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エースな彼女は変化球が投げられない  作者: 芝井流歌


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48/58

48☆奪われたんですけど

 


 完全ダウンのサエをゲストルームのベッドに寝かせ、付き添いのるなと、なぜか強引に泊まることになったイズミは交代でシャワーを浴びた。

 タワーマンションは予想通り高級感溢れる広々とした造りになっていた。だがそれは間取りと家具だけ。装飾品の類いは一切なくどこか渙散としている。

 整理整頓されているというより、物が少ない。オムライス屋に飾られていた額縁やトロフィーなどはどこにも見当たらなかった。器は華やかな『陽』なのに、中身は空っぽな『陰』な真鈴そのものに思えた。

 ルームウェアを借りたりハーブティーを入れてもらったりと真鈴におもてなしを受けても、だだっ広いリビングのソファで落ち着かないるなとイズミ。一息ついた真鈴がシャワーを浴びてくると言うので、るなは横目でイズミを一瞥する。案の定、今にもガルルと唸りが聞こえてきそうな顰め面をしていた。


「イズミ、るなさんと仲良くしてあげてよ?」


 真鈴の言葉に、イズミはころっと笑顔を取り繕い「もちろん」と見上げる。L字型のソファで、イズミから一番遠いところに座っているるなの態度で半信半疑なのか、真鈴はもう一度念を押した。


「……2人が仲が良くないのは分かったから、くれぐれもあたしんちでケンカしないように!」


 しつける飼い主と『待て』を言い渡された飼い犬のような構図で、るなとイズミはふてぶてしく「はーい……」と声を揃える。苦笑した真鈴は2人の気を紛らわすために、『神月真鈴・ベストプレイセレクション』という映像を流し出し、バスルームへと消えて行った。

 スクリーンに真鈴の姿が映ると共に、自動調光でミニシアターのように部屋が薄暗くなる。左右に設置されたスピーカーからは、腹に響くような重低音の効いた音楽が流れ出した。

 アクアマリン時代に発売されたものらしい。ベストプレイといいつつ、アイドルのプロモーションビデオを彷彿させるスローモーションショットや、プライベートなインタビューも混ぜ込まれており、ファンには堪らない保存版映像が満載だ。

 るなとイズミは、再生直後はその映像美に釘付けになっていた。

 青白い光に照らされた2人の横顔が、画面の中の真鈴を追う。美しい容姿から繰り出されるダイナミックなフォームと、鮮やかな奪三振。私服姿はどれをとってもモデルのようで、爽やかな笑顔と耳触りの良いハスキーボイスが、男性顔負けの色香を発している。

 先に飽きてきたのはるなだ。当然のことながら、セシアナのテレビ局同様、インタビューなどは全て英語なのである。7年もセシアナにいるイズミは、多少理解出来るらしく画面に聞き入っているが、英語がさっぱりなるなには、プレイ中以外のシーンは意味不明な呪文の羅列にしか聞こえない。

 思わず、ふわぁとあくびが出た。ふかふかの高級ソファが、容赦なく体を沈み込ませ、心地よい眠気へと引きずり込んでいく。ベッドでなくとも気持ち良く眠れそうなので、もうここでいいかも……と、るなは抵抗をやめて瞼を閉じた。


「ちょっと! 夕海るな」


 鼓膜を刺すようなキンキン声が響いた。とろけかけていた意識を引き剥がされ、るなは迷惑そうに瞼を上げる。


「なにぃ……? うるさいんだけど」

「うるさいんだけどじゃないでしょ! 真鈴が好意で点けてくれたのに、なに居眠りこいてんのよ」

「いいじゃない、別に。泊まりに来てるんだから」


 るなが投げやりに答えると、イズミの顔がサッと険しくなった。


「相変わらず神経極太ね。カリスマの部屋で堂々と寝こけるなんて、どんだけ心臓毛だらけなのよ」

「……じゃあそっちは繊細なわけ? そんなんでよく『アクアマリンのエース』なんて言えるよね。強心臓じゃないと、最強チームなんてしょって立てないんじゃない?」

「はーぁ? 私はエースだしっ! 本当にあんたって……」


 イズミが弾かれたように立ち上がり、にじり寄ってきた。巨大なスクリーンを背負ったイズミは、逆光の中にどす黒いシルエットとなって浮かび上がる。表情は見えないが、剥き出しの憤怒のオーラを纏っている。


「本当に……いつもそうやって余裕ぶっこいちゃってさ! 本当にムカつく! 逃げたくせに……マウンドからも、私からも……!」


 イズミの三白眼が、スクリーンの反射を受けて怪しくギラリと光った。

 ソファに座ったままその迫力に圧されて身をすくめるるなに、イズミは容赦なく体重をかけ、両腕をソファのクッションに押し付ける。


「痛いっ! 放してよっ!」

「イヤ。あんたが私を認めないのが悪いんだからね?」

「認める……? 私に一度も勝てなかったくせに、認められるわけないでしょ!」


 るなは必死に身をよじって抵抗を試みる。しかし、小柄な自分より一回り体格のいいイズミに全体重で制圧されては、撥ね退けられない。もがけばもがくほど、手首に食い込む指の力が強くなる。

 その『一度も勝てなかった相手』を完全に無力化している愉悦が、イズミの口角を歪ませた。


「いいねぇ、その悔しそうな顔……。私が一番見たかった顔よ? ぞくぞくする……」


 熱を帯びた吐息と共に耳元で囁かれ、るなは全身に粟立つような鳥肌が立った。

 それはライバルへの敵意というより、もっと粘着質で病的な何かだった。まるで悪魔に見初められたような、逃げ場のない恐怖がるなを襲う。

 思わず顔を背けたるなの首筋に、生暖かく湿ったものが触れた。それはぬめりとした感触で耳裏まで這い上がり、逃げ場を塞ぐように耳たぶを覆った。


「イヤっ! やめてっ!」


 パニック状態で暴れるが、イズミの拘束はびくとも動かない。その抵抗が、逆にイズミの興奮を加速していく。


「……ねぇ、夕海るな……。私がこんな夢を、何度見たと思う? どうしても追いつけなかったあなたを、こうして私のものにする夢を……。ずっと待ち焦がれてた。ずっとずっと、あなただけを見つめてきたの。高2の時からずっとよ? 本当は知ってるんでしょ? 私の気持ち……」


 るなは硬直した。自分を憎んでいるのだと思っていたライバルが、実は歪んだ執着を寄せていたのだ。驚愕と恐怖が小さなるなを飲み込もうとする。

 怯えきった表情で見上げると、イズミと至近距離で目が合った。彼女は獲物を追い詰めた獣のように、ニヤリと笑みを深める。


「かわいい。濡れてきちゃった……。怯える顔もいいねぇ。めちゃくちゃにしたくなっちゃう……」


 イズミの指先が、るなのルームウェアをめくり上げた。片手が開放された隙を突き、るなは必死にその手を押し戻そうと応戦する。もみ合っているうち、ルームウェアのボタンが1つ弾け飛んで行った。


「やめてよっ!」

「うるさい! おとなしく私のものになりなさいよ!」


 息荒くルームウェアの中に手をねじり込ませるイズミの背後では、巨大なスクリーンに映る真鈴が、いつものさわやかな笑顔を絶やさず、流暢な英語でインタビューに答えている。るなは絶望の淵で涙を溜め、喉を振り絞った。


「真鈴っ! まりーんっ!」


 重低音のBGMが轟々と鳴り響く部屋で、叫び声が虚しくかき消されるのは分かっている。バスルームの厚いドアを通り抜けるはずもない。それでも、るなは唯一の希望を呼ぶことを止められなかった。


「真鈴っ! 助けてっ、まりーん!」

「ねぇ、お願いだからおとなしくしてよ……。私だって、大好きな夕海るなを傷付けたくないの。おとなしく受け入れて?」

「イヤっ! やだ、やめてっ! まりーん!」

「……ねぇったら……。どうしてダメなの? 認めてよ……。私はこんなに好きなの……」


 顎を掴まれた。イズミの唇が迫ってくる。避けきれず、るなはそのまま唇を奪われた。もう叫ぶことすらも許されない。るなの頬を、涙が滑って行った。


「るなさんっ!」


 バタンと扉が開く音と同時に、自分を呼ぶ真鈴の声がリビングに響いた。スピーカーからではない。イズミが唇を離した。

 全身びしょびしょのまま、バスローブを羽織った真鈴が、イズミを羽交締めにした。イズミは「放して!」ともがいたが、真鈴のロックがびくともしないのですぐにおとなしくなった。

 そのすきに、るなはソファから離れようとした。だが、足がすくんで上手く歩けない。抵抗しなくなったイズミを床に投げ出し、真鈴が震えるるなを抱き止めた。


「るなさんっ、大丈夫ですか? 胸騒ぎがして飛んでくれば……イズミ! るなさんに何してくれてんの!」


 真鈴の髪から滴り落ちる熱い水滴が、るなの髪や乱れたルームウェアを濡らしていく。その水の温もりが、彼女が実物だと教えてくれる。豊満な胸に顔を埋めるるなの頭を、真鈴がギュッと抱きしめた。

 投げ出され床に這いつくばったイズミは、乱れた髪の隙間から2人を睨み上げていた。夜叉のようだった。

 真鈴の腕の中で震えるるなを守るようなその立ち姿が、イズミの神経を逆なでする。


「……なにしてくれてんのはこっちの台詞よ! せっかく、せっかく手に入るとこだったのに……!」


 イズミは叫びながら立ち上がった。


「手に入る? イズミ、あんた頭おかしくなった? るなさん震えてるじゃない! 拒絶されてるのが分かんないの?」

「拒絶? あははははっ! そんなの前から知ってたわよ! 追いかけても届かない。捕まえても逃げられる……。憎たらしいほど好きにさせといて、私を狂わせた夕海るなに拒絶されてることくらいね!」


 薄暗い部屋に、半狂乱のイズミの怒声が響く。イズミは一歩踏み出し、眩しいほどさわやかな笑みを浮かべるスクリーンの中の真鈴を指指した。


「あんたみたいな『本物のスター』には一生分からないわよ! どれだけ練習しても、どれだけ身体を壊す寸前まで投げ込んでも、夕海るなの後ろ姿にすら手が届かなかった私の絶望なんて!」


 一歩、また一歩と、イズミはゾンビのように2人ににじり寄る。るなを抱きしめたままの真鈴も、警戒しながら後ずさる。カッと見開かれたイズミの瞳からは、執着と嫉妬の涙が次々と溢れていった。


「夕海るながマウンドに立つだけで、空気は変わってた。味方は安心して、敵は絶望する……。私はそれが悔しくて、欲しくてたまらなかった。いつか夕海るなに勝つために、セシアナで強くなって日本へ帰るつもりだった。なのに……!」


 イズミの声が震え出す。絶叫に近い怒声で、2人を壁に追い詰めていく。真鈴はリビングを出ようとはせず、ただ黙ってイズミを真っ直ぐ見据えていた。


「なのに、夕海るなは勝手に燃え尽きて、マウンドに上がることを諦めた。せっかくセシアナに来たと思ったら、野手転向なんてしてやがった! 私の人生の目標を、断りもなく奪い去ったのよ!」


 スコールのように流れ落ちる涙を拭おうともせず、イズミはただ心の内を吐き散らかす。見開かれた目はこちらを見ているはずなのに、焦点は合っていない。


「……ねぇ、夕海るな? あなたと勝負することだけを目標に野球を続けてきた私の気持ちが分かる? 分かんないでしょうねぇ。憧れなんて軽いもんじゃない。大好きで憎たらしくて、目の前にいるのに全然届かない……。なのに、あなたは私から逃げた!」


 じっとイズミの言葉に耳を傾けていた真鈴が、ようやく静かに口を開いた。


「イズミ……。るなさんだって、辞めたくて辞めたわけじゃないんだ……。あんたの勝手な執着でるなさんを侮辱するのは許さない」

「執着……? ああ、そうよ! 愛してるなんて綺麗な言葉じゃ足りない。私はこいつが憎くて、愛しくて、めちゃくちゃにして、二度と私の前から逃げられないように、その翼をへし折ってやりたいとずっと思ってた……!」


 瞳孔が開いたようなイズミの瞳が、真鈴を睨み付ける。


「真鈴、あなたも気をつけて? この女は、大事なところで必ずあなたを裏切って逃げる。……だって、そういう風にしか生きられない、残酷な天才なんだから……」


 もう一歩踏み出そうとして、イズミは膝からガクンと崩れ落ちた。糸の切れた操り人形のように、くにゃりと座り込む。肩を振るわせ出したので笑っているのかと思いきや、子供のようにうわーんと大声で泣き出した。

 真鈴は黙って見下ろしている。歪んだ愛で狂ってしまった元チームメイトを……。

 再生が終わり、静かに照明が灯る。広いリビングには、イズミの悲痛な嗚咽だけが残った。いつまでも、いつまでも泣き続けるイズミ……。


「真鈴……」


 ようやく震えの治まったるなは、そっと真鈴から身体を離した。温かかった滴は、すでに冷たい雨のようになっている。バスローブ一枚の真鈴の身体が冷えているのを感じた。


「髪、乾かしておいで? 風邪ひいちゃう。私はもう大丈夫だから」

「いや、でも……」


 2人同時にイズミに視線を落とす。何年分もの悔しさと怒りが枯れるまで泣き続けるのだろうか。毒を吐かれていた裏を知ってしまい、るなは複雑な気持ちだった。


「……分かりました。じゃあ、るなさんはベッドルームで休んでいてください。念のため、鍵はかけておいてくださいね?」


 真鈴に背を推され、るなは最後にちらっとイズミを一瞥してからリビングを出た。長い廊下の奥のベッドルームへ案内される。新しいルームウェアを手渡され、おずおず「ありがと……」と受け取った。


「ごめん……。ボタン取れちゃった」

「いいんです。いくらでもありますから。それより……」


 真鈴は中腰になり、るなと目線の高さを合わせた。切なげに、それでいていじけるような顔で覗き込んでくる。


「あたしには、させてくれなかったのに……」

「……何を?」

「チューですよ。あたしだってまだだったのに……」


 るなは言われて、イズミの唇の感触が蘇ってきた。湿った袖でごしごしと記憶ごと拭う。


「バカ言わないで。あの時と違って、両手が使えなかったんだから」

「……ごめんなさい。冗談ですよ」


 真鈴は苦笑し、姿勢を戻した。すっと目を逸らされ、なぜか胸がちくんと痛んだ。立ち去ろうとした真鈴のバスローブの裾をぎゅっと掴む。


「御礼に……してもいいよ……?」

「……え?」

「だからぁ……助けてくれた御礼に、チューしてもいいって言ってんの……」


 るなは顔が熱くなっていくのを感じ、そっぽを向いた。少しの間を置き、真鈴の白い手が頬を包んだ。るなは目を閉じた。

 ……だが、真鈴の柔らかい唇は、るなのおでこに優しく触れただけだった。

 るなはぱちくりと目を開ける。真鈴は背を向け、ドアノブに手をかけていた。


「真鈴……」


 るなの呼びかけに振り返った真鈴は、英語で何か言った。聞き取れず「なんて?」と問いたが、真鈴は片手を上げただけで答えてはくれなかった。

 パタンと扉が閉じると共に、静寂が訪れた。足音が遠ざかっていく。完全に聞こえなくなると突然不安にかられ、急いで鍵をかけた。

 新しいルームウェアに着替え、ぶかぶかの袖をまくる。キングベッドに転がると無性に寂しくなり、猫のように身を丸めた。

 真鈴の香りのする枕は、バスローブで抱きしめられた時のことを思い出させる。

 あの腕で、何人抱いたのだろうか……。

 このベッドでも寝たのだろうか……。

 イズミとも……。

 想像したくないのに、ステーキ屋で囁かれた生々しいイズミの告白を思い出してしまう……。

 自分が離れたら、また遊び人の神月真鈴に戻るのだろうか……。

 守ってくれたその腕で、別の人を抱くのだろうか……。

 何も聞こえないはずの静寂の中で、るなは耳を塞いだまま眠りに落ちた。






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