47☆乗れないんですけど
ワイン1杯で完全ノックアウトなサエを支えながらテーブルに戻ると、すでに神月親子とイズミの姿はなかった。
「ごめん、るなぁ……」
「……大丈夫ですよ。外でちょっと休憩したらタクシー呼びましょう」
テーブルは片付いている。真鈴が会計を済ませてくれたのだろう。るなとサエは店員にぺこぺこ頭を下げながら店を出た。
「るなさん、サエさん。こっちこっち」
駐車場の花壇で休ませようとすると、ブルーの高級車の中から真鈴が手招きした。まだ青白い顔のサエを連れ、ゆっくり歩み寄る。
「今夜はどこのホテル取ってるんですか? 送ってあげるってパパが。乗ってください」
「あ……いや、ホテルは取ってないの。食べたら高速バスで帰るつもりだったから」
「えー、そうなんですか? ……だって、パパ」
高級車の中を覗く。後部座席で神月親子が相談を始めた。運転席にはお抱え運転手かマネージャーからしき男性。2・3ターンし、真鈴が再びこちらを向いた。
「今日はオールスターだったし、もう今からじゃ近隣のホテルは取れないだろうから、うちの実家に泊まってくださいって。部屋ならいくらでもありますから」
「えー! いやいやいやいや、さすがにそれは出来ないよ! 大丈夫、少し休めばサエさんも……」
回復しますよね、と言おうとして振り返ったが、そこにサエの姿はなかった。おや? ときょろきょろする。サエは「ここ……」と今にも消えそうな声でしゃがみ込んでいた。見かねた真鈴が車から降りてきた。
「ほらぁ、サエさんキツそうですよ? シャニータウン方面の高速バスは最終22時だし、こんな状態で返すの無理ですよ」
「うんにゃぁ……泊まるのも無理ぃ……」
サエが虫の息で断る。るなもそれには全力でうんうんと頷く。
だって、家に行けばこの眩しい親子に加え、アクアマリンの元エース様である真鈴の母までいるのだ。サエが更に具合悪くなってしまう……。
かといって片道ハイウェイで2時間の距離を、渉に送ってもらうわけにもいかない。ホテルは取れない。最終バスに飛び乗るしか……。
「じゃあ、あたしのマンションはどうですか? 1ヶ月くらい帰ってないからちょっとホコリ被ってるかもですけど、ここから近いし、3人なら余裕で寝れますよ?」
真鈴が一方を指指す。その先を辿ると、タワーマンションが聳え立っていた。るなはしゃがみ、サエを覗き込んだ。
「……ですって。どうします? サエさん」
「う、うーん……神月真鈴の部屋……」
具合悪いながらも、サエの中で葛藤が起きてるとみられる。神月真鈴大好きなサエのことだ。通常モードであれば、速答で『行きたい!』というはずだ。『行きたくない』に傾く理由は、せいぜい『眩しすぎて』といったところだろう。
「サエさん、今日はお言葉に甘えましょう? 交流戦まではあと3日あるんだし」
「うぅ……う、うん……」
「うんうん、早く休ませてもらいましょうね。……真鈴、悪いけどお願い」
るなが立ち上がると同時に「もちろんです!」と真鈴が抱きついてきた。勢いがよすぎて「ぐへっ」と無様な声が漏れる。
「ちょっと待って! 私も泊まる!」
かん高い声が待ったをかけた。どこからともなくイズミが駆け寄ってきた。カツカツとミュールを鳴らし、鬼のような形相で走ってくる。るなは強引に真鈴からひき剥がされた。
そのまま引きずられ、真鈴やサエから少し離れたワンボックスカーの影でようやく開放された。
「あ、あなた帰ったんじゃなかったの?」
イズミが今にも噛みつきそうな顔を近付けてきた。喉の奥から絞り出すように、ドスの効いた声で囁く。
「帰らないわよ! アレの臭いで私まで気持ち悪くなっちゃったんだから! だから、私も泊まる!」
「う、嘘でしょー! 全然元気そうじゃない! 家だってどうせアクアドームの近くなんでしょ? 帰んなさいよー」
「イヤよっ! あんたなんかが真鈴の家に泊まるなんて百万年早いの! あんたこそ元気なんだから、あいつだけ置いて帰ればいいじゃない!」
「そんなことできるわけないでしょ! サエさん置いて帰るとか絶対あり得ないから!」
るなも負けじと、声を潜めながらもキッとイズミを睨み返した。
「それに、真鈴が泊まってって言ってくれたんだもん。真鈴に許可もらってないあなたに言われる筋合いない!」
「あんたを泊めるのに私を泊めないわけないでしょ! とにかく、あんたが泊まるなら私も泊まるの!」
イズミは腕を組み、ふんっと得意気に顎を上げる。るなを忌々しく思っているはずなのに、わざわざ一緒に来るとは何を企んでいるのかとるなは警戒の色を隠せなかった。
「……何よ。そんなにイヤそうな顔しなくてもいいじゃない」
「イヤに決まってるでしょ……。炭酸水ぶっかけてくる人と同じ家に泊まるのよ?」
「あら、炭酸水がお気に召さなかったのなら今夜は一緒にお風呂でシャワーのかけあいでもする?」
「するわけないでしょ! 大体、あなたねぇ……」
るなが言いかけたところで、ワンボックスカーの影から「まだですかぁ?」と真鈴がひょっこり顔を出した。イズミは表情と声色をころっと変え、すかさず真鈴に向き直る。
「ねぇ、真鈴。私も泊まっていいでしょー? 久しぶりに真鈴と話したいなぁ」
「え? ……うん、まぁ部屋はたくさんあるから別にいいけど……」
「やったぁ!」
真鈴の腕を取りるんるんで高級車に戻ろうとするイズミ。背を向ける直前、真鈴にはバレない角度で「べー」と舌を出してきた。
るながジト目で呆れ果てていると、真鈴が心配そうに振り返った。
「るなさん? もしかして、あたしんち泊まるのイヤですか?」
「……ううん」
イヤなのはイズミの存在、と付け足したかったが首を振るだけにしておいた。イズミが絡んでくるのは今に始まったことではない。相手にしないのが一番だ。
「そうですか? 浮かない顔してますけど……」
「……サエさんが心配なだけ。早く寝かせてあげなきゃね」
るなは渉の高級車に視線を向ける。サエが渉に支えられ、やっとこさ後部座席に座ったところだった。
しかし、ここでもう1つ問題が起きる。
「……乗れなくない?」
最後に車に辿り着いたるな。助手席には渉。後部座席には窓ガラスに頭を預けているサエ。その隣には、勝ち誇った顔のイズミ。そして、真鈴は後部座席の扉を開け放ったまま立ちすくんでいる。
「るなさん、申し訳ないんですけど、マンションまで一緒に歩いてもらえますか? 徒歩10分くらいなんで」
サエはともかく、イズミと密着して乗るのも気が進まないので、るなは「いいよ」と明るく返す。ホッと胸を撫で下ろした真鈴がバタンと扉を閉めると、イズミはちょっぴり悔しそうな顔をした。
サエをマンションの下まで運んでくれるという渉に礼と詫びを言い、るなは高級車を見送った。「行きましょうか」と真鈴に促され、るなは遠近感がおかしくなりそうなタワーマンションを見上げる。何階まであるのか数えるのもおっくうなほど高い。
2人並んで歩き出す。夜風が心地よかった。すれ違う車はたまにあれど、歩く人影はないので人目はあまり気にならない。るなを自宅に招くのがよほど嬉しいのか、真鈴はにこにことこちらを見下ろしてくる。
「2年目の時に一喝で買っちゃった部屋なんですけど、やっぱり独りじゃ広すぎて寂しいんですよねぇ。オーシャンドームの近くに買う時は、もうちょっと狭い部屋にしようかなぁ」
「そんなに広いの? どれくらい?」
「えっとぉ……」
真鈴は空に向き、指折り数えだした。片手の指を全て折ったところで、るなは思わず「まだあるの!」とツッコんでしまった。
「確かまだありますけど……使わない部屋ばかりですよ。でもリビングにはこだわってるんです。あとで案内しますね!」
心はすでにマンションに到着しているのだろうか。散歩にはしゃぐ大型犬のように、るなの半歩前を歩く真鈴。ライトブラウンの髪が、街灯の下できらきらと光っている。
「もったいないなぁ。でも、真鈴が1LDKとかに住んでたら、それはそれで別の意味でもったいないけど」
「そうですか? シャニータウンホテルが結構快適だったし、あれくらいでも不自由ないですよ。それに、実家から出たいのとアクアマリンを移籍するつもりなかったのとで勢いで買っちゃいましたけど、シーズン中は遠征でほとんど帰らないですしね」
「それそれ。私もそれ思って、『低層階だけどあんま帰らないし、まいっか!』って決めた」
るなは新居から見える風景を思い出す。3階だが、遮る物なくセシアナの海が見えるのも決め手のひとつだった。
「るなさんちは狭くていいんです」
「……どーせチビだからって言うんでしょー!」
「いいえ、広いと一緒に寝れないからです」
「その前に泊まらせないから」
「えー! 今夜、るなさんには1番いいゲストルームを用意しようと思ったのにぃ」
「それとこれとは別。横になれればどこでもいいよ」
今度はるなが半歩前を行く。大声援のど真ん中で戦うエースが、今は静かにるなの後をついてくる。
海風の届かないこの街は、るなの知るセシアナの匂いとは少し違って新鮮だった。




