61☆買わないでいいんですけど
先ほどのアイスの件は他言無用と固く誓い、リホとは部屋の前で別れた。
夜の静けさがゆっくりと深まっていく郊外のホテル。都会の喧騒からはほど遠いその静寂が、客室の重いドアの向こう側にしんと広がっている。
またも垣間見えたリホの意外な一面。愛らしくもストイックな葛藤に、リホへの親近感が増してくる。
バッテリーを組んでいるサエでさえ、無表情で無口なリホは何を考えているか分からないと言っていた。そんなリホの秘密を共有したるなは、ほくほくしながらスマホを開いていた。
次回登板の前夜、リホを誘ってスイーツを食べに行こうと閃いたのだ。予定では来週のレッドミネルバズ戦。日本人向けグルメサイトの口コミから、いくつか候補をチョイスした。
「おっ、ここいいかもー」
るなが目を輝かせたのは、セシアンキウイ専門店。レビューからは『日本ではあんなデカいキウイ見たことない!』や『さすがセシアナ。やることが南国すぎてエモい』だのとあふれんばかりの興奮が伝わってくる。
「ほんとにデカっ! これ、ほんとにキウイ?」
キウイボートという名の一番人気メニューは、マスクメロンほどのキウイを輪切りにし、くりぬかれた中央部分にキウイシャーベットや星形に模られたキウイなどが盛られている。下層にはキウイゼリーやカクテルフルーツも埋もれているらしく、『食後に食べるのはおすすめしません』『お腹いっぱいすぎる。ごちそうさまでした』といったレビューも目立つ。
「ただのスイーツより、フルーツのほうがリホも罪悪感少ないだろうし……。よっし、予約しちゃえ!」
食べたいと食べさせたいが半々なのはさておき、後輩を応援したい気持ちからくるお節介だ。るなはるんるんで予約フォームを開き、ぽちぽちと入力を進めていく。
「……真鈴も行きたいかな?」
人数選択画面で指が止まった。リホの登板前日ということは、真鈴の登板日だ。食事にはこだわりのある真鈴だが、登板後なら……。
「いや、言わない約束だから……」
るなは『2』を選択し、予約ボタンを押す。リホには明日、試合後にサプライズするつもりだ。
「これでよしっ」
予約完了の文字を確認し、スマホをベッドに放る。ホテル備え付けのルームウェアに着替えると、自然とあくびが出た。
今度は患部を撃たないよう、慎重に横になる。もう一度あくびをしたところで、メッセージアプリの通知音がぴろんと鳴った。
手を伸ばす。光ったままのディスプレイには、兄の名前が表示されていた。
『るにゃキャット扇子、オンラインショップで注文してやったぞ。せっかくグッズ販売するくらい人気でてきたとこなんだから、あんまツイックスのネタになるようなことはすんなよ? お兄ちゃんは信じてるけど』
煽るような、フォローしてくれているような兄のメッセージに、るなは深いため息をつく。
「どーだかね……」
短く『買わんでいい』とだけ返信。
……エゴサーチしないようにしていたが、モエカを突き飛ばした場面はやはりSNS『ツイックス』で拡散されているようだ……。恐る恐るアプリを開いてみると、るなが突き飛ばしたことに関して、ツイックスでは賛否両論が飛び交っていた。
『水島、試合中にどした? アホかな?』
『夕海るにゃちゃん、見かけによらず凶暴猫で笑う』
『水島、神月真鈴の元元カノなの? うざー。スッキリした。もっとやれ』
『急に抱きつかれてびっくりしただけだろうけど、あそこまで突き飛ばすのはかわいそう。夕海るな、人気でてきたから調子のってる説』
気にしない、気にしない……。るなは不快感に押しつぶされないよう、自分にしっかり言いきかせる。
その一連の話題では、るなとモエカについて以上に、真鈴の紳士的な行動への反響が溢れていた。るなは複雑な気持ちを抱えながらも、トレンド入りしている『ハッシュタグ神月王子』を少しだけスクロールしてみた。
『さすが神月真鈴! 投球以外もかっこよすぎて眼福』
『王子様はやはり王子様だった』
『水島羨ましすぎる! 私も転ぶから抱き起こしてください』
『立たせてから何か言ってなかった? 気になって夜しか眠れない』
『優しいなぁ。王子には短所ないのだろうか?』
などなど。画像や動画付きで切り取られたその場面は、さすがの神月真鈴様である。効果音などなくともキラキラ音が聞こえてきそうだ。
……だが、試合後の真鈴は……。
「あんなに怒るなんて……わっ!」
真鈴の激昂した横顔を思い出した途端、手の中のスマホにその人の名が記された。ツイックスの画面が、強制的に着信画面に変わる。
るなは着信の内容にドキドキしながら通話ボタンをタップした。
『るなさん? 寝てました?』
焦ったような早口だが、声のトーンは通常モードの真鈴だった。少し反響しているように聞こえる。どこからかけてきているのだろう? るなはのそのそと上半身を起こす。
「ううん。寝てないけど……なに?」
『寝てないならよかったです。寝る前に湿布を貼ってあげますって約束したじゃないですか。お尻に。今から触りに……じゃなくて、貼りに行ってもいいですか?』
……着信時の緊張感が一気に解けた。むしろ脱力する内容に、るなは呆れてスマホを握り直す
「お尻じゃないってば。大丈夫。自分で貼ったから。ご心配どーも」
『えー、なんで自分で貼っちゃうんですかぁ。せっかくるなさんのお尻……あ、いや、腰に貼ってさしあげようと……』
「私のお尻に触れなくて残念でしたー。こんな時間に何かと思ったら……用事はそれだけ?」
『人が心配してるのに冷たいなぁ……。あ、もしかして、さっきのこと怒ってます?』
さっきのこと、と言われ、サラに掴みかかった真鈴を再び思い出するな。
「あれは……別に私が怒ることじゃないけど……。でも、チームの雰囲気が悪くなったのはちょっと……」
逆鱗に触れないよう、慎重に言葉を選ぶと、真鈴は『あー、やっぱりヤキモチでしたかぁ』とけらけら笑い出した。
「は? ヤキモチ?」
『モエカを立たせたことがそんなに気に入りませんでした? るなさんてばかわいいなぁ。安心してください! 今のあたしはるなさんのものですから浮気はしませんって!』
るなは唖然としてしまった。真鈴の喜怒哀楽が激しいのは通常モードだが、こうもお気楽に勘違いされては拍子抜けもいいところだ。ロッカールームでるなとすれ違ったのに気付かなかったとしても、るながあの騒動を知らないとでも思っているのだろうか……。
『モエカなりに反省はしているみたいですんで、今回はあたしの顔に免じて許してあげてください。スタメン外されちゃったんだってー、って涙目で帰ってきましたよ』
「え? 帰ってきたって……」
にこにこと話し続ける真鈴に待ったを入れようとしたところで、スピーカーの向こうから『真鈴ちゃぁーん』という間延びした声がるなの耳に届いた。
『お電話まだぁ? 真鈴ちゃんのせいで下着濡れちゃったよぉ。ぶかぶかでもいいから、あとでパンツ貸してー。早く続きしようよぉ』
……漏れ聞こえてきたのは、紛うことなくモエカの声……。
ピンク色の妄想が、るなの脳裏を過ぎった。コンコンコン、と薄い扉を叩く音。受話口部分を覆っているのか、真鈴の『分かったからちょっと待って!』という焦った声がくぐもって聞こえてきた。




