45☆踏まれたんですけど
オールスター第2戦は、2対2の引き分けに終わった。整列をし、シーズンつかの間の祭りが締めくくられる。
球宴を堪能した観客が、どやどやとゲートへ流れていく。「落ち着いてから帰ろっか」と提案するサエに頷き、2人は今日の試合の感想を言い合っていた。
「神月真鈴が抜けた穴があるとはいえ、やっぱアクアマリンは強敵だらけだね。うちなんか弱小だしさ、選ばれてんのは神月真鈴とリホだけだもん。悔しいけど、出場選手数とチーム力は比例してるよ」
「そうですか? ドルフィンズだって、チーム事態は人気あるし、一概にイコールとも言えないですよ?」
「人気と強さはまた別。……はー、ここだけの話だけどさ、私ずっと移籍したいなーって思ってたんだよねぇ。頑張っても勝てないチームじゃなくて、もっと強いとこ行きたいってずっと思ってた。まぁ、今は神月真鈴がいてくれるから、そんな願望は吹っ飛んだけどね。かわいい後輩も出来たし」
にこにこと覗き込まれ、るなはジト目で応戦する。
「……私といれば、もれなく真鈴が寄ってくるからじゃないんですか?」
「い、いやだなぁ。るなと見たかったから誘ったんじゃんかぁ」
サエはわたわたと両手を振り出した。2戦目を見に行こうと電話がかかってきた際、『神月真鈴も誘っていいよ?』という言い方をされたのを、るなは根に持っている。自分をエサに、真鈴と出かけたかったのはバレバレだ。
一応、真鈴に声はかけた。珍しく『用事があるので』と残念そうにしていた。オールスター前後は少ない休日なので、家族旅行や帰省する選手も少なくない。用事の内容までは知らないが、今頃羽を伸ばしていることだろう。
「えー? 返事した時、がっかりしてたのは気のせいですか?」
「き、気のせいに決まってるでしょ? さ、さぁ、そろそろ空いてきたから帰ろっか! どっかでご飯食べてく? おごるよ」
サエのすり替えで、るなの目がぱあっと輝く。
「行きます行きます! アクアドームの近くに、おいしいステーキ屋さんがあるって真鈴が言ってましたよね? あそこ行ってみたいです!」
「あぁ、初日に言ってたね。ステーキかぁ……おごるなんて言うんじゃなかったなぁ」
苦笑いし、サエは立ち上がる。脳内でステーキが踊り出したるなも、足取り軽くゲートへ向かう。
*
タクシーで向かうこと10分。アクアドームの喧騒から少し離れた一角に、そのステーキハウスはあった。
重厚なレンガ造りの外観。グルメサイトのレビューには『かなり高いけど出す価値あり』や『特別な時にはまた行きたい』など、最高ランクの5つ星を多く獲得している。
店内に入ると、香ばしいガーリックソースの香りが空腹を刺激してきた。
「サエさん……ここ、かなりお高そうですけど……」
「大丈夫だって! 捕手に二言はない。たまにはかわいい後輩におごってあげなきゃ」
ツッコミどころはあるが、るなは素直に「ありがとうございまーす!」と甘えることにした。案内された4人がけのボックス席に、よいしょと腰を下ろす。
「るな、るな、るなるなるな!」
突然、サエが奇妙な声を出した。日本語版のメニューに釘付けになっていたるなは「どうしたんですか?」と顔を上げた。
「あれあれ! 神月監督!」
テーブル越しに身を乗り出し、サエは小声で目くばせしてきた。
視線の先を辿る。どうやらるなの斜め後ろにある一番奥のボックス席のようだが、るなの席からは背もたれ代わりの衝立に遮られているので、覗き込まないと見えない。
「ほんとですか?」
「うわぁ、私服でもイケおじーぃ。さすが、親も親なら、子も子よねぇ」
サエは興奮するとたまに妙な日本語を使う。使い方間違ってるんだけどなー……と思いながらこっそり覗いてみると、確かに神月渉の姿があった。
テレビや記事では何度も見たことはあるが、サエの言うようにやはり『イケおじ』という単語そのものだ。ブラウンのカラーグラスも手伝って『ちょい悪おやじ』にも見える。
あれが、神月真鈴と有沢ひかるの父……。
「るなっ、見すぎ見すぎっ」
小声で注意され慌てて顔を引っ込めようとしたが、一足遅く渉とばっちり目が合ってしまった。
あちらが「お?」という顔になった。覗き込んでいたのに今更知らんぷりもできないので、るなは苦笑いで会釈した。
「よしっ、るな? 見てたのバレたからには、挨拶しに行くよ!」
「えっ、挨拶ですか?」
「当たり前でしょ。今やうちらはお嬢さんのチームメイトよ?」
スッと立ち上がるサエ。るなも急いで後に続く。再び神月渉と目が合う。るなのことを指差してきた。背もたれ代わりの衝立から、色白の女性が顔を出した。
「あれっ、るなさーん!」
にこにこ笑顔の真鈴が手を振ってきた。サエが「うはっ!」と素っ頓狂な声を発した。
「パパ、こちらが噂の夕海るなさん。こちらは、えーっと……サエさん」
紹介文句が思いつかなかったのか、苗字を忘れたのか、サエの紹介は雑だった。そんなことはどうでもいいらしく、サエは「佐伯と申します!」と深々頭を下げる。
「夕海です。真鈴さんには、いつもお世話になってます」
「いやいや、うちのじゃじゃ馬娘と仲良くしてくれてるみたいでありがとう」
「パパ、『じゃじゃ馬』ってどういう意味?」
「ははっ。意味は分からなくていい。2人とも、よかったら一緒に食べないか? ドルフィンズでの娘の話も聞きたいし」
渉の提案に目を輝かせたのはサエ。「よろしいんですか!」と早速真鈴の隣に座ろうとした。
「はいはーい、るなさんはこっちー」
グイっと手を引っ張られ、るなはよろけながら真鈴の隣に収まった。一瞬だけがっかりしたサエだったが、渉に「隣、おいで」と呼ばれ、緊張した面持ちでちょこんと腰かけた。
注文を決めている間も、サエはずっともじもじしていた。るなだって落ち着かない。神月親子がおすすめを教えてくれたが結局よく分からず「同じもので」とオーダーした。
真鈴の『用事』とは、父との会食だったのだろうか。久しぶりの親子の時間に割って入っていいものかとそわそわしてしまう。
「2戦目はどうでした? どっちが勝ったんですか?」
そんなるなとサエの気まずさなどお構いなしの真鈴が、赤ワイン片手に問いかけてきた。渉もワインを飲みながら、真鈴とるなを微笑ましく見ている。
「見てなかったんだ? 2対2の引き分け。リホってば、オールスターなのにいつものクールな感じだったよ」
「あははっ。さすがリホさんですねぇ。来年はるなさんも一緒に出ましょうね! 猫耳付けて」
「なんでよー!」
真鈴がいつもの調子で来るので、るなも父親の前ということを忘れ、つい鋭くツッコんでしまった。
だが、渉は穏やかにグラスを傾けている。テレビ越しに試合中の神月渉しか見たことのないるなは、2人の会話を温かく見守っている『父の顔』の渉が意外に思えた。当然のことながら、監督の厳格なイメージとはかけ離れている。
そして、真鈴の『出来て当たり前の家庭で育った』という話からしても、監督としてだけでなく父としても厳しい人物なのだと思い込んでいた。
「仲がいいな。真鈴、楽しくやってるみたいで安心したよ」
「でしょでしょ? あたしはるなさんさえいれば楽しいよ」
「まったく……。移籍したいから契約解除してくれなんて突然言い出した時は、サヨナラ満塁ホームラン打たれる時の3倍くらい驚かされたよ。でもまぁ、真鈴のわがままは今に始まったことじゃないし、言い出したらきかないから修行のつもりで出したけどな」
ははっ、と苦笑する渉。わがまま娘だけに3倍で済んでるのか……とるなは気の毒にすら思った。父である渉以外の関係者は、きっと何千倍も驚いたに違いない。そしてそれを容認する監督にも驚いたはずだ。
程なくして、るなとサエの前にワインがやってきた。軽く乾杯したサエのグラスだけカチカチと細かな音を立てた。サラダが4つ運ばれて来ても、サエはフォークを握る手が震えてなかなか食べれずにいる。
サエの『好きじゃないるながおかしいの!』という言葉を思い出した。セシアナで野球をする選手にとって、神月真鈴は憧れのカリスマだし、王者・アクアマリンを束ねる神月渉も雲の上の存在だ。8年もここでプレイするサエに比べ、セシアナ野球に疎かったるなが鈍感すぎるらしい。
「ところで、夕海くんは……」
「は、はい!」
サエとは真逆に、いつもの調子でサラダをもりもり食べてしまったるなは、突然の名指しに背筋を伸ばした。
「大学時代、ヒカルとバッテリーを組んでたね。ヒカルとも仲良くしてくれてありがとう」
「……え?」
るなは唖然とした。渉がもう1人の娘の名を、真鈴の前で口にするとは思わなかったのだ。そーっと視線を隣に移す。真鈴は黙って咀嚼したまま、唇を尖らせていた。
「……ご存じだったんですか? 私のこと……」
「すまんね。正確には、真鈴に言われてから思い出したよ。両投げなんて、珍しいピッチャーが入って来たなって思ってたね。2年弱だったかな? ヒカルもいい顔して受けてた……」
しみじみとワインの水面を見つめる渉。日本へ帰国した、前妻との間の長女の試合も見ていたらしい。やはり父は父だ。次女の監督を受けながらも、真鈴には黙ってヒカルの活躍を見守っていたようだ。
「まさか娘たちが仲直りしてくれる日が来るなんてね。親としては何より嬉しいよ。まぁ、仲直りと言っても、真鈴が一方的にすねてただけだったがな」
「パパ! あたしはすねてたわけじゃないし、全部許したわけじゃないしっ」
「いい加減、素直になりなさい? もういい大人なんだから」
渉が優しく諭すと、真鈴は言い返すのをやめて黙々とサラダの残りをつつきだした。
るなはもう1人に視線を向けた。サエは緊張で耳まで赤く染まっている。相変わらずフォークを握りしめたままだ。いつの間にかグラスは空になっているが、サラダはだいぶ残っている。
ぽーっと空中を眺めており、ヒカルの話は全く聞いていなかったようだ。どこまでが周知していい事実なのか分からないので、るなはひとまずホッとする。
「サエさん? お食事が進んでないようですけど、具合でも悪いんですか?」
気付いた真鈴が話しかけた。サエは一瞬びくっと肩を跳ねさせ、ぷるぷると首を横に振った。
「あー、怖いおじちゃんが隣にいるから緊張しちゃいましたかねぇ」
真鈴が茶化すと、渉は「誰が怖いおじちゃんだ」としかめっ面した。ベンチでよく見る表情だ。こちらのほうが馴染みがある。
親子が談笑しているところに、アツアツのステーキが運ばれてきた。ジュージューという脂の弾ける音とガーリックソースの香りが、るなの胃袋を空っぽにしていく。
4つ並んだステーキは、るなの分だけが3倍大きい。続いてやってきたライスに至っては、富士山ばりの山盛りだ。
「……これ、真鈴が頼んでくれたの?」
「もちろんです。るなさんにはお腹いっぱい食べてほしいですからねぇ。足りなかったら追加してください?」
「え、でも、今日は……」
「今日はあたしがごちそうします。一口サイズに切ってあげますねー」
左利きの真鈴だが、ナイフを右に手際よくカットしていく。「あ、ありがと……」と気恥ずかしく待っていると、突然、左足を誰かに踏まれた。
「痛っ!」
思わずサエのほうへ向いた。真鈴は右側にいるので、るなの左足を踏めるとすればサエしかいないのだ。
しかし、サエは相変わらず赤ら顔で、意識は空中を漂っている。不思議に思い、るなは自分の左足を見下ろした。
「監督、お疲れ様でーす。真鈴も久しぶりー。こんなとこで会うなんて、偶然ー!」
るなの左足を踏んでいたのは、屈託のない笑顔のイズミだった……。




