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エースな彼女は変化球が投げられない  作者: 芝井流歌


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55/58

55☆落ちてたんですけど

 


 今日から3週間に渡り、ノースリーグとの交流戦が行われる。

 初戦の相手はホワイトパンサーズ。6チームあるノースリーグの中でも、アクアマリンに次いで優勝経験の多い強豪として知られている。

 移籍して間もないるなにとっては、公式戦も交流戦も初めて対決する相手ばかりだ。相手の配球も、自分の得意・不得意もまだデータとして定まっていない。だからこそ、グラウンドに立つたびに新鮮でほどよい緊張感を感じられる。

 ホワイトパンサーズの本拠地であるホワイトドームまでは、宿舎のホテルから車で10分ほどの距離にある。マイカー移動組を除けば、選手たちは遠征バスで連れ立って移動するのが慣わしだ。


「……これがホワイトドーム?」


 るなは思わず口にしてしまった。バスの窓から見えたドームの外観は、その名の通り白地にヒョウ柄の模様が施されていた。

 しかし、『セシアナで初めて建てられたドーム球場』というその建築物は、相当な年季が入っているようだ。かつて白かったであろう部分はほとんどが煤けたグレーに変色し、歴史というよりは手入れの届かぬ疲労を漂わせている。


「狭い球場はホームランバッターには有利だけど、ピッチャーにとっては災難よねぇ」


 降車したるなに追いついてきたサエが、苦笑いしながら見上げる。


「ここはとにかく古いわ狭いわで、やりにくいのよ。備え付けのドライヤーなんて、風が弱すぎてただのそよ風。台数はあるのに全然乾かないから、順番待ちに嫌気がさしてホテルまで濡れ髪で我慢したこともあるくらい」

「えー、それ話盛ってませーん?」

「盛ってない盛ってない。あと、芝も手入れが行き届いてないんだか、急に変な方向に打球飛んでったりするから気を付けてね?」


 るなはサエのぼやきを聞き、日本にもそういう難しい球場があったのを思い出した。。

 中距離打者のるなにとって、このホワイトドームのように狭い球場は有難い。しかし、ピッチャーをやっていた頃は、逆にそのサイズ感が恨めしかった。

 今シーズンも3カ月が過ぎたが、真鈴は未だ被本塁打0。つまり、まだホームランを1本も打たれていない。昨夜の肩の張りも回復したらしいし、記録更新はまだ続きそうだ。


「ほら、ボサッとしてないで入るよ?」


 サエがゲートの外をチラリと見た。フェンスの向こうの大勢の女子野球ファンが、スマホを一斉にこちらへ向ける。


「……まぁ、多くのお目当てはうちらじゃないんだろうけどね」


 自嘲気味に笑うサエ。ほとんどが真鈴のグッズを手にする人ばかり。「ですね」とるなも納得する。

 選手専用ゲートに入る直前、るなの名を呼ぶ子供がいた。現地の子供だった。「るにゃー、がばてー!」と、たどたどしい日本語で声をかけてくれた。

 そして、その手には今日発売されたばかりの、るなの応援グッズがあった。

 その名も『るにゃキャット』。

 初ヒットのインタビューで『セシアにゃ』と噛んでしまったのが話題になったことに目を付けた球団側が、実際にグッズ化してしまった。るなにとっては永遠にこすられるのでいい迷惑なのだが……。

 見た目はとても愛らしい。るなと同じおかっぱ頭をした猫のぬいぐるみで、頭頂部にはドルフィンズのキャップがちょこんと乗っている。それがファンの子の手元で揺れているのを見て、るなは嬉しさ半分、恥ずかしさ半分で手を振り返した。


 *


 球場内部も外観と同じく、かなりの年季が入っていた。

 ロッカールームの扉は建付けが悪く、歪んでいてなかなか開いてくれない。力を込めて手前に引くと、ガガッという鈍い音のあと、エコーの利いた高い金属音が室内に響いた。

 これまで、何人もの選手たちが、不甲斐ない自分への拳をぶつけてきた証なのだろうか。

 るなはそんなことを考えながら、、歪んだロッカーの中に私服を押し込む。ビジター用のユニフォームを手にしたところで、急に背後からむぎゅっと誰かが抱きついてきた。


「えっ! な、なにっ?」


 るなの声に、周囲の選手が振り向いた。そんなことを平気でするのは真鈴1人しかいない。

 だが、回された腕の角度、長さ、肌の細さと色……。見慣れた真鈴のものではなかった。


「るにゃキャットの人、見つけたーぁ」


 背後にぴったりくっついているのは、聞き覚えのない声。か細く、ふわふわした少女の声だった。

 もしかしてファンの子供……? と思ったるなは、慌てて腕を掴み、振り返る。


「ちょっと、ここ選手しか入っちゃダメなとこ……」


 言いかけて、るなは目を丸くした。腕を掴まれた背後の人物もキョトンとるなを見つめている。

 るなが驚いたのは、その人物の容姿だ。純白のユニフォーム。袖にはヒョウの柄があしらわれている。黒いキャップは前後逆にかぶってはいるが、サイドに白ヒョウのロゴ……。


「……え? モエカも選手だよ?」


 モエカ、と名乗ったその女性。自らを指差し首を傾げる。もう片方の手には『るにゃキャット』のぬいぐるみを握りしめていた。その瞳には悪気や緊張感は微塵もなく、少女のような無垢さがある。

 堂々とビジター用ロッカールームに入室しているが、どこからどう見てもホワイトパンサーズの選手……。

 唖然としているのはるなだけではない。異変に気付いた周りのチームメイトたちも、相手チームの選手がなぜここにいるのか疑問符を頭上に浮かべている。


「えっ? え、えっと……ここ、ドルフィンズのロッカールームですけど……」

「ほんとにちっちゃーい。ぬいぐるみもかわいいけど、本物もかわいーい」


 るなの動揺などガン無視のモエカは、るなの全身をまじまじ眺めた後、「かわいーい!」ともう一度抱きついてきた。

 逃げ場のないロッカーの前で、るなはされるがまま。相手の華奢な見た目とは裏腹な、アスリートらしい芯のある腕力に圧倒されていた。


「こらっ! るなさんに抱きつくとは10年早い」


 るなが振りほどくより早く、ものすごいスピードで駆け寄ってきた真鈴がむんずとモエカを引き剥がした。

 無念さを残したままのモエカが真鈴に向く。じろりと見下ろされているにも関わらず、パァッと花咲くような笑顔になった。


「あーっ真鈴ちゃーん、久しぶりーぃ」


 今度は真鈴に抱きつく。天下の神月真鈴に平然と頬ずりするモエカを見て、周囲のどよめきが増した。

 。真鈴は慌てるでも拒否するでもなく、モエカの両肩を掴む。そして、まるで飼い犬を躾けるかのように瞳を覗き込んだ。


「ダメでしょ? モエカ、るなさんにあやまりなさい」

「はぁーい。えっとぉ、かわいいって言ってごめんなさーい」

「謝るのはそこじゃないでしょーが」

「えー? じゃあ何ぃ?」

「あー、もう。いいから警備呼ばれる前にホームロッカー帰んな。ほらっ」


 真鈴はモエカを回れ右させ、廊下に一緒に出て行った。室内に一瞬の沈黙と疑問だけが残る。

 斜向かいのロッカーを雑に閉めたサエが、唇をわなわなと振るわせながら近寄ってきた。ぽかんと扉を見つめるるなの肩に「許せん……」と低く呟き爪を立てる。


「さ、サエさんっ。痛いですよぉ」

「……あっ、ごめん! つい……」


 我に返ったサエが手を放した。それでもまだ、真鈴ファンのサエの瞳からは嫉妬の色が見える。


「くっそぉ、水島のやつ……。あの神月真鈴に抱きつけるとは、天然にもほどがある! 羨ましすぎるー!」

「……ずいぶん親しげでしたけど、あの子、元アクアマリンなんですか?」

「いや。水島はもともとホワイトパンサーズ。プロ入りしてからはファーストだけど、高校ん時はキャッチャーやってたらしい。……それも、神月真鈴専門のね」

「真鈴専門?」


 サエの話によると、モエカは真鈴の高校の同期でありバッテリーを組んでた相方だったという。

 キャッチャーとしての才能は誰もが認めるほどだったが、なにせ気まぐれで、真鈴以外のボールは受けたくないと高校時代は真鈴先発の日のみマスクを被っていたらしい。

 プロ入りしてからはファーストに転向したが、層の厚いホワイトパンサーズで1軍・2軍を行ったり来たり。初戦の先発が真鈴なので、対真鈴用に今回1軍に上げられたのだろうというのがサエの推測だった。


「私でも手首しびれる時あるのに、あのふにゃふにゃしたキャラで神月真鈴の剛速球を捕ってたっていうんだから、セシアナ野球七不思議の1つだよね」


 サエの鼻息が荒い。るなは抱きつかれた時の感触を思い出す。確かに口調やキャラはつかみどころなかったが、細腕ながらも引き締まった筋肉と腕力は本物だった。

 サエは「おまけに……」と苦々しく繭を顰める。


「自称『神月真鈴の元カノ』。神月真鈴本人はノーコメントだし、もちろんそれが漏れたら大変なことになるから、球団は必死に水島を口止めしてる」

「元カノ……」

「自称だよ、自称! ……まぁ、あのキャラだから、妄想か願望で言ってるんだよ」

「でも、真鈴自身が否定してないんですよね?」

「ノーコメントって言ってんじゃん。否定も肯定もしてない。さっきの見たでしょ? ありゃ、一方的に水島が惚れてるだけで、神月真鈴はなんとも思ってないよ。るなに対する態度とは大違いなの分かるでしょ?」


 最後のほうは半ギレ。普段、るなを羨ましがっているサエなので、嫌味にも聞こえてくる。そうでなくとも、とばっちりが飛んできそうな勢いだ。

 確かに自分を愛でる時の態度とは違う。モエカへの扱いは幼い妹かペットのような扱いだった。親しい仲なのは明白だ。

 交流戦初戦という緊張感も手伝ってか、サエの言葉尻にトゲを感じる。


「ったく、いくら元バッテリーったって、1.5軍の選手に今の神月真鈴のボールが打てるわけないのに……。白パンの監督も何考えてんだか」

「サエさん。その略し方、おいしそうでいいですね」

「……はー。るなは食べ物と野球にしか興味ないわけぇ? 神月真鈴に興味ないなら、さっさと解放してあげなよ。狙ってる人はいくらでもいるんだから、ちょっとは自分以外のことも考えなよね」


 去り際の冷たい視線が、るなの心臓にチクリとトゲを刺した。サエはそのまま、防具を抱えてロッカールームを出て行った。ちらほらと、支度を終えた選手たちも扉の向こうへ消えていく。

 考えてみれば、神月真鈴ファンの選手たちにとっては、るなこそおもしろくない存在だ。いつも仲良くしてくれているサエもナルミも、『羨ましい』と『憎らしい』が隣り合わせかもしれない。

 モエカのとばっちりどころか、自分がその渦中にいる……。

 モヤつくが、着替えて練習に向かわねばだ。るなはロッカーに向き直る。シューズに何かが当たった。足元に視線を落とす。るにゃキャットの小さなキーホルダーが落ちていた。

 つぶらな瞳がるなを見上げている。モエカが落としていったのだろうか。そっと拾い上げた。


「……かわいいけど、似てないっつーの」


 広報部からるにゃグッズのサンプルを見せられた際、チームメイトたちから相当いじられた。幸いその場には真鈴がいなかったためサンプルは返せたが、今日発売だと今頃モエカから聞いてしまっているだろう。

 手のひらの5センチほどの分身が笑いかけてくる。『モエカに返しておいて』と真鈴に託すべきか。自分で返すべきか。いずれにせよ、複雑な気持ちには変わりない……。




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