63☆小学生ぶりなんですけど
ホテルの重いドアをそっと閉め、るなは静まり返った廊下に踏み出した。
薄暗い絨毯の上に、自分のスリッパの音がぱたぱた響く。真鈴の部屋は2フロア上。エレベーターを降り、ずんずん進んで行く。
部屋を出る直前のドレッサーの鏡に映った自分の顔は、おもしろいほどに真っ赤だった。熟しきったセシアンキウイどころの話ではない。それはピンク色の勘違いをした羞恥心からか、久々にプレイするガルプロの闘争心からか。
……いや、9割は前者だ。電話越しとはいえ、あの勢いで『元カノ連れ込んでいちゃいちゃして』だの『好きな子と好きなことすれば』だのと捲し立ててしまったのだ。
しかもその原因が、ただのゲームとこぼしたジュースだったとは……。
思い出すたびに悶絶しそうになる恥ずかしさを押し殺しながら、るなは真鈴の部屋の前にたどり着いた。 一度深呼吸をし、意を決してドアベルを押す。ガチャリと鍵が外れる音がした。ゆっくりとドアが開く。
「いらっしゃい、るなさん」
にこにこと上機嫌な真鈴が顔を出した。サラッとしたTシャツにハーフパンツのリラックススタイルだ。先程の勘違い事件など何もなかったかのように振る舞いたいるなは「お邪魔しまーす」とできる限りの平然を装う。真鈴の部屋は、るなの部屋と間取りこそ同じだったが、ほんのりとホワイトティーのような甘い香りが漂っていた。
「わぁっ、るにゃキャットほんとに来たー!」
入室したるなの顔を見るなり、ソファの背もたれをひょいっと軽く飛び越えたモエカ。ウリボーのごとく突進してくるので、さすがの三度目はひらりと真鈴の後ろへ隠れ逃れた。
「モエカ? 部屋の中では走らないのってさっきも言ったでしょ?」
「だってぇ」
真鈴はじぃっとモエカを覗き込む。初見の際の、しつけるご主人と飼い犬のような構図だ。モエカを連れベッドに腰かけ、るなには「ソファへどうぞ」と促した。
真鈴の隣で頬を膨らませ、三角座りをするモエカ。明らかにサイズのあっていないスウェットの裾には、見たことのある『marin.k』のロゴ。真鈴がプロデュースし、アクアマリン時代に爆発的に売れたアパレルアイテムのひとつだ。
だが、上半身はスポーティーながらもラブリーなフリル付きTシャツに包まれており、どう見ても上下ミスマッチなコーディネートになっている。おそらく、スウェットだけ真鈴のものを借りたのだろう。
ならば、そのスウェットの下も……。
「るにゃキャット、強いの?」
真鈴によって、るなと物理的な距離を作られたモエカが、まだふてくされ気味の表情で問いかけてきた。るなは下着の妄想を振り払うつもりでぶんぶん首を振りながら「つ、強いよ!」とちぐはぐな答えを口にする。
「ほんとにーぃ? んじゃあ、ハンデでるにゃキャットに先攻後攻選ばしてあげんね。多分モエカのほうが強いから」
「ま、まぁどっちでもいいけど……」
新作を買うほどには好きなのだろうから、そこそこはやりこんでいるのだろう。テレビ画面には『実況! ガールズプロ野球』の鮮やかなグラフィックが映し出されていた。毎年改良が重ねられている人気シリーズだけあって、選手のフォームや能力値データの再現度は業界随一だ。
モエカが「はい」と、小さなバット型をしたコントローラーをひとつよこしてきた。るながやりこんでいたのは、せいぜい小学6年生までだ。兄はとっくにゲームをする暇がなくなっていたし、友人もリアル野球に没頭するか、野球自体を辞めてしまうかで、プレイする相手がいなくなったからだ。
自分が持っていたコントローラーとは全く異なるので、まずはボタンと使い方からモエカに教わる。負けず嫌いのるなはふむふむと頭に叩き込んでいき、「おっけー!」と言って、いざ選手選抜。
「じゃあ、私は後攻で。先発はリホで行こうかなー」
るなが投手選択画面『ドルフィンズ』から、リホにカーソルを当てると、リホそっくりなピッチングフォームで動き出した。鮮明なグラフィックが、彼女のしなやかなスタイルと美貌を見事に描いている。
「ふふーん、モエカはもちろん真鈴ちゃんに投げさせちゃうもんねー! んでー、4番はもちろんモエカー。久しぶりのバッテリーだぁ」
モエカが選択画面をピコピコと操作する。捕手選択画面で『ホワイトパンサーズ』の中をスクロールするが、モエカの背番号『97』も名前も見当たらない。
「あっれーぇ? なんでないのー?」
モエカが必死で自分の名を探している間、るなは気まずいなぁ……と思いながら選択を進めていく。ホワイトパンサーズに所属してからはずっとファーストしかやっていないと聞いている。キャッチャーの中を探しても見つかるわけがない。
「モエカは内野手登録でしょ? 野手は選べないんじゃないの?」
モエカの隣で鉄アレイを漕ぎ出した真鈴がツッコミを入れた。「えーっ!」と絶叫するモエカ。ベッドとソファは2メートルほど離れているとはいえど、あまりの大声に鼓膜が震える。るなは反射的に左肩が跳ねた。
「ぶぅー……しょうがないなぁ……。じゃあー」
ぶつぶつ戦略を口にしながら、モエカはせっせと選手を選んでいく。るなが捕手選択でフォレストビーナスのヒカルをクリックすると、真鈴が「お?」と眉を上げた。
「実際に配球決めるのはこっちだから、キャッチャーは打撃成績と盗塁阻止率で選ぶのが賢明よね」
るなは得意気に言う。ちなみにこれは兄の受け売りだ。久しぶりなのでかなり気合が入る。
幼い頃、意地悪で負けず嫌いな4つ上の兄と毎日のように対戦し、何度もボコボコにされ、それでも泣きながら挑んだるな。
おかげで配球の読み、コマンド入力の精度、盗塁のタイミング。どれをとってもそんじょそこらのプレイヤーには負ける気がしない。
るなは密かに拳を握りしめ、背筋を伸ばした。
「9回設定、モエカが先攻ね?」
「おっけー! かかってきなさい」
試合設定画面の完了ボタンを押すと画面が切り替わり、緑鮮やかなスタジアムの映像とともに、軽快な実況のアナウンスが響き渡った。
モエカの一番打者が打席に立つ。モエカはコントローラーを両手でガチガチに握りしめ、身を乗り出していた。
リホはコントロールが売りのピッチャーだ。るなは丁寧な配球を心がけ、真新しいコントローラーで『ストレート・内角低め』を入力。
『ストライーク!』
鮮やかなストレートがインローギリギリに決まる。モエカのバッターはぴくりとも動かなかった。
2球目。高めに外れるボール球を投げた。
「それっ!」
モエカのかけ声と共に、画面の中のバッターが豪快な空振りをかました。ボールがキャッチャーミットに収まる遥か前に、スイングが完了している……。
「あーんっ! 早いーっ!」
モエカが足をバタバタさせて悔しがった。リホはパワー型ではないので、さほど速球ではないのだが……。
気を取り直して3球目。今度は低めのチェンジアップ。落ちる球だ。
「えーい!」
モエカの気合いも虚しく、バットは空を切った。
「なんでーぇ? 今のは当たったでしょー!」
「いや、そもそも振るの早いし。全然ボールとバットの高さもずれてたから……」
るなは困惑しながら呟いた。 嫌な予感がした。真鈴は鳴り響く選手応援歌に合わせ、鉄アレイを上下させている。目が合った。「2人ともがんばれー」と茶化してくる。
続く2番打者。モエカは今度こそと言わんばかりに画面を睨みつけている。るなは試しに、ど真ん中にスローボールを投げてみた。小学生でも打てるような、ふんわりとした球だ。
『ストライーク!』
球審が手を上げた。いや、手を上げずとも、誰がどう見てもストライクなのだが。
そんなるなの誘い玉を、モエカは眉を蹙めたまま見送った。るなは思わずツッコむ。
「え、打たないの?」
「だって、早すぎて見えないもん!」
「え? スローボールだよ?」
2球目。再びど真ん中にストレート。
今度はボールがキャッチャーに届いてから振っていた。振り遅れもいいところだ……。
「あーもう! このピッチャー速すぎるー! ずるいずるい!」
「ずるくないよ、普通のストレートだってば……」
3球目、またもや高めのクソボール。モエカは全力でフルスイングし、あっけなく三振。
3人目の打者も、まったく同じような球種パターンで三振。 あっという間に三者凡退でチェンジとなった。るなは呆然とコントローラーを握りしめたまま、画面の『チェンジ』の文字を見つめた。
気合を入れて挑んだはずだった。兄との熾烈な心理戦を思い出し、どんな配球でモエカを崩すか、頭の中で何パターンもシミュレーションしていたのだ。
しかし、蓋を開けてみれば相手は、球種もコースも関係なく、球が来たら適当にボタンを押すという、レベルゼロの初心者だった……。




