少なくとも記事に『荒崎の手を触りたくないので』とは書かれないだろう。
苦虫をつぶしたような形相のイズミが手を引っ込めた。リカコも舌打ちしそうな表情でカメラを下げた。「では、私は先に失礼しますね」とるなは立ち上がる。
「……るな」
トウコと共に退出しようとしたるなを、イズミのドスの効いた声が呼び止めた。構わず扉へ向かおうとしたが、イズミは続ける。
「私が勝ったら、この前の続きしましょうね?」
……それは、呪いの言葉のように、るなの心臓を凍りつかせた。
唇を奪われたあの夜と同じ笑顔を浮かべるイズミに身の毛がよだち、るなの足は動かなくなってしまった。
恐怖で青ざめるるなを満足げに眺め、「じゃあ私も失礼します」と追い越して行くイズミ。リカコが「続き?」と振り返った。
あれだけ強気で応戦していたるなの急激な変化に、トウコは眉を蹙める。リカコに「では、記事が出来上がったらメールでお願いします」と告げ、るなの肩を抱いて強引に部屋を出た。
るなは足の震えが止まらなかった。異変を察したトウコにどうしたのかと何度も聞かれたが、首を振るのが精一杯だった。




