43☆ライバルじゃないんですけど
セシアナ・オールスターゲーム当日。今年の会場であるオーシャンドームは、南北それぞれの島から女子野球の熱狂的ファンが押しかけている。
推しチームのレプリカユニフォームを纏った観客席は色取り取りのチームカラーで埋め尽くされていた。まさに年に一度の『球宴』を感じさせる。
選抜された選手たちは、自らの所属球団ユニフォームの上からゼッケンを付ける。ノースリーグはブルー、サザンリーグはピンクだ。
引っ越し作業もそこそこに、るなは選手用に開放された観戦ルームでグラウンドを見下ろしていた。人気選手が一堂に集まるオールスターとなれば、ファンのみならず選手たちだって夢の球宴を楽しみたい。
5階席なので見にくくはあるが、パーティールームのように広々しているし、ファンの目を気にすることなく、出場選手以外も観戦できるのは有り難い。
他球団からも、私服に関係者証をぶら下げた選手たちが大勢集まっている。単純に試合を楽しむ者と、他球団選手とのコミュニケーションを目的とする者に二分化されていた。
多国語が入り交じる中、るなは1人グラウンドを見下ろしていた。日本語もちらほら聞こえるが、まだ無名に近いるなに話しかけてくる者はいない。友達のいない転校生の気分だ。
突然、球場全体が真っ暗になった。同時に、悲鳴に近い歓声が起きる。本日の先発、神月真鈴の登場だ。
オールスターゲームは、ペナントレースとは違い、真剣勝負の中にパフォーマンスが入る。七色のカクテル光線が縦横無尽に駆け回り、マウンドへ向かう真鈴に集まる。アイドルのライブを思わせる演出に、るなの口がぱかんと開きっぱなしになった。
ドルフィンズのユニフォームに、ピンク色の『southern』と書かれたゼッケン。マウンドに登り切った真鈴はグラブを高く掲げ、360度の観客の声援に応えた。一層盛り上がる球場。関係者室の選手たちでさえ、キャーキャーと黄色い悲鳴を上げている。
1人シラケているのもなんなので、るなも小さな手でパチパチと拍手をしていた。ぐるりと一周見渡した真鈴の視線が、最後に5階席で止まる。
切れ長の瞳が、一瞬見開かれた。。そしてニヤリと口角が上がった。……ような気がした。
セレモニーがいくつか行われ、いよいよ投票数ダントツ1位のスーパースターのスイッチが入る。祭といえど試合は試合。いつものクールな表情で、着々とアウトを重ねていった。
先発投手は、長くても2イニングまで。その後は他球団の先発・中継ぎとバトンを渡して行くのがオールスター流だ。
真鈴は当然のように、2回無失点の完璧な投球でマウンドを降りた。客席から真鈴の投球を見たことがなかったるなは、見惚れていたせいか気付けば喉がカラカラだった。冷たい飲み物を求めて席を立つ。
関係者専用の長い通路は、観客席の喧騒が嘘のようにひんやりした静寂に包まれていた。突き当たりを左に曲がったところに、無料で購入できる自動販売機がある。るなは一通りラインナップを眺め、1番上の段に手を延ばした。
「あーらあら、お嬢ちゃん。どこから入ったのぉ? ここは関係者専用エリアだよー?」
炭酸水のボタンを推そうとしたところで、聞き覚えのあるかん高い声が耳に響いた。
るなは手を止め、勘違いでありますように……と願いながらゆっくり振り返った。
あれぇ? 夕海るなちゃんじゃん。ちっちゃいから、お子ちゃまが紛れてるのかと思ったぁ」
キンキンとこめかみに響く、粘りつくような甘い声。つり上がった眉の上で一直線に切り揃えられた前髪。キャミソールにショートパンツ姿の女性が、鋭い三白眼でるなを見下ろしていた。
声の主を冷ややかに一瞥すると、るなはため息をついて自販機に向き直った。「ちょっと! 無視はないんじゃなーい?」とミュールの踵をカツカツ言わせながら近付いてくる。
昔からるなの姿を見ればわざわざ絡みに来る、めんどうなやつがセシアナにいたのを思い出した……。忘れたくても、あちらから存在をアピールしてくる。ある意味ストーカーだ。
「……サインでももらいに来たの?」
めんどくさいなぁ……と思いながら、るなは自販機に向いたまま問いた。今度こそ炭酸水のボタンを推す。
「いらないわよ、そんなもん! むしろ、私のサイン欲しいんじゃないの? あげないけど」
「いらないけど。価値ないし」
キッパリ言い返す。ガコンと落ちてきた炭酸水を取り出し、るなは目を合わさず立ち去ろうとした。「はーぁ?」と肩を掴まれる。爪が食い込みそうだ。るなはギロリとにらみ上げた。
「……痛い。放してくれない? そっちもプロなら、アスリートの身体傷付けるのがどういうことか分かってるでしょ?」
るなは表情ひとつ変えず、淡々と事実を告げるように返す。その温度の低さに、相手の眉がぴくりと跳ねた。
「えー? 私のこと、知ってるんだ?」
「……イズミでしょ? 荒崎泉。今は、アクアマリンの」
るなの肩から手を放したイズミは、ふふんっと勝ち誇ったような微笑を浮かべた。2人きりの廊下に、2回の裏が始まるアナウンスが遠く響く。
「覚えててくれて嬉しいなぁ。私もあなたのこと、よぉーっく覚えてる。高校の時、ボッコボコにされたから」
イズミの目が細まり、隠しきれない執念が宿る。彼女にとってそれは、単なる過去の敗北ではなく、今もなお胸を焦がす屈辱らしい……。
対照的にるなは『そんなこともあったっけ』と言わんばかりの無関心な構えを崩さない。
「……で、何? 負けた腹いせに今更嫌がらせ?」
「あははっ。そんなの昔の話しでしょ? あなた、もうピッチャーじゃないんだし」
イズミは一歩歩み寄り、鼻で笑った。
「日本よりも格上のセシアナで野手転向とか、ドルフィンズも嘗めてるよね。まぁ、あなた的には、ピッチャーでやってけなくても拾ってもらえてラッキーってとこか」
憐れむような口調だが、あからさまな見下した笑顔が本音だ。
しかしるなは、その根底に高校時代の屈辱があるからこそ、自分にしつこくつきまとってくるのだと自覚している。
弱い犬ほど、よく吠える。イズミの執着心とプライドの高さに、あの頃も辟易していたっけな……とるなの記憶が蘇った。
うんざりしながらも、るなはあえて煽りにかかる。
「あー、思い出した思い出した。2年の秋の大会だっけ? そっちの学校、私の変化球さっぱり打てなくて、逆に私があなたの投球で4打席3安打して勝っちゃったんだったね。それが準決勝。んで3年の春の大会も同じような勝ち方しちゃった気がする。3年の夏は……えーっと、一回戦で当たって、私のこと2回も敬遠したよね」
高校時代、るなとイズミは何度も投げ合ったことがある。互いに1年生の時から目立った活躍をしていたので、高校女子野球関連の記事ではよく比較対象になっていたのだ。
当時ネットニュースに流れていた『夕海るなさんは、私にとって最大のライバルです』という記事を見かけたるなは、どうりでマウンドにいてもベンチにいても、ずっとこちらを睨んでいたわけだ……と納得した。
それについてのインタビューに、るなは『ライバルは自分自身です。マウンド上は、常に自分との戦いですから』と応えた。それは本心だし、実際にイズミをライバル視したことなど1ミリもなかったのだ。
それ以来、イズミのインタビュー記事には、『夕海るな』の名前が尽きなかった。
るなに一度も勝てないまま、セシアナに来たイズミ。るなの頭の片隅に、イズミがアクアマリンに入団したという記憶はあったが、イズミが花咲く前に、2年後に入団した真鈴が圧倒的な才能で話題を全てかっさらったため、正直なところ存在を忘れていた。
「だから、昔の話しでしょ! ピッチャー降ろされて私と張り合えないくせに!」
余裕を装っていたくせに、図星を突かれるとすぐに余裕を失うその沸点の低さ。るなは相変わらずだなー……と冷めた心地で観察していた。
「昔の話しだけど、打撃なら今でもそれなりに打ち崩せるかもって意味。私からすれば、あなたのボールは相性いいもん」
「はぁー? アクアマリンのエースに、よくそんな生意気な口効けるよね? あんたが日本で廃れたピッチングしてる間、私はずっとここで腕を磨いてたのよ!」
激昂するイズミに対し、るなは興味なさげに「ふーん」と軽く聞き流す。その徹底したライバル視していない態度が、イズミのプライドを最も深く逆撫でした。
「エース? あぁ、神月真鈴が抜けたから、その繰り上がりでエースなの?」
「うるさい! 真鈴は関係ない! 私の実力よ!」
「実力なら、今頃こんなとこにいないんじゃない? グラウンドは5つ下だけど?」
最後の一刺しに、イズミは顔を真っ赤にして叫んだ。
「私の登板は明日なの! 出場選手も知らないわけ? 選ばれてもないくせに、偉そうに!」
イズミがるなに手を延ばしてきた。叩かれるのかと思いひらりと交わしたが、イズミは背後にあった自販機のボタンを推しただけだった。
拍子抜けしたるなは、「じゃあ、明日頑張ってー」とボー読みで告げる。背を向け立ち去ろうとした。
「待ちなさいよっ!」
呼び止められ、しつこいなぁ……と顰め面で振り返ったるなの顔に、勢いよく炭酸水が吹きかけられた。
「冷たっ!」
「あははっ! これが飲みたかったんでしょ? 優勝も出来ない弱小チームのおチビさんは、これでシャンパンファイトごっこでもしてな!」
最後に「ばーか」と小学生のような捨て台詞を吐き、イズミは空のペットボトルをゴミ箱へ投げ入れ走り去った。
遠くで、わぁーっと歓声が上がった。るなはシュワシュワと音を立てながら服を濡らしていく炭酸水に塗れたまま、唖然としていた。
るなにとってイズミは、過去に対戦した投手の1人にしか過ぎない。だがイズミにとってのるなは今も尚、自分のプライドを完膚なきまでに叩き潰した『絶対的な壁』であり続けている……。
アスリートの身体に傷は付けられないからって、こんな幼稚で卑劣な……。
「どっちがチビでバカよ。性格わるー……」
小さく呟く。髪から床までびしょびしょだが、試合のないるなはタオルハンカチしか持ち合わせていない。真鈴の出番は今日はもうないだろうし、引っ越しの荷造りもしないとだ。ホテルに帰ってシャワーを浴びようと踵を返した。
それにしても腹が立つ……。
そもそも、自称『エース』と宣言するなら、交流戦で投げ勝ってから言えと言いたい。マンガのザコキャラのような去り方をすエースがどこにいようか……。
「るなさんっ?」
選手用観戦ルームに戻る途中、廊下の向こうから目を丸くした真鈴がるなの名を呼んだ。投げ終えたばかりの、ユニフォームとゼッケンを付けたままの姿で駆け寄ってくる。
「どうしたんですか! びしょ濡れじゃないですか!」
「……あぁ、これ? 喉渇いたから炭酸水飲もうと思ったんだけど、間違えて振っちゃってさ。真鈴こそ、投げ終わったばっかでどうしたの? ベンチにいなくていいの?」
「振っちゃった……?」
真鈴の視線が、未開封のペットボトルに止まる。慌ててるなは「だから、もう1本買っちゃったー」と付け足す。
元チームメイトである真鈴とイズミの仲はいいのか悪いのか分からないが、プライドの高いイズミのことだ。後輩でエースだった真鈴のことがうざったくて仕方なかったはず。
それを考えれば、仲がいいわけがない。るなが危害を加えられたと知れば、喜怒哀楽の激しい真鈴が何を言い出すか分からないので黙っておくことにする。
「なんだ、そうだったんですか。お間抜けなるなさんもかわいいですけど、風邪ひいたら大変ですし、早く着替えたほうがいいですよ」
そう言って、真鈴は自分の首にかけていたタオルをるなの頭に被せた。少し汗臭いが、イズミの嫌がらせで煮えくり返りそうだったるなの腹の内のマグマが逆に落ち着いていく。
「ありがと。真鈴の出番も終わったし、もう帰ろうと思ってたから大丈夫」
「え? そうなんですか? せっかくるなさんと観客ごっこしようと思って抜けてきたのにぃ。……でもしょうがないですね。早く着替えたほうがいいし」
しょんぼり肩を落とす真鈴。一緒に観戦したかったというかわいげが、嘘をついた罪悪感を倍増させる。
「帰ってテレビで見るよ。これ、ありがとね」
るなはある程度滴を拭き取ると、タオルを真鈴に返した。受け取った真鈴は「わぁ、るなさんのにおいー」とくんくんし出した。
「ちょ、ちょっとぉ! 気持ち悪いからこんなとこでやめてよねー」
「気持ち悪いとは失礼ですねぇ。いいですよいいですよ、ロッカーで思う存分くんくんハスハスしてきます」
「しなくていい」
るなが奪い返そうとすると、真鈴はひらり身を翻して「じゃ、気を付けて帰ってくださいねー」と、大事そうにタオルを抱えて走り去った。どいつもこいつも廊下を走るなと言いたい。
湿った服が肌に貼り付く。エアコンの冷気で身体が冷えないうちに帰ろう。るなは今度こそ球場をあとにする。
真鈴がいなくなった後のポジションを、実力で奪い取ったというイズミの自負……。性格は最悪だが、その執念だけは本物だ。
『打撃なら今でもそれなりに打ち崩せるかもって意味。私からすれば、あなたのボールは相性いいもん』
絶対に有言実行してやる……。
久しぶりに燃えてきた。啖呵を切ったのだから負けるわけにはいかない。
ホテルに帰り、るなは荷造りの合間にイズミのデータと動画をひたすら目に焼き付けた。




