52☆満腹なんですけど
予定時刻通り、るなたちを乗せた遠征バスは19時30分にホテルへ到着した。
夕飯の会場は、天井が高く、開放感あふれるビュッフェ形式だった。しかし、南島のように潮の香りが漂う魚介メインではなく、じっくりと焼き上げられた脂の甘い香りと、食欲を刺激するスパイス香る肉料理たちがるなを待っていた。
「すごいっ! ほんとにお肉ばっかりー!」
選手専用ビュッフェ会場に入るやいなや、るなは瞳をキラキラと輝かせ、吸い寄せられるようにトレイを掴んだ。
目の前には、分厚いローストビーフ、山積みのステーキの他に、和食ブームの影響でおろしハンバーグや照り焼きチキンなども並んでいる。るなは躊躇することなく、肉という肉を片っ端から皿に盛り、その傍らには、まるで山脈のようにライスを高く積み上げた。
「ちょっと、るなぁ。若いからってお肉ばっかり食べてないで、アスリートなんだからちゃんとバランス考えて食べなさいよー?」
隣の席に座るベテランのナルミが、半分呆れたような、半分可愛がるような口調で注意を飛ばしてきた。
るなはリスのように頬袋いっぱいに肉を詰め込み「ふぁーい!」と元気よく返事をする。その返事とは裏腹に、視線はすでに次の肉料理へと注がれていた。
普段、本拠地の食堂では滅多に姿を見せないレアキャラであるるなが、遠征先ホテルで野性味溢れる食欲を見せている。そのギャップに、周囲のチームメイトたちは度肝を抜かれていた。
たっぷりとお肉を堪能し、ようやく腹八分目といったところで、るなはナルミの忠告を思い出したようにサラダコーナーへ向かう。瑞々しいレタスにトングを伸ばすと、トングとるなの皿の隙間に、別の皿が、にゅっと横から割り込んできた。
「えっ」
とっさのことに手を止められず、るなが掴み上げたレタスは、重力に従ってその横入りしてきた皿の上にわさっと無造作に乗った。
驚いて皿の持ち主を見上げる。カリスマオーラを纏い、満面の笑みを浮かべた真鈴が立っていた。
「あと、トマトとブロッコリーも乗せてください」
真鈴の顔を見た瞬間、誤解を生んでいるかもしれないメッセージを思い出した。どんな顔をしたらいいか分からず、少しぶっきらぼうに唇を尖らし「自分で取ればいいじゃん」とトングを差し出した。
「やだなぁ。るなさんによそってもらうことに価値があるんじゃないですか。手料理をごちそうになるみたいで嬉しいんです」
るなはすぐに目を逸らしたが、真鈴は皿を引こうとはしなかった。改めてレタスをよそう。立ち去る気配のない真鈴に根負けし、るなは「もう……」と小さく零しながら、リクエストされた真っ赤なトマトと鮮やかなブロッコリーを2つずつ雑に乗せてやった。
要望が叶うと、真鈴は満足げな顔で「ありがとうございます」と告げ、ようやくその場を離れた。
てっきり、そのまま当然のようにるなのテーブルへ押しかけてくるものだと思っていたが、真鈴が向かったのは、サエたちが陣取っているキャッチャー陣のテーブルだった。真鈴愛用のボディソープの香りだけが残る。練習を終え、汗を流してから来たのだろう。
通路を行く真鈴の背中を、チームメイトたちの視線が自然と追っている。
他のキャッチャーたちと話しに夢中になっていたサエの正面に真鈴がトレイを置いた。驚きのあまり椅子ごと飛び上がりそうになったサエを覗き込むように話しかけ始めた。
るなは拍子抜けとモヤ付きを抱えたまま、山盛りのサラダと共に自席へ戻る。すると、隣のナルミが「珍しいね」と耳打ちしてきた。
「るながいるから、てっきりこっち来てくれると思ったのに……。まぁでも明日の打ち合わせだろうね。明日は神月真鈴とサエのバッテリーだろうから」
ナルミは器用にフォークでデザートのパインを口に運んだ。その目は、遠くのテーブルで真剣な表情を浮かべる真鈴に向けられている。
会話の内容までは届かないが、真鈴の鋭い眼光とサエが何度も深く頷く様子から、ナルミの推測が正しいことは明白だった。最初は真鈴の隣席にたじろいでいたサエも、次第に一人の捕手としての顔つきに変わっていく。それは打ち合わせというよりも、真鈴が描く勝利へのビジョンを、強引に、かつ克明に叩き込まれているようにも見えた。
あっという間にサラダを完食したるなは、口直しにデザートのパインを頬張りながら、ナルミのほうへ向き直る。
「ノースリーグは、真鈴にとっては庭みたいなもんですしね。でも、ナルミさんも交流戦は毎年打率高いって聞きましたよ?」
「んー、でもまぁ最近は専ら代打だしねぇ。それに、アクアマリン戦は無安打記録更新中よ?」
自嘲気味に笑い、ナルミは「そんなことよりさ」と、獲物を追い詰めるように顔をぐっと近づけてきた。
「るなは初めてだったの?」
「え? 何がですか?」
唐突な質問の意図が掴めず、るなは首を傾げる。
「んもー、とぼけないでよぉ!」
最後のパインをフォークで突き、口に入れようとしたるなの耳元で、ナルミは「えっちよ、えっち!」と衝撃的な言葉を囁いた。
「えっ……!」
思いも寄らない卑猥な響きを含んだ質問に、るなは持っていたパインを落としそうになった。コンマ数秒、持ち前の驚異的な反射神経が作動し、空中でパインをキャッチしたため最悪の事態は免れたが、その代償としてキャッチした左手は甘い果汁でベタベタになってしまった。
「なっ……なに言ってるんですかぁ! してませんよっ、そんなことー!」
顔を真っ赤に染め、るなは必死に否定する。しかし、ナルミは面白がるように、疑いの眼差しでさらに詰め寄ってくる。
「嘘だーぁ。私はおばさんだしお眼鏡に叶ってないから誘われたことないけど、神月真鈴って、かわいい日本人好きでしょ? 辞めた後輩も何人か自慢してきたし、セシアナじゃ有名な話しだもん。今はるなにべったりだから、神月真鈴に『初めて』奪われちゃったのかなーって」
「ちっ、違います! 私はそんな……」
「えっ、嘘! るなって童顔だし純粋そうなのに初めてじゃなかったのっ? うわぁ、やっるー! まぁね、るにゃちゃん小さくてかわいいもんねぇ。モテるかもしんないねぇ」
「そうじゃないですってばー! やめてくださいよ、変な妄想するのー!」
るなの額に、真鈴の柔らかい唇の感触が蘇ってきた。同時に、イズミの唇も……。
紙ナプキンで雑に口元と手を拭くと、「お先に失礼します」と弾かれたように席を立った。
「ちょっとぉ、るなぁ、待ちなさいよー」
背後でナルミがけらけらと笑いながら呼び止める声が聞こえたが、るなは振り返ることなくビュッフェ会場を後にした。
エレベーターのボタンを強めに推し、誰もいない箱の中で1人深いため息をつく。年季の入ったエレベーターらしく、上昇すると共に工場のような機械音が妙に腹に響く。
部屋に戻ると、真っ先にバスルームへ。ぬるめのシャワーを頭から被り、滝業のようにして邪念を振り払おうとした。忘れようとしても脳裏にこびりついてしまっている一昨日の夜の出来事が、また蘇ってきてしまう……。
『そんなにあたしが分からないんですか?』
『迷惑じゃないですか?』
そして、英語での捨て台詞……。
「分かるわけないじゃん……」
あの時、真鈴は何て言ったのだろう。メッセージで聞くことではない気がして、あれから何も片付いていない。
理解してほしいだとか、受け入れてほしいだとか、真鈴の気持ちはストレートに伝わっている。
だが、その瞳の奥に潜む彼女の『怯え』がるなを混乱させる……。
「何て言ったんだろ……」
伝えたい? 伝えたくない? 心のうちの、だけどるなには聞いてほしくない言葉だったのだろうか……。
「……分からないほうが幸せってこと?」
顔を上げる。鏡に映る自分。頬の赤みは消えていた。冴えない表情に、濡れた黒髪が貼り付いている。
イルカの写真で誤解させたかもしれない。自分もまた、真鈴を惑わせている。思わせぶりな態度だとしたら、早く誤解を解かねばだ。
しかし、明日は交流戦の初戦。真鈴は先発だ。明日の登板に集中してほしい気持ちもある。話なんかいつでも出来る。やはり、今日話すのはやめよう……。
るなは備え付けのアメニティで身を清め、『white park hotel』とロゴの入ったルームウェアに袖を通した。浴衣のようで着心地がいい。
球団支給のタブレットで、明日からのスケジュールを確認する。ホワイトパンサーズとの3連戦の後には、アクアマリンとの3連戦が待ち構えている。前回の登板から数えると、2戦目はイズミが先発だ……。
あの夜、真鈴とイズミはどんな顔で、どんなことを話して、どんなきっかけで帰ったのだろう……。
るなの質問に対する態度からして、真鈴は以前にイズミとも身体の関係になっている。真鈴にとって『複数の中の1人』だとしても、事実は事実だ。
「……気持ち悪い……」
スクリーンの逆光で鋭く光るイズミの瞳を思いだし、るなは袖口でまたごしごしと口元を拭う。身体の関係になったということは、真鈴とイズミも唇を重ねたのだろうか……。
「……関係ないしっ!」
妄想してしまった自分が嫌になる。自分に言い寄ってきた2人とはいえ、過去の関係など、どうでもいい。元は何年もチームメイトだったのだから、自分の知っていること以上のことがたくさんあるだろう。
「なんか……ヤダ……」
るなはタブレットを膝に置いた。画面には、球団アナリストが作成した、アクアマリン選手のデータ一覧。イズミのページを開き、入団してからのデータや動画を食い入るように見定める。
過去の経験と重ね、るなは目を閉じてイメージした。いやらしいインコースばかりを強気に攻めてくるイズミのボールを……。
「絶対、打ってやるっ!」
再生した動画の中でニヤリとほくそ笑むイズミを睨み付け、るなは一昨日の屈辱を試合で復讐することを宣告する。




