57☆掴みかかったんですけど
練習時の睨み合いもあり、試合開始から両チームのベンチは殺気立っていた。
それに追い打ちをかけるように、お互い先発ピッチャーからノーヒットというもどかしさが、拍車をかけてベンチをぴりつかせている。
ここまで、真鈴は5つの三振と2つのゴロでアウトを取っている。ゴロはいずれもぼてぼてのピッチャーゴロだが。劣悪なグラウンド状態が内野手たちの肝を冷やす。
その心配の中、真鈴はゴロも冷静に裁いていた。27奪三振とはいかないが、外野手に仕事をさせない安定したピッチングを見せている。
3回の裏、ホワイトパンサーズの攻撃。1アウトで打順は8番のモエカに回ってきた。
「また何か言ってる……」
ネクストバッターズサークルからずっと、モエカはピッチャーである真鈴ではなく、ショートの守備位置についているるなに向いていた。視線を感じちらりと目をやると、モエカは嬉しそうに口をぱくぱくさせた。声援にかき消され、何を言っているのかまでは分からない。
「るにゃちゃーん! そっち、飛ばすねー。危ないからどいてねー」
バッターボックスに入ったモエカが、るなにバットを向けた。サエがマスク越しに「はぁ?」と眉を蹙めた。気付かぬモエカはにこにこ。対神月真鈴だというのに、緊張の欠片もないとはさすがだ。
るなはノーリアクションを決めていた。関わるなとナルミに念を押されただけでなく、打撲した腰部の痛みが増しているのでそれどころではなかったのだ。
せっかく掴んだスタメン。ケガ離脱などしたくなかった。受傷直後は冷却と湿布でなんとか治まったように感じていたが、打席で空振りした際から痛みが確実に悪化している。
同じくポーカーフェイスに決めている真鈴がセットポジションに入った。バットを構えたモエカの目つきも変わる。なんとか試合が終わるまではもってほしい……。るなは痛みを堪え、打球に備えて腰を落とした。
「ほんとに来たっ」
1球目を捉えたモエカの打球は真鈴の延ばしたグラブの先をかすめ、三遊間に転がって来た。グラブに当たったせいで勢いを失ったボールを捕球し、るなは急いでファーストに投じる。
「わっ!」
ボールが指先から離れる直前、るなは芝の合間に出来ていた凹凸に足を取られ、バランスを崩した。膝をつきながら放ったボールはファーストどころか、ファーストとセカンドの間を抜ける大暴投。
セカンドが慌ててボールを追う。それを見て、モエカは一塁を蹴り二塁へ。上体を立て直したるなは二塁のベースカバーに急いだが、セカンドからボールが返ってきた頃には、モエカは悠々セーフで二塁上にいた。
「やったーやったー! るにゃちゃんだーぁ!」
記録はショートのエラー。悔しさと不甲斐なさで奥歯を噛みしめるるなに、モエカは容赦なく抱きついてきた。
「やめてよ! 試合中でしょ!」
るなはイラ立ちから、乱暴にモエカを振りほどく。突き飛ばされた状態になったモエカは後退し、二塁ベースに引っかかって尻餅をついた。
場内がざわついた。セカンドが二塁に戻って来た。自分も守備位置に戻らなければ……。るなは捨て猫のように悲しげな瞳で見上げるモエカに背を向ける。
エラーを払拭しなければ。自分のミスで出してしまったランナーを、絶対にホームに帰すわけにはいかない。るなは掌に嫌な汗をかいていた。ズボンの脇でそっと拭った。
「モエカっ」
るなは真鈴の声に振り返った。真鈴はマウンドを降り、二塁ベース上でクマのぬいぐるみのようにぺたんと座り込んでいるモエカに駆け寄って行く。場内が一層ざわめいた。
真鈴がモエカの手を握り、ベース前に立ち上がらせた。観客から拍手が起きる。今にも嬉し涙を流しそうなモエカを残し、真鈴は一言だけ何か告げるとすぐにマウンドへ駆け戻って行った。
驚いたのはるなだけではない。王子様のような容姿に伴った行為で湧き上がる観客とは裏腹に、真鈴とモエカ以外の両チームが唖然としていた。
その後、ランナーを抱えギアを上げた真鈴は2つの三振で3回を押さえた。次の回はるなにも打順が回ってくる。異様な空気の残るまま、ベンチへ下がった。
「るな、落ち着いてね! エラーはよろしくないけど、あいつが転んだのはるなが悪いんじゃないから気にすんな!」
バットを手にする際、ナルミがるなの背をバシンと叩いた。頭に昇りきっていた血液が降りてくる。るなはふーっと深く深呼吸し、「ありがとうございます!」とバットを担いだ。
冷たい水でも飲んでもう少し冷静さを取り戻さなければ、とドリンクホルダーに手を延ばした。白い手が、並びのペットボトルを掴んだ。真鈴の手だった。目が合う。だが、真鈴はすぐに顔をそむけた。
それがるなの腹の底をちくりと刺激した。立ったまま水を含む真鈴の横顔に嫌味を吐く。
「元カノさんにはずいぶん優しいのね」
……自分で言っておきながら、とんだ八つ当たりだと思った。真鈴はただ、転んだモエカに手を差し伸べただけだ。それにどんな意味があろうと、責められる要素など1ミリもないはずなのに……。
真鈴は「元カノ?」と冷ややかにるなを見下ろした。瞳には静かな怒りを灯している。
「エラーしてイラついてるからって、モエカに当たることないでしょう? ヤキモチなら、せめてあたしのピッチングに援護してから言ってください。あたしだけ頑張ってたって、味方が点を取ってくれなきゃ勝てないんですから」
冷静に正論で返され、るなはぐうの音も出なかった。反論がないと見た真鈴は冷却バッグを肩に乗せ、ベンチ裏へと下がって行った。
「ヤキモチなんかじゃないしっ」
るなはペットボトルの水を一気飲みした。火照った身体が、中から冷めていく。
やっと落ち着きを取り戻してきたが、腰部の痛みは治まらない。手強い相手ピッチャーを攻略するには長打が欲しいところだが、大振りすればまた痛みが増すかもしれない。るなはランナーが出ようが出まいが、セーフティバントで攻めることにした。
*
お互い、一歩も譲らないまま延長戦へ。0対0で迎えた10回裏。9回でマウンドを降りた真鈴の後手の中継ぎピッチャーがあっという間に打たれ、ドルフィンズは交流戦初戦を黒星で終えた。
これ見よがしに喜ぶホワイトパンサーズ。『神月真鈴さえ降りれば怖いものはない』といった勝ちパターンだ。ヒロインインタビューが始まる前に、ドルフィンズメンバーはさっさとベンチを去った。
るなはシャワーの前に医務室へ寄った。湿布をもらいに行っただけのつもりだったが、患部を診たチームドクターに「念のため明日は休ませるよう、監督に言っておく」と言われてしまった。
ヒットもファインプレーもなく、あるのはエラーだけ。おまけに明日は負傷離脱を宣告され、るなはしょんぼりと肩を落としながらシャワールームへ向かった。
通路で数人のチームメイトとすれ違った。みんなユニフォーム姿のままだ。どうやらシャワールームからUターンしてきたらしい。その中にいたサエがるなに手を上げた。
「お疲れ、るな。シャワーならめっちゃ並んでるよ。水圧が弱すぎるとかお湯が出ないとかで、全然順番回って来ない」
「えー、シャワーまで壊れてるんですか!」
「有り得ないよね! ほんとさぁ、よくこんなオンボロ球場でやってられるよね、白パンは。整備されてないのってビジター側だけなんかな? 嫌がらせかー?」
イラつきを押さえられないサエは、いつもより声が大きい。順番待ちしていた選手はみんな仲良く汗臭いまま帰ろうとなったらしく、るなも一緒にUターンすることにした。
「外観もグラウンドもお金かけてない球場ですもん。嫌がらせっていうより、相応って感じじゃないですか?」
「それ、言える! 強いわりに人気ないから修繕費がないんだろうけどさ、観客席もボロボロでファンも来ないわ金は入らないわで悪循環だよね。あー、早く3連戦終わんないかなぁ」
「ですね。早くシャワー浴びたいです」
並んでロッカールームに戻ると、突然真鈴の怒声が響いた。るなとサエは、揃って足を止める。
Tシャツ姿の真鈴が、サラに掴みかかっていた。スペイン語で一方的に責めているように見える。るなには強気なサラが、真鈴の前でたじたじになっていた。
誰も止めようとはせず、ただ押し黙ってその場を囲んでいる。サラは時折り救いの目を周りに向けるが、みな真鈴の烈火に圧倒され足がすくんでいるようだ。
「……サエさん、何て言ってるんですか?」
るなは小声で尋ねるが、サエは視線を真鈴に奪われたまま小さく首を振った。
「分かんない……。私はピッチャーとコミュニケーション取る最低限しか聞き取れないし。あんなに早口で捲し立てられたら、結構スペイン語喋れるナルミさんでも聞き取れないんじゃないかな……」
るなはナルミの姿を探す。取り囲む一角にいたが、かき分けて進むわけにもいかない。
状況が掴めないまま、真鈴の鎮火を待つしかなかった。10回までスタメンでサードを守り続けていたサラの額に、冷や汗が浮かんでいる。何か言いかけようと口を開いても、真鈴が捲し立てるのでサラが声にすることは叶わなかった。
ようやく真鈴が言葉を句切ったのは、サラの頬に一筋涙が流れた時だった。唇を噛みしめ、黙ってサラの襟を放した。サラは嗚咽混じりに、同じ単語を繰り返す。謝罪の言葉だろう。
「まり……」
部屋を出て行こうとする真鈴を引き留めようとしたるなの腕を、サエが掴んだ。強く引き、扉の前を空けさせる。真鈴はるなの横を素通りし、目もくれず去って行った。建て付けの悪い扉の閉まる音がやけに大きく響いた。




