65☆唯一無二なんですけど
テレビ画面が暗転し、ゲームの喧噪が去った後の部屋には、ベッドの上で丸くなって眠るモエカの規則正しい寝息だけが残された。
気合いを入れて乗り込んだものの、フタを開けてみれば肩すかしもいいところ……。どっと疲れが押し寄せてきたるなが首を傾けると、ぽきっと乾いた音が鳴った。
「もう帰っちゃうんですか? せっかく2人きりになれたのに」
くるりと振り返った真鈴が、寂しげに眉を垂らした。るなが立ち上がったばかりのソファに腰かけ、るなも座れと座面をポンポン叩く。
「……帰るよ。モエカと2人きりでどうぞ?」
「やだなぁ。るなさんてば、まだやらしい妄想してるんですか?」
扉へ向かおうとしていたるなの足がぴたりと止まる。背後でくすくす笑う真鈴。「してないよ!」と語気を強めたが、顔はみるみる熱くなっていくのが分かる。
「そうですか? 誤解してないんなら、ちょっとだけ話聞いてくださいよ」
「話し?」
首だけ振り返る。目が合うと、真鈴はうんうんと頷いた。
「……ちょっとだけだからね? 明日、試合出ないっていっても、あなたと違ってオフってわけじゃないから」
「出ない? 今日のエラーで懲罰欠場ってわけじゃないですよね?」
「んなわけないでしょ? ……これ」
るなはTシャツの裾をぺらりとめくり、腰の湿布を見せた。大事を取っての欠場だが、真鈴はそこまで深刻だとは思っていなかったようだ。息を飲んだのが分かる。
「ごめんなさい……。そんなに重症だったなんて……」
「真鈴が謝ることじゃないでしょ? 本人にはさっき謝ってもらったし、トレーナーは念のためってことだから」
「でも……。あたしからもよぉーく言いきかせておきますから。『もうるなさんに抱きつくのは禁止!』って」
そもそもが当たり前だ、とツッコみたかったが、真鈴こそ深刻そうな顔をするので「もういいって」と隣に座った。
「……ゲーム、圧勝でしたね。さすがです」
「馬鹿兄貴が容赦なかったからね。配球はゲームを通して教えてもらったとこも正直あるけど」
「家の中でも英才教育ですかぁ。お兄さんには頭上がらないですね」
「……ぜーんぜん」
ボー読みで返すと、真鈴はまたくすくす笑った。意地悪兄貴の顔を思い出す。どうせるにゃキャット扇子が届いたら、またニヤニヤした画像を送ってくるに違いない。『かわいい妹の』なんて言うけれど、かわいがり方をもうちょっと言動と比例させてほしいものだ……。
るなは話の流れに任せ、勢いでツッコんでみる。
「真鈴はその……元カノってゆーか、歳の離れた妹みたいに接するよね。モエカに。なんで別れたか知らないけどさ、今だって仲いいみたいだし、ネコっかわいがりしてるじゃない?」
「元カノ……ねぇ……」
真鈴の声のトーンが、スッと下がった。甘く低い声が、言葉を反芻しているように聞こえる。
「……なに?」
意味深に黙っているので、つい聞き返してしまった。もしかして、地雷を踏んでしまっただろうか? 天下の神月真鈴ともあろう王子が、天真爛漫天然姫のモエカにフラれたなんてことは……。
「さっきの電話の続き……なんですけど」
るなの心臓がドクンと大きく跳ね上がった。恥ずかしい勘違いを蒸し返さないでー! と手に汗握る。
「『元カノ連れ込んでいちゃいちゃしてる』とか『エッチなことしたいなら好きな子とすれば』とか……すごく情熱的なお叱りを受けましたけど……」
来たーっ! と、目を泳がするな。
「あ、あれは……私が勝手に勘違いして暴走しただけで! 忘れて! 本当に忘れて!」
「いーえ、忘れませんよ? ……でも、世間やチームでもよく言われてるんですよね。『神月真鈴と水島モエカは元カノ関係だったのか』ってね。るなさんも、誰かにそう聞いたんでしょう? おそらく……サエさんあたりに」
「ん、んまぁ……そうだけど……」
るなはこくんと素直に白状する。真鈴は「まぁ、そうでしょうね」と笑った。そして、ベッドで無防備に口を開けて寝ているモエカを一瞥し、ゆっくりと口を開いた。
「高校時代、あたしたちがバッテリーを組んでたのも聞いてますよね?」
「うん。真鈴専門のって聞いた」
「そう。逆に言えば、誰もあたしとバッテリーなんて組みたがらなかったんです」
意外な言葉に、るなは思わず真鈴の顔を見た。今でこそカリスマともてはやされているが、高校時代からすでにずば抜けた完璧な才能で、プロ顔負けだったのではなかったか。
そんなスーパー高校生と誰も組みたがらないなんて……。
「1年生の頃、あたしの球はただ速いだけの荒削りだったんです。空振りもゴロも取れるけど、フォアボールも多かった。ワイルドピッチもね」
言われてみれば、想像に難くない。ヒカルとの一件で一度は野球から離れているし、当時の真鈴はやさぐれたピッチングモンスターだっただろう。
そんな力任せの剛球を、同じ高校生が畏れずに取れるわけがない……。
「そんな時に、1人だけにこにこしながら『モエカが捕ってあげるー!』って手を挙げたのが、この子でした……」
真鈴が愛おしそうに目を細める。るなもベッドに視線を向けた。寝顔は更にあどけない少女のようだ。
「でも、大丈夫だったの? 球速だけでも、高校生が簡単に捕れるスピードじゃなかったでしょ?」
「そう。大丈夫なんかじゃなかったですよ。あたしがどれだけ荒れ球を投げても、猛獣なみの動体視力と本能だけで捕球してました。捕り損ねてアザができても、手首が腫れ上がっても、突き指しても、一度も逃げなかった。『湿布貼ってるから大丈夫ー』って、次の日にはまたにこにこ笑いながらミットを構えてくれたんです」
だから、投げ続けることができた。そう言いたいのだろう……。
やはり、真鈴にとってモエカは唯一無二の存在なのだ。元ピッチャーのるなも、キャッチャーとの相性や有り難みはよく分かる。それだけ深い絆があったんだ……と、胸の奥がちくっと痛んだ。




