67☆誘ったんですけど
前日の真鈴の檄が効いたのか、ホワイトパンサーズ第2戦は両チームの打ち合いとなった。
先発のリホは6失点。しかし、こちらも負けじと7点を稼いでいたので7回まで続投。調子が整わなかったにも関わらず、112球を投げる健闘をした。
投高打低のドルフィンズが7点を挙げるのは、実に128試合ぶりだという。パワーヒッターの多いホワイトパンサーズに打ち勝ったということで、監督はほくほく顔でインタビューを受けていた。
「……昨日打ってくださいよ、昨日!」
真鈴はホワイトドームのチープなトレーニングルームのモニターに向かって愚痴を吐いている。座面の皮が剥がれ、スポンジ部分がむき出しになっているマシンの上で、るなは苦笑いしながら真鈴を宥めた。
「まぁまぁ。きっと来週の登板は、もっと気合い入れてやってくれるって! ベンチ入りたちが戻ってきたら、今日はちゃんと称えてあげてよ?」
「0点に抑えたあたしは勝ち星つかなくて、6失点のリホには勝ち星つくんですもんねー。野球は不条理なスポーツですよ!」
「その不条理な野球が好きだから続けてるんでしょーが。勝ち星欲しいなら、アクアマリン戻る?」
「……戻りませんよ」
すねて唇を尖らせる真鈴。痛いところを突かれ、ぐうの音も出ないようだった。
るなと真鈴はベンチ外のため、今日はトレーニングを軽くしながらモニターで試合観戦していた。
るなはトレーニングルームの扉を開けた瞬間、思わず驚愕の声を漏らしてしまった。さすがはセシアナ最古のドーム球場。ドルフィンズの本拠地であるオーシャンドームとは大違いで、トレーニングマシンも街中のジム程度しか揃っていなかった。
モニターには、監督に続いてリホのインタビューが映っていた。試合中と同じ無表情で答えているので、英語がさっぱりのるなには、リホが嬉しいのか悔しいのかも判別できない。チェストプレスにどかっと座った真鈴が不満そうに「贅沢ですねぇ」と呟いた。
「リホ、なんて?」
「『今日の内容は勝ち星に匹敵しません。次回は相応しいピッチングで頑張ります』ですって。いいじゃないですか。星1つ稼げたんだから」
「もー……気持ちは分かるけど、リホに当たるのは違うでしょ?」
「当たってませんよ。るなさんは楽しいですか? あたしがどんなに好投を続けても、相手ピッチャーから1点も取れないチームで。あたしはドベ争いをしたいんじゃない。首位争いをしたいんです」
真鈴は勢いよくマシンのハンドルを押し出した。タンクトップから惜しみなくさらけ出している両肩と上腕がしなやかに盛り上がる。
モニターは本日のハイライト映像に切り替わった。るなの代わりにショートに入ったサラも、サラの代わりに久しぶりにスタメン出場したナルミも、穴ぼこだらけの芝に苦戦しながらも打撃で結果を残している。
ケガ離脱のるなだって、この2人の活躍を見れば黙って座ってはいられない。チームメイトでもあり、熾烈な内野手争いのライバルでもあるのだ。スタメンは確約されたものではない。
「だからさぁ、そんなの誰だってそうよ。みんなだって勝ちたくて1試合1試合必死で戦ってる。あなたはバッターが手抜いてるとでも思ってるの?」
「そうは言ってませんよ……」
「昨日はあっちだって真鈴のボール打とうと必死だったでしょ? でも打てなかった。それと同じ。ピッチャーがバッターを上回ってる、それだけのことでしょ?」
軽々とチェストプレスを押し引きしていた真鈴が、「はぁ……」と手を止めた。
「……そりゃ、真鈴には申し訳ないって思ってるよ? 私なんて、ヒットも打てないくせにエラーしちゃったし……。みんなだって同じだと思う」
「……違います。ドルフィンズは負け慣れてる……。あたしが加入してから球団防御率はぐっと下がったけど、打率はそのまま。打たなきゃ勝てないんですよ、野球は……。なのに、サヨナラ負けしたっていつもの負けと同じ顔してました。開き直れる精神があたしには分からない……」
真鈴は静かに俯いた。
強い学校、強いチームでしか戦ったことのない真鈴には、ドルフィンズの抱えている投高打低の課題がストレスなのだろう。それも察するが、野球は1人ではできない……。
しばらく、お互いに黙々とマシンに没頭した。廊下からチームメイトたちの話し声と足音が聞こえてきた。今日も壊れかけのシャワーを諦め、ホテルへ直帰するのだろうか。話し声はトレーニングルームを通過していった。
「あたしも戻ります。るなさんは?」
先に真鈴が立ち上がった。汗で貼り付いた前髪をかき上げ、首から下げたタオルで額の汗を拭う。
「……じゃあ、私も上がろうかな。バス、出ちゃうもんね」
タオル地のシュシュでまとめていたおかっぱを解き、るなも立ち上がる。モニターの電源を消したところで、トレーニングルームの扉の軋む音がした。
「……お疲れ様です」
入って来たのはリホだった。汗だくのままにも関わらず、タオルと水を手にすたすたとマシンコーナーへ向かう。112球を投げてきたばかりなのに、もう筋トレを開始するらしい。とんだストイックレディだ。
「リホ、お疲れ! ナイピー!」
「……ナイピじゃないですけど……ありがとうございます」
心なしか、声のトーンが下がったような気がした。確かに、勝ったとはいえ6失点した先発に『ナイスピッチング』は嫌味に聞こえたかもしれない……。
真鈴が『あーらら』といわんばかりの表情で、るなを冷ややかに見下ろす。るなは慌てて「先行ってて!」と真鈴の背を押した。
真鈴を強引に退出させた室内には、リホの操るアダクターの軋む音だけが響く。細身に見えるリホだが、閉脚するたびに引き締まった内転筋が、その体幹を充分支えていることを知らせる。
ガコンガコンと今にも壊れそうな音を立てるアダクターに近寄り、るなはリホに例の誘いを打ち明けた。
「あのさ、来週の登板の前日、スイーツ食べ行かない?」
「……スイーツ、ですか?」
開閉する美脚を止めることなく、リホはるなを見上げる。るなはうんうんと頷き、巨大なセシアンキウイの画像を見せた。
「実はね、もう予約したの。なかなか予約取れないらしいし、ミネルバドームからそう遠くないみたいだし。次回登板のガソリンになれば、と思って」
リホはレモン型の大きなお目々で、黙って画像を見つめた。そして、るなに視線を戻す。
「申し訳ないですが、負けた時は甘い物食べないことにしてるんです。せっかく予約までしてくださったのにすみません」
「えぇー! ガソリン、大事でしょー? てか、負けてないじゃん」
「いいえ、今日は『負け』です。たまたまみなさんが打ってくださったから、負け星がつかなかっただけですので」
それだけ言うと、リホはまた自分の両脚に目線を戻した。喜んでくれると思ったのに……と、るなはがっくり肩を落としながらスマホの画面をロックする。
真鈴が加入するまで『次期エース』と呼ばれていたリホにとって、7回6失点は大きな汚点なのだろう。カリスマに横入りされて3番手ピッチャーに繰り下がってしまった悔しさも後押ししているのかもしれない。そのストイックさも、プライドが原動力なはずだ。
「ごめん……。リホのこと何も知らないくせに、勝手なことしちゃったね。キャンセルしとくから、気にしないで?」
「……いえ、お気遣いありがとうございます」
眈々と筋トレを続けるリホに「じゃあ、お先に」と背を向ける。
だが、どうしても喉の奥につかえた言葉を伝えたくて、足を止めた。そしてゆっくりと振り返り、まだ黙々とマシンを動かしているリホの横顔に声をかけた。
「……ねぇ、リホ。リホが自分に厳しいのは知ってるし、今日のピッチングに納得いってないのも分かった。でもさ……『たまたま打ってくれたから』なんて言わないでよ」
ガコン、とマシンの音が止まった。リホが動きを止め、驚いたようにるなを見上げる。
「今日の7点はね、昨日真鈴の激昂した姿を見て、バッターボックスに立ったみんなが気合いで稼いできた点数なんだよ。6点取られても、ベンチは誰も諦めてなかった。リホを勝たせたくて、必死でバット振ったんだよ。それを『たまたま』の一言で片付けられたら、打ったみんなが報われないじゃん」
リホは唇を噛み締め、何も言わずにるなを見つめ返した。そのレモン型の瞳が、ほんの少しだけ揺れている。
るなのほうが1つ年上だが、精神的にはリホのほうがずっと大人だ。それでも、元ピッチャーのるなには『押さえる側』と『打ち崩す側』の気持ちが分かるつもりだ。
「真鈴は『投手が抑えてるのに打てない』って怒る。リホは『打ってもらったのに抑えられなかった』って自分を責める。……ほんと、うちのピッチャー陣は不器用で頑固ばっか」
るなは苦笑いを浮かべると、ポケットからスマホを取り出し、画面をタップしてリホに見せた。
「キャンセルの手続き、明日の朝まで待つね。もし『7点も取ってくれたのにたまたまなんて言ってごめんなさい反省会』として甘いもの食べる気になったら、いつでも連絡して」
リホは瞳を揺らしたまま、ゆっくりと瞬きをした。それだけ言い残すと、るなは今度こそ扉を開け、ひんやりとした廊下へと踏み出す。背後のマシンの音は止まったままだった。




