54☆不安なんですけど
「……真鈴、私だって不安なんだよ……?」
ぽつりと切り出す。真鈴は黙ったまま、少しだけ振り向いた。だが、るなと目を合わせようとはしなかった。
「自分でも自分が分かんないし、真鈴のことも分かんなくなる時がある。私なんかがここにいちゃいけないんじゃないかとか、知っちゃいけないんじゃないかとか。このままじゃ、いけないんじゃないかとか……」
「いいんです。あたしがそばにいてほしいんだから、ずっといてほしいし、あたしの全部を知ってほしい。るなさんが聞きたいなら何でも言います。あたし、ほんとはイズミと……」
「やめてよっ! 私が知りたいのは、そんなことじゃない……」
声を荒げると、真鈴は手を緩めた。るなはゆっくり引っ込め、真鈴の膝元に置かれていたTシャツを頭から被せる。しばらくの沈黙の後、真鈴はそれに袖を通した。
「……じゃあ、教えて? あの時、ほんとは何て言ったの?」
鏡越しに見つめる。真鈴もまた、背を向けたまま視線を逸らさなかった。
「……『It's not your body I want. it's your heart』です」
「だから、なんて?」
「……意味は自分で調べてください」
「怒るよ?」
るなはむすっと唇を尖らせる。やれやれと苦笑した真鈴は、身体ごとるなに向き直った。立ち上がり、ふっと優しい笑みを浮かべる。
「It's not your body I want. it's your heart、『あたしが欲しいのは、あなたの身体じゃなくて心です』」
るなは息を飲んだ。ストレートな告白に、鼓動が早鐘を打つ。
「……なんてね。嘘です。本当はあなたの身体ごと欲しい。でも、るなさんが心からあたしを受け入れてくれるまで、指咥えて待ってます」
切なげに眉尻を下げる真鈴。愛情に飢えた獣は、腹を空かし続けるかもしれないというのに、それでも肉を食らわず待ち続けるというのか……。
喉につかえていた小骨のようなものが、ほろりと落ちた気がした。本音が喉の奥から少しずつ込み上げてくる。
「……正直、気持ち悪いって思った。好きでもない人とするなんて、しかもそれを自慢してくるなんて私には理解できなかった。でもさ……」
るなは真っ直ぐ見つめる。不安げに見つめ帰す、孤独なカリスマの瞳を。
「そんなの、出会った日から知ってたじゃない。それでもこうやって一緒にいるの、ほんとに手料理だけだと思ってる?」
「るなさん……」
「『指咥えて待ってる』なんてキャラじゃないでしょ? 私のこと以外は何でも自信満々でポジティブなくせに。こっちこそスーパースターの隣にいていいのかなって思ってるのに、そっちに不安になられたらやっぱ私はいないほうがいいのかなって思うんだから、余計なこと考えないでよね?」
ぽすっ、と真鈴の腹に軽くパンチする。無防備なはずなのに引き締まった腹筋が、るなの拳を受け止めた。
真鈴は半信半疑といった表情で腹を摩る。
「……じゃあ、ほんとにイルカ見に行ってくれますか?」
「うん、行こ? ただし、私はジンクスとかルーティーンとかは信じてない派だから。そんなものが存在するなら、打つのも打たれるのもそれ次第ってことじゃない? 私、ジンクスとかルーティーンに左右されるほど乙女じゃないし」
るなはきっぱり言い切る。本音を告げられた真鈴は奥歯を噛みしめたようにも見えたし、にやりと口角を上げたようにも見えた。やがて肩で大きなため息をつき、るなの頬をそっと一撫でする。
「……やっぱり、るなさんはかっこいいですね。イルカのジンクスが嘘でも、一緒に見られるだけであたしは幸せですよ」
「明日は真鈴がかっこいいピッチング見せてくれないと! テーピングしたし、あとはゆっくり寝て治して?」
「はい、ありがとうございます。27三振取るつもりで頑張りますよ」
白い腕が、ふわりと背に回された。真鈴のきめ細かな頬が、るなの頬と密着する。緊張も嫌悪もなかった。るなは抵抗しなかった。されるがまま、身を預ける。それ以上、何もしてこない確信があったからだ。
「……あの夜、イズミのデトックスをしました……」
るなを優しく抱きしめたまま、真鈴は懺悔のように語り出した。
「イズミは狂ったように泣き続けて、狂ったようにるなさんへの愛と暴言を吐き続けていました。宥めるよりも全て吐かせたほうが彼女のためだと思い、一晩中付き合いました。ずっと叶わない恋をしているというのはチームメイトの時から聞かされていたんですが、それがるなさんだったとは驚きましたよ……」
「私も知らなかった……。ずっと、嫌われてるんだと思ってた」
「憎たらしいくらい好きになる気持ち、あたしには分かります……。拒まれても簡単に諦められるものじゃないのも分かります。イズミもあたしも、同じ穴の狢ですから……」
腕が少しだけ強まる。自分も真鈴の背に腕を回した。貼り立てのキネシオテープを、Tシャツの上からなぞる。
「あなたが狂う理由はないでしょ?」
「……分かってませんねぇ」
真鈴がそっと身体を離した。「まぁ、いいです」と苦笑する。キネシオテープを手に取り、左肩をぐるぐる回した。
「愛の力で、明日には治りそうですよ。もう少し冷やしてから寝ようと思います」
「うん。バックアップは任せて?」
「言ったでしょう? 27脱三振するんだから、るなさんのとこへ打球が飛ぶことはありませんよ」
映像の中のようなキメ顔で宣言すると、真鈴はテーピングの礼を言って部屋を出て行った。
微かに残る真鈴の香りさえも、るなへの執着心を表しているかのように感じた。
「『同じ穴の狢』ねぇ……」
笑いさえ込み上げてくる。るなは一次停止させたままのイズミの動画を閉じ、タブレットをバッグにしまった。
ひとまず、不器用なエース様の顔は取り戻せた。明日は交流戦初戦に勝利し、真鈴に白星をプレゼントせねばだ。
だが、明日のホワイトパンサーズの先発も手強いエース。灯りを消し、るなは瞼を閉じた。神月真鈴の美しい投球フォームを脳内で再生する。
大丈夫……。
チームメイトでいる限り、真鈴のバックも心も自分が守るから……。




