38☆待ってたんですけど
「仮病なんて使おうとしたから、バチが当たったんでしょうよ」
皮肉を含めて言うが、真鈴は小さく「そうですね」としょんぼりする。
メロナドームでの3連戦を終え、ドルフィンズは明日から再びホームであるオーシャンドームへと舞台を戻す。
打撲が痛くて荷物をまとめられないと言う真鈴の甘えに、るなはしぶしぶ荷造りの手伝いに来た。負傷したのは太腿なのだから荷造りには影響ないくせに……とぶつぶつ言いながらも、るなの面倒見の良さが甘やかしてしまう。
るなは2人分の荷物をまとめるはめになったため、遠征バスの出発時刻に間に合わない。別の車の手配をし、真鈴と共にシャニータウンホテルへ帰ることにした。
「バッグは自分で持てますよ。るなさんまでケガしたらどうするんですか」
ほとんど適当に突っ込んだバッグを2つ担いだるな。小さな身体にそぐわない大きなスポーツバッグが左右に揺れる。
真鈴に忘れ物チェックをさせ、るなはエレベーターホールへと続く廊下を歩き出した。
「このくらいでケガするわけないでしょ? ほら、重いんだからさっさと行くよ」
「えー、痛いんだからゆっくり歩いてくださいよぉ」
白い肌に痛々しいほど刻まれた打球の跡。それが残る左足をかばいながら、真鈴もエレベーターへ乗り込む。
地下駐車場へ着く。るなの先導で白い車に近付くと、後部のトランクがパカッと口を開けた。
るなはうんしょと2人分の荷物を押し込み、自分は後部座席に滑り込む。「真鈴は前ね」と扉を閉めた。
おとなしく助手席に収まった真鈴。やはり足が痛むらしく、ふーっとシートにもたれた。
「シートベルト、してね」
先に乗り込んでいた運転手がエンジンをかけた。運転手の声を聞き、真鈴が息を飲むのが分かった。
「ヒカル……!」
帰路の運転を申し出たのはヒカル。
ヒカルだって明日も試合なのに、話がしたいからと車を出してくれたのだ。この上ない提案に、るなは大賛成だった。後部座席から、義姉妹を見守る。
「こうでもしなきゃ、お詫びさせてくれないでしょ?」
車がゆるゆると動き出す。ヒカルはゆっくりハンドルを回しながら、真鈴に問いかけた。目を見開いたまま固まっていた真鈴が、ようやく口を開いた。
「……るなさん、騙したんですね?」
「人聞き悪いこと言わないでよ。『別の車』って言っただけで、誰の車かなんて言ってな
いでしょ?」
るなが助手席を覗き込むと、真鈴は呆れたようにジト目をよこした。それからプイッと窓のほうを向く。ヒカルが少しだけ笑ったのが聞こえた。
「ごめん。るなを責めないであげて? 私がるなに提案したの。直接言いたいからって」
「……お詫びもなにも……ライナーを避けきれなかったのはあたしのミスだし」
「それでもよ。大事には至ってないってるなから聞いて安心したけど……本当にごめん」
「……別に……」
そっけなく返す真鈴の視線は、流れる車窓の外のまま。ライトアップされた大きなメロンが遠ざかって行く。止まれだの降ろせだのと騒ぐかとも思ったが、その心配はなさそうだ。
2人は沈黙した。気まずい車内。こんなこともあろうかと、るなは自販機で買っておいたチルドカップのセシアンコーヒーにストローを刺し、2人に1つずつ差し出した。
ハンドル片手に「ありがと」とすんなり受け取るヒカルとは対象的に、真鈴は「いりません」とすねて受け取り拒否。
「はい、アーン」
奥の手。るなは身を乗り出し、真鈴の口にストローを近付けた。『アーン』と言われて心が揺らいだらしく、一口だけチューッと吸い上げた。チョロい。
カップは持つつもりはないみたいなので、るなはそのまま手を引っ込める。一息ついたところで切り出した。
「ヒカル先輩。私がスライダーを投げさせるって詠んだんですか?」
「あはは、あれね? うん。背中向けてたからよく見えなかったけど、るなが真鈴の手をいじってるように見えたから、もしかしてって思った」
「手をいじってるだけで予想します? いくら私のボールを受けてたヒカル先輩でも。真鈴の球種にはスライダーがないのは知ってたでしょ?」
車が赤信号でゆっくり止まる。ヒカルはハンドルを人差し指でトントンしながら得意気に語り出した。
「ふふっ。そりゃそうよ。アクアマリン時代のピッチングは全部見てるし、この前のクイーンマーメイドの時のピッチングも見た。序盤で大暴投してたのは、ルナイダーを投げようとしてたのよね? コントロールのいい真鈴がどうしたのかなーって、何度もスローで手元を拡大して見た。指の長さが違うから気付きにくかったけど、あの握りは『ルナイダー』。なるほどねーって思った。だからあの時、こりゃアレをまた投げさせるつもりかな? って思っただけ。それさえ分かれば、るなほどキレのないルナイダーなんか難しくないよ」
顔面直撃の度胸試しではなく、ヒカルの知識と予測が優った結果だったわけだ。るなは敵ながら「さすがヒカル先輩!」と湛えた。
「悪かったね、キレがなくて」
おもしろくないのは真鈴だ。窓に頭をもたれさせ、ギロリと睨む。信号が変わる。加速する間際、ヒカルはちらりと助手席のエースを一瞥し、口元を綻ばせた。
「あははっ。それでもゴロになっちゃったけどね。ルナイダーほどのキレはないけど、パワーで押し切られた証拠よ」
「……ゴロじゃない。あれは、あたしに当たらなければセンターに抜けてた……。まさか、その細腕でほんとに打ち返すとはね」
「嬉しいな。褒め言葉?」
「違うし」
キッパリ言い、また、プイッと窓に向く真鈴。負けと認めているわりに、褒めたくはないらしい。プライドの高いエース様は逞しいのだ。
ルームミラー越しにヒカルと目が合った。るなが微笑むと、ヒカルも眉尻を垂らして笑った。
「ねぇ、真鈴。お母さんのとこ、行かない?」
ハイウェイに入る直前、ヒカルが唐突に切り出した。
「……お母さん? 誰の?」
「私のよ。真鈴にも会いたがってたから」
るなは黙っておいた。ヒカルの母親はすでに他界し、セシアナの海に眠っていることを……。
沈黙の肯定か、真鈴は黙ったままだ。ヒカルはハンドルを左に切った。
だだっ広い公道を抜けると、海が見えてきた。潮の香りが車体を包む。しばらく海岸沿いを走り、展望公園に辿り着いた。
エンジンを止めたヒカルが先に降りた。るなも後部扉を開ける。夜の潮風が心地よい。手招きをすると、真鈴は半信半疑といった表情で降りてきた。
眼下にコバルトブルーの海が広がる。波は夜でも穏やかで、ヒカルの母が眠るにはぴったりだとるなは思った。
「……いないじゃない。何時に待ち合わせたの?」
海ばかり眺めているヒカルに、真鈴が問いかけた。辺りには転々とベンチがあるが、いずれにも人影はない。
ヒカルが振り返った。優しい眼差しが妹を捉える。
「……お母さんね、東京のお墓で眠ってるの。でも、セシアナの海が好きだったから、自分が死んだら散骨してほしいって言われてね……。内緒で一欠片だけここに」
真鈴は絶句した。ここで会えると純粋に思っていたのだろう。手すりにかけた手が震えている。海面を見つめ、「嘘でしょ……」と呟いた。
「お母さんも喜んでると思う。真鈴が一緒に来てくれて……」
ヒカルは真鈴の隣に並んだ。同じように手すりに手を添え、海面を見つめる。
しばらく、静かに波の音だけが響いていた。先程まで歓声の中心で戦っていたのが嘘のような、穏やかな時間が流れる……。
「真鈴、覚えてる? よくここで、海に向かって小石を遠投したよね……」
ヒカルが真鈴を見上げた。真鈴はただじっと打ち寄せる波を見つめている。
「……ヒカルに初めて勝った時、ヒカルのママが特大のスコーン焼いてくれた。約束したんだ。『勝ったらご褒美に作って』って……」
「うん。笑っちゃうくらいおっきかったね。悔しかったなぁ。4つも違うのに、って」
「でも、あれはヒカルがコツを教えてくれたからだよ……」
「ふふふ。セシアナのエースさんに言われるとは光栄だよ。ね、お母さん」
ヒカルが空に向いた。真鈴は胸に手を当て、目を閉じた。もう1人の母の死を悼むように。るなも隣で黙祷する。
再び静かな時間が訪れた。るなが目を開けると、2人はまだ瞼を閉じていた。気付かれないよう、こっそり場を離れる。
車の影から、そっと見守る。程なくして2人はるながいないことに気付いたらしく、きょろきょろ見渡していた。
隠れるところは1つしかない。真鈴が車体に向いた。るなの計らいを察したヒカルが、真鈴の腕を掴んだ。真鈴もしぶしぶ足を止める。
2人は車に背を向け、並んで空を見上げだした。会話は聞こえない。聞こえなくていいと思った。しゃがみこんだまま、るなも見上げる。星がとても奇麗だ。
るなも、母のことを思い出していた。父のことも。兄のことも。
兄とはケンカもたくさんしたけれど、仲の良い家族だった。母を亡くしてからというもの、兄はどんなに忙しくてもるなを気遣ってくれた。口は悪いし意地悪だが、なんだかんだ心配してくれる。兄として、母を失った寂しさを埋めようと頑張ってくれた。
真鈴は両親も祖母もいる。祖父代わりのオムライス屋の店長もいる。それでも孤独感が拭えないのは、両親からの期待ばかりが大きすぎて、家族としての愛情を感じられなかったからだ。
ヒカルもるな同様、母を病気で失った。実父は再婚。義父とは上手くいっていない。家族という家族がいない。
半分血の繋がった姉妹は、お互いを大切に思うあまり壊れてしまった……。
だが、それも今日まで……。
「だといいんだけど……」
るなは車体から、そっと顔を出した。大きな妹が、小さな姉に背を摩られていた。姉の首元に顔を埋め、肩を振るわせていた。
やっぱり、お姉ちゃんも欲しかったな……と顔を引っ込めるるな。もらい泣きしそうになり、指先で涙を拭う。
真鈴の嗚咽は、静かに波の音にかき消されていく。悲しみが海に溶けてくれればいい。るなは目を閉じた。いつまでだって待つつもりだ。
互いの寂しさ、憎さ、愛しさを語り尽くすまで……。




